『モーツァルトとナチス』

エリック・リーヴィー著 『モーツァルトとナチス  第三帝国による芸術の歪曲』




ナチスと音楽といえばすぐにワーグナーが思い浮かぶ。ワーグナーはその音楽性においても、当人の思想やキャラクターにおいてもナチスにとっては大いに利用しがいがあった。
ナチスは「その活動に真剣さと体面を付与するため、また同時代と過去との連続性を保つため」に、「文化お産を代表する偉人を利用」した。これはワーグナーに限ったことではない。

例えばベートーヴェンも「ナチスの原形として最も重要とされた」のであった。「彼は一部では民主主義的原理にくっきり染まった革命家の原型的な姿で見られていたが、ナチスは彼のことを意思の力、決断力、そして英雄的で鼓舞するような性格によって音楽界を制覇した、総統タイプの人物と解釈した」のであった。その他にもバッハは「作品の宗教的文脈の扱いは控え目にして、「北欧的」ポリフォニーの達人で「民衆的」人生感覚を持ったドイツ人の原形として」、あるいはヘンデルは「生涯のほとんどはドイツ国外にあったのだが、やはりナショナリズム的色合いでとらえられた」。ヘンデル生誕250年であった1935年には、ヘンデルが後半生をイギリスで送ったことから英独間で「共有の文化的価値観の象徴として積極的に持ち出され」、戦争が勃発すると今度は「イギリス社会に完全に同化をすることを拒み、ロンドンの敵たちの悪辣な攻撃に抗してゲルマン的原理を曲げなかった人物という像になった」(p.28)。

もうこうなったらなんでもありの世界である。しかしそんなナチスにあっても、モーツァルトに「ナチス的拘束衣を着せるのは、はるかに困難なプロセス」であった。
モーツァルトはオーストリアはザルツブルグ生まれ、数ヶ国語を話すコスモポリタンにしてヒトラーが毛嫌いしたフリーメイソンの会員(『魔笛』がフリーメイソン思想を描いたものであるのは有名である)、そして『フィガロの結婚』などいくつかのオペラの台本はユダヤ人であるロレンツォ・ダ・ポンテがイタリア語で書いていたのである。

本書はそのモーツァルトを、ナチスや第三帝国下で音楽学者などが詭弁を弄し(この言葉がまさにぴったりである)いかに飼い馴らそうとしていったのか、そしてユダヤ人や反ナチスの音楽学者などがいかに抵抗したのかが描かれている。

サブタイトルにもあるように、本書は主に第三帝国下の状況を扱ったものであるが、受ける印象としてはむしろ第三帝国以前、そして以後との連続性の強さである。
例えば「モーツァルトとフリーメイソンとの直接的な関連から切り離そうという考えは、実はナチスに始まったのおわけではない。<魔笛>とフリーメイソンとの関係についての懸念は、一七九一年にモーツァルトが没した直後から表面化していた」のであった(pp.49-50)。
オーストリアではフランス革命の衝撃か皇帝レオポルト二世などが「秘密結社の類をジャコバン派の手先と見なして制限を強めていた」。オーストリア当局は1794年にはすでに『魔笛』は「反ジャコバンのメッセージを込めたフランス革命の寓話」だとする冊子を発行している。その後も『魔笛』発表時にはすでにモーツァルトはフリーメイソンから離れていた、その謎(とされた)の死はフリーメイソンによる暗殺であったという説が現れるようになる(ちなみにモーツァルトは確かに35歳の若さで亡くなっているが、当時の医療事情では健康だった人があっさりと命を落としてしまうのはそうめずらしいことではない)。

1910年には「強力な反ユダヤ主義者」であるヘルマン・アールヴァルトがモーツァルトの死にはフリーメイソンばかりかユダヤ人が関与していたと唱え始める。そして1926年には、ミュンヘン一揆でヒトラーと共謀していたエーリヒ・ルーデンドルフ将軍も同様の内容の演説をぶち始める。「反フリーメイソン、反ユダヤ、反教会、反世界主義的なモーツァルト解釈」を行ったルーデンドルフはナチスのお気に入りとなったのかといえばそうではなく、その本はなんとゲッペルスによって発行禁止とされてしまうのである。ルーデンドルフとその同調者がモーツァルトばかりかフィヒテ、ライプニッツ、ニーチェ、シューベルト、バッハらに際限なく陰謀論を広げていくことはゲッペルスの頭痛の種となっていた。ゲッペルスを悩ますほどの陰謀論!

この他にもナチスに棹差した音楽家や音楽学者が多数いたが、これらの多くはナチスの圧力の結果それを強いられたというよりも、ナチスが政権を握る以前にすでに反ユダヤ主義をはじめとするナチス的価値観(場合によってはナチスよりもさらにひどいもの)をすでに内面化していたのではないかという気にさせられる。

戦後になってすぐにこのような価値観が変化するはずもない。そればかりか、ワーグナーとは違い「汚されてしまった自身の音楽的伝統への信頼をどうにか取り戻すうえで、モーツァルトの偉大さと人間性はナチズムのおぞましさを超越できるもの」であった(p.293)。1941年のモーツァルト祝賀会のような「政治的色合いの濃かった場に進んで参加した人も」、「大多数の人が一九四五年より後でも無傷なままでドイツ-オーストリアの音楽界でまともな地位に返り咲くことができた」のであったまたオーストリアは自身を「被害者」と位置づけることでナチスに協力した過去から逃れようとしたが、その際にナショナリズムを高めるのにモーツァルトは利用されもした。

ある者はナチスから援助を受けていたプロジェクトを何食わぬ顔で再開し、またある者は1941年の著作権表示がある本を、「ゲッペルスと宣伝省の後援を示す一ページ」を外して出版し続けた。さらには1942年にナチスのプロパガンダとして作られた『神々に愛されし人』というモーツァルトの伝記映画を、45年から46年の製作だと偽って英語吹き替えにして公開する者までいた(この映画はニューヨーク・タイムズから酷評されたそうだ)。

このようにあまりの厚顔無恥っぷりに思わず失笑してしまいたくなるのだが、ナチス以前にナチス的なるものが大きく根を張っており、ナチス以後にもその根は依然として生き続けているのだと思えば背筋が寒くなる光景でもある。このような荒唐無稽なるものが政治・文化において権力を握るというのはドイツに限られたことではなく、また過去の一挿話として片付けられるようなものでもないのである。


なお本書には「付録」として1941年に行われたゲッペルスのそれと共に「帝国指導者バルドゥール・フォン・シーラッハ」による演説が収録されているが、このシーラッハはあの作家のシーラッハの祖父ですよね。


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佐藤太郎(仮)

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