『20世紀の歴史』

エリック・ホブズボーム著 『20世紀の歴史 ――極端な時代』

先日亡くなったエリック・ホブズボームの『20世紀の歴史』はかなり昔に読んでいたのだが、今読み返すとまた見え方が異なる部分もあった。


バリバリの左翼であったホブズボームにとってはサッチャー的なるものは宿敵といえるものだが、この分析は現在の日本のことを語っているようにも思えてしまう。

「そのうえ、いくつかの重要な事態の発生の結果、労働者階級のさまざまな部分の裂け目が拡がった。これは完全雇用が終わり、一九七〇年代、八〇年代の経済危機の中で、これまで労働者の弱い部分にかなりの保護を与えていた福祉国家と労働資本関係の「コーポラティズム」体制に新自由主義の圧力がかかるようになって、ようやく明らかになった。労働者階級の最上層――熟練工と監督職――は、現代のハイテク生産にはるかにたやすく適応し、彼らの恵まれない兄弟たちの立場が崩れていっても彼ら自身の立場はむしろ自由市場から利益を得ることができたからである。例えば、明らかに極端な事例であるサッチャー夫人のイギリスでは、政府と組合による保護が取り崩されていくにつれて、最底辺の労働者一〇%の生活は他の労働者と比べて一世紀前よりも悪くなった。そしてトップ一〇%の労働者は最底辺労働者の三倍の粗収入を得て、生活水準の向上を享受していたが、同時に国税、地方税の納税者としては、一九八〇年代に「下層階級」という意地の悪い言葉で呼ばれている人々、つまり公共福祉制度に頼って暮らしている人々にいわば補助金を与えてやっていると考えるようにもなった。彼ら自身は、よほどの非常事態にでもならないかぎり、公共福祉制度はなしでいけると思うようになったのである。古いヴィクトリア超時代の「立派な」貧乏人と「いやしい」貧乏人の差が復活した。地球的な好況の輝かしい日々には、労働者の物質的な必要の大部分は完全雇用がめんどうを見てくれたし、福祉手当は引き上げられた。しかし大衆福祉の新しい時代には「いやしい」貧乏人の大軍も福祉によって古いヴィクトリア朝の貧民――「社会の残りかす」――よりもはるかによい暮らしができるようになっており、それだけに新しい労働者間の格差はおそらくはかえって苦々しく感じられるようになった。勤勉に働く納税者としては、新しい貧乏人は権利以上のよい暮らしをしているように思えた」(下 pp.33-34)。


昨今の日本の右派議員やその周辺はやたらとサッチャーを崇めているのが多いのだが、そのような人々はサッチャー的なるものの実体を知らないのではなく、おそらくは本能的にその本質を嗅ぎつけている。「 勤勉に働く納税者としては、新しい貧乏人は権利以上のよい暮らしをしているように思えた」というのはまさにここ数年日本で起こっている生活保護叩きの根っこにあるものでもあろう。「立派な貧乏人」と「いやしい貧乏人」という区分を作りあげ、そのような感情を動員することはこの手の連中が意図的に行っていることでもある。


このような現象は日本にのみ起こっているわけではなく、むしろ多くの地域では相当前から見られたものである。ホブズボームは OECD事務総長の1983年の発言を引用している。

「ある特定の神経症レベルにおける(大量失業の)結果の一つは、若者たちが社会の他の部分からますます大きく疎外されていくことであろう。現実のいくつかの調査によると、若者はたとえいかに困難であるとしても、それでも職を得たいと思っており、しかも同時に意味のある生涯を送りたいと希望している。もっと広く言えば、次の一〇年の社会では「われわれ」がますます大きく「彼ら」からかけ隔てられるようになるだけでなく(この「われわれ」と「彼ら」は、大ざっぱではあるが労働力と経営者に対応する二つの集団である)、多数の若者集団がますます断片化し、若年層とあまり保護を受けていない層が、労働力の中のより大きな保護を受け、より大きな経験を積んだ層と不和になっていく社会になるであろう」(下 p.172)。


「若者はたとえいかに困難であるとしても、それでも職を得たいと思っており、しかも同時に意味のある生涯を送りたいと希望している」のだが、「多数の若者集団がますます断片化し、若年層とあまり保護を受けていない層が、労働力の中のより大きな保護を受け、より大きな経験を積んだ層と不和になっていく社会になるであろう」というのは、20年後の日本社会への予言であるかのように感じられてしまう。


またホブズボームはシュンペンターの『経済分析の歴史』からこんな箇所を引用している。

「経済の病気が長引いた時期には、経済学者はいつも他の人々と同じく時代の雰囲気に同調して、不況は終わらないかのような理論を提唱する」(上 p.152)

経済学者が「空気」を読んでしまうというのはよくあることだが(個人的には少なからぬ人が抱く経済学への不信は実際には経済学者の振る舞いへの不信であることが多いように思うのだが、大抵の経済学者はこのような問題にはかなりナイーヴである)、これが不況時にはさらにそれが強化されてしまうというのは日本でもよく見られる現象である。


と、こんな感じでそれほど古びていないどころかむしろ邦訳発売時よりもより切実に感じられてしまう部分も多々あったりするのだが、文庫化とかは難しいのだろうか。





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佐藤太郎(仮)

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