メントール

『思想のドラマトゥルギー』林達夫と久野収の対談集をパラパラと。




僕が林達夫の名前を知ったのは庄司薫経由だった。
薫クン四部作を読み終えて、エッセイや福田章二時代の作品を読み、
林の『共産主義的人間』に庄司が解説を寄せていることを知った。

庄司にとって林は「メントール」の一人なのだろう。
この「メントールmentor」というのはどう訳すか
なかなか難しいのかもしれないが、「先生」というより
「お師匠様」といのがしっくりくる。

庄司にとってメンタールのもう一人はもちろん丸山真男。
沈黙の作家福田章二が庄司薫として復活した理由はいろいろあるのだろうが、
動機の一つとして考えられるのが当時(1969年)学生から
つるし上げをくらっていた丸山真男を擁護することであったろう。

『赤頭巾ちゃん気をつけて』に、兄と銀座を歩いていると
丸山をモデルとする兄の恩師である先生にバッタリ会い、
真夜中まで話し込む。そして薫クンはこんなことを思う。

たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか、といったことを漠然と感じたり考えたりしていたのだけれど、その夜ぼくたちを(というよりもちろん兄貴を)相手に、「ほんとうにこうやってダベっているのは楽しいですね。」なんて言っていつまでも楽しそうに話続けられるその素晴らしい先生を見ながら、ぼくは(すごく生意気みたいだが)ぼくのその考え方が正しいのだということを、なんといううかそれこそ目の前が明るくなるような思いで感じとったのだった。(文庫版pp.37-38)

薫クンは悶々としていたのだが、これで東大法学部に行こうという気になる。
もちろんこの作品にはらまれる問題はあるのだが
(そこらへんは高田里惠子 著『グロテスクな教養』を参照)
とりあえずそこはおいといて、これこそメントールとの出会いなんだろうなということを
感じさせる文章である。

なぜこの場面を思い出したかというと、『思想のドラマトゥルギー』の解説で
池澤夏樹がこう書いている。

ぼくは何度か林さんに会うという幸運に恵まれ、その優しくて、しなやかで、しかもおそるべき博学に裏打ちされた談話の楽しさを身をもって味わっている。この世に生まれて幸運は少なくなかったが、これは別格。(平凡社ライブラリー版p.524)

いやいや、これって薫クンが感じたことそのままじゃないですか。
丸山真男にしろ林達夫にしろ彼らを慕う人が多いことが窺われる。

「メントール」といえば有名なところでは大江健三郎と渡辺一夫との関係がそうだ。
夏目漱石の家に集っていた人々も漱石をそう感じていたことだろう。
内田百が漱石を書いた文章など読むと、ああいいよねこういうの、なんて気分になる。

ところで今、なんだかメントール、お師匠様というのを持ちにくい世の中のようにも思える。
原因はいろいろある。
メントールの条件の一つが圧倒的知識であろう。
たとえば映画におけるビデオ/DVDの普及を考えてみよう。
昔は映画を数多く見ているというのはそれだけでも伝説的存在になれた。
今ではカネと時間さえあれば昔では考えられないほどの作品数を見ることができる。
またネットなどを駆使すれば、すくなくとも表面的知識は相当に稼げる。
先生も大変だ。

一方で多くの人からメントールと慕われるにはまた別の要素もある。
そこらへんを戦略的に使っているのが内田樹かもしれない。
内田は反時代的ともいえる「先生は偉い」的なことをあえて言う。
このことによって彼の「説教」への需要というものを喚起しているのかもしれない。
内田はしばし様々な専門家から偏った知識や思い込みを批判される。
この批判の多くは妥当なものだろう。
しかし彼の「説教」とは正しい知識を伝授することだけに
主眼が置かれているのではないのかもしれない。

薄々お気付きの方もいられるだろうが、僕は内田樹という人が嫌いではない。
もちろん彼の言説には時折かなりひどいものも含まれている。
他の人間が言おうものなら速攻で見限るようなことも、
なんとなく許せてしまっていたりする。
これは僕の中にある眠れる「メントール萌え」が呼び覚まされるせいなのかもしれない。

『思想のドラマトゥルギー』は林の著作集の解説として行われた対談である。
したがって林の自伝的な部分や知的遍歴などがメインである。
もちろんそれも興味深いのだが一方で僕はこんなところも気に入っている。

(林) いつか岩波書店の九階でテレビの話をしていたら、あの部屋付きのA女史から、”林先生、テレビなんかご覧になるんですか”。……これには二の句が継げなかったな。それとも僕たちを雲の上へあがった種族と見なしたのかな。それなら大いに警戒しなけりゃならん。出版社の中でも、テレビを見ないのを自慢にしている奴がいるが、ちっとも自慢にならない。困ったものだ、そういうのは……
久野 僕は西田佐知子のファンなんです、「コーヒー・ルンバ」時代から。そして桑原武夫さんに彼女のこと話したことがある。桑原さんはたちまち感染して、テレビでさっちんが歌っていると、これも大の歌謡曲ファン神戸大学教授の橋本峰雄君のところへ”今さっちんが歌ってるぜ、聞いてるか”と電話するそうです。
(p.301)

対談は1974年に行われています。
西田佐知子というのは関口宏の奥さんですね。それにしても桑原武夫……
やっぱりお師匠様はお茶目なのがいいね!



つけたし

もちろん「メントール」には無批判の追従という問題点もつきまとう。
『共産主義的人間』の解説で庄司はこう書いている。

林さんのあらゆる意味での複雑さにまさに見合うだけ簡潔な「知的であるための譲れぬ一線」とでもいったものが、筋金入りの頑固さでひそんでいると思わざるをえない。そして、ぼくは、この「譲れぬ一線」こそ、たとえば林さんの戦争中における、見事な沈黙という形での自己表現を支えたそのもの(後略)(中公文庫p.187)

この時代(文庫本は昭和48年の奥付)にどれほど知られていたかはわからないが
実は林は必ずしも「沈黙」していたわけではなかった。
もちろん、だからといって「つるし上げろ」というのではない。
ただやはり「師」とは乗り越えなければらないものなのだろうなぁという
自戒をこめてのつけたし。





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佐藤太郎(仮)

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