『大衆国家と独裁』

シグマンド・ノイマン著 『大衆国家と独裁』




ノイマンはドイツ出身の政治学者。1933年にイギリスへ、34年にはアメリカへ渡り、本書は42年に出版されている。つまり本書が執筆されていた頃は、戦争の行方はまだ予断を許さない時期であったということだ。このために、とりわけ最後の部分などは現在読むと論理的というよりもアジテーションっぽく感じられてもしまうのだが、それだけ切迫感があるともいえる。そしてナチズムを中心に全体主義を考察した本書は、現在でも十分に読まれる価値があるだろう。

ということで以下個人的メモを兼ねてダラダラと引用してみる。


まずは本書に引用されてるヒトラーの大衆観を表す言葉から。
「(大衆は)女に似ている。彼等の心理は抽象的推論よりは、頼もしい力に対する漠然とした情緒的渇望によって影響され、弱者を征服するよりは強者に服従することを好む。かくて大衆は哀願者より支配者を愛し、内面的には、自由の保障よりも仮借ない教義によって遥かに大きな満足をうる。彼等は自由をもてあまし、往々途方にくれてしまうものである。」(p.118)

ゲッベルスはこんなことを言っていた。
「普通の人間はものごとの二面性、これもあれも考慮せよと言われることを何よりも嫌う。」(p.118)

ノイマンはこれらについてこう分析している。
「このような哲学は、不確定と不安定とに悩まされる大衆に強く訴える。独裁者の支配の下で、人生は再び明快、単純さを取り戻す。すべてが定められており、人々はこれに従いさえすればよい。」(p.118)


さらに現在の日本、そして世界的な経済状況とも合わせて注目すべき箇所もある。

「独裁諸政策の中には財政的革命をもたらす極めて微妙な各種の方策が含まれていた。すなわち、インフレーションの統制、労働力創出の機構、バーター制などがそれである。ついでながら最も革命的な方策がとられたのは、まさにこの分野においてであったことを付け加えておこう。その政治的有用性を別にしても、検討の価値がある。ナチズムはその政治的野心のさまたげになるとして、財政的考慮を一切棄却したが、それは或る種の大胆極まる考えを生み出した。その最も独創的なものは、主に党人でなお専門家によって提出された。」(p.166)

そして引用元が示されていないが、こんな言葉を引いている。
「ナチの探検家たちが、実際上、財政、金融の世界は丸いという事実を発見し利用しているというのに、われわれの財政、金融学者たちは、未だに海の彼方は奈落に通ずる断崖であると主張して異端者を警告してる。」(p.166)


「ナチの財政政策は十九世紀的観念に対する挑戦であった。従来の考えによれば、国家が債務を負うことは、課税能力以上すなわち国家の生活手段以上の支出を意味し、政府の重大な落度の一つとされることは疑いなかった。経済拡張期においては、貯蓄を投資にふりむけ、資本の自然な流動を保障するのは、すべて個人の創意によることが公理となっちた。二十世紀の経済学は、一時的にであれ恒久的であれ、縮小再生産を強いられる社会において、そのような自動的自己調整には限度のあることを、間もなく認識するに至った。かくて再び積極的干渉を通じて生産能力に一定の方向を与えることが、国家の本質的な責務と考えられるに至ったのである。「国債」に関する見解も変化し始めた。現代資本主義社会の真の問題は、国債から得られる国家資金をも含めて国家の資金源の総体が充分大きくさえあれば、これに見合うだけの国民所得の生産は可能だという点にある。このような考えは、個人の家計と国家財政との間に異なった水準を設定する、一種の経済的二重道徳をもたらしたと見える。かくて政府は産業を促進し、労働を創出する限り、債務を負うことは容易に許される。政府はその上、個人企業の拡張による利潤を国庫に回収し、金融回路を閉しておきうる限り、通貨膨張を統制することさえ出来よう。すなわち言葉を変えれば、個人企業の利潤が国債に投資されるならば、国家はこれに融資を与え、耐えざる拡張が生まれて行く。ドイツに見られるような統制的、閉鎖的経済においては、このような投資は「勧告」によって容易に強制しうる。「吸血鬼経済」は、フューラーの「創造的努力」を可能ならしめるために、商工業の「創造的犠牲」を要求する。それは奇蹟を創り出すことが出来るのである。」(pp.166-167)

党人でない専門家によって提出されていたこのような政策について、「ナチズムは国際政治におけると同様、この経済分野においても、政権初期には極めて慎重な動きを示し」ており、本格的にこの政策をとるのは37年以降、国際政治においてもすでに足場を築いた後のことであった。


再びヒトラーの言葉。
「大衆には惰性があるため、一つのことに気付くに至るにさへ一定の時間を要するのが常である。だから最も単純な観念でも重畳反復してはじめて彼等の頭に入る。」(p.206)

そしてゲッベルス。
「知識人は一つのテーマが繰り返されるほど公衆の関心は薄くなるというが、これは正しくない。次々と新しい立証や一そう峻烈な議論を展開する才能があれば、公衆は決して興味を失うことはない。逆にその関心が増すのだ。」(p.206)


一方ナチスが政権を取る前後のイギリスの状況はこうであったという。

「労働党は進歩的立場をとるべき伝統をもっていたが、古い指導層の視野の狭い労働組合的感覚のために、党活動もその色彩を帯びるところが大であった。知識層は信用されず、遂に一九三一年の危機に際して、若い戦争の世代の多くが党から疎外されるに至った。その人々は、政治においてシニカルな傍観主義に堕ちて行くか、文学に避難所を求めるか、あるいはまた大した根拠もなく、インテリのディレッタンティズムから共産党かモーズリ式のファシズムへと移行した。」(p.234)


最後にこの箇所を引用して終えよう。

「北欧人種の観念は、フランス人ゴビノー伯とイギリス生まれのヒューストン・スチュアート・チェンバレンとによって最初に提示された。この説がドイツで受容された限りでは、主として防衛機能であったといえよう。国際経済の場に遅れて登場したものが、国際的競争に対抗するため保護関税障壁を築き勝ちであるのと同様に、文化的、人種的浸透の分野でも、これと平行した発展を見うるであろう。二十世紀の独伊に起こった烈しいナショナリズムは同様の事情に負うところが大である。このナショナリズムの感情は、他の国民に平等の権利を認めず、文化交流の自由を容易に受け入れようとしなかったが、このような態度は、少なからず自己の内面の脆弱性を現すものであった。強くて自信あるもののみが、外部からの衝撃を受け入れ、吸収し、同化するのを苦としない。だから他国人がヨーロッパの諸国で受ける処遇の相違が、ナショナリズムの型を表明する標語となったわけである。永い歴史をもつ西欧民主主義諸国は、新しい勢力が常時浸透して来るのを安んじて受け入れ得た。更にこれら諸国は、新来者を自国文化の絶え間ない発展に建設的、創造的に参加せしめることさへ出来た。他方、中欧の若い諸民族は、閉鎖的なナショナリズムの観念を発展させたが、これは自己の力に自信がないからであった。その排他性、不寛容性は内的脆弱性の徴であった。
 この事情は、近時発揮された人種概念においても同様である。この人種の意識は、一国大に浸透した場合をとれば、自信に満ち、自己を積極的に主張する、強く、純粋な人種の表現とはいえなかった。いや、まさに劣等感のすべての徴候を持っていた。現代社会において人種理論が訴える所以の最たるものは、国家の不安定によるのみでなく、人格の不安定によるものである。すべての基本的価値体系を失ったかに見える世界にあっては、安定した概念に対する渇望が癒されなければならぬ。これらの新理論の魅力は、とりわけ、その具体性と所謂「科学的」絶対性とにある。空間と同様、人種も、人間社会の極めて具体的表現であるかに見える。」(pp.276-277)
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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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