あの人とあの人は……

作家の高橋たか子が亡くなった。こちらの記事に「作家の故高橋和巳の妻」とあるのだが、冒頭にこう書くのは失礼ではないのかという気がしなくもないのだが、僕自身も高橋たか子の小説は未読なもので、やはり高橋和巳の妻が亡くなったのかと思ってしまった。


先日久しぶりに『邪宗門』を読み返したのだが、そのついでにといってはなんだが高橋たか子の『高橋和巳という人』も読んでみた。そこにはこんな部分があった。

「葬儀委員長は埴谷雄高であったが、実務の一切を一手に引き受けて遂行してくださったのは、元「文藝」編集長の坂本一亀であった。その子息、今は有名な、あの坂本龍一が、場内に流す音楽を担当してくださったとか、それについて私の意見を聞かれて私がバッハにしてほしいと言い、それでバッハが流されたとか、私はぽっかり記憶が欠けているのだが、そうなのだそうである。」(pp.107-108)

高橋和巳が亡くなったのは1971年のことなので坂本龍一が東京芸大2年の頃か。
僕もそうなのだが、ある年代以下の人にとっては坂本龍一の父親が坂本一亀だと初めて知った時には「坂本龍一の父親って有名な編集者だったの?」と思ったことだろう。しかしある年代以上の人にとっては「YMOの坂本龍一ってあの坂本一亀の息子なの?」という感じだったのだろう。

『アレクサンドリア四重奏』の『クレア』の「訳者あとがき」に高松雄一のこんな回想がある。今回刊行されたものは約50年前に出版されたものの改訳であるのだが、その当時の担当編集者が坂本一亀だったのである。

「はじめて『ジュスティーヌ』の翻訳にとりかかったときには、こちらは出版の約束事など何一つ知らない若者だったが、当時名編集者と呼ばれていた坂本一亀が面倒を見てくれた。
(中略)
 五十年前の初夏の日差しの明るい日曜日に、窓を開け放って仕事をしていると、同じ沿線の二駅ほど離れた町に住む坂本が自転車で訪ねて来た。散歩の途中だと言っていたが、心配になって様子を見にきたということもあったのだろう。後ろの台に五、六歳くらいの男の子が乗っかっていた。その子供がいまをときめく音楽家になったのかどうか。あの情景だけが前後の脈絡から切り離されて脳裏によみがえってくるのだが、若い人たちにはほとんど神話に近い遠い昔の話としか思えないかもしれない。」(pp.397-398)

高松の世代にとってはYMOが注目され始めた頃には「あの子がねえ」という感じだったのだろう。そのうちに「坂本美雨の親って二人とも有名人らしいよ」みたいなことにでもなるのだろうか。


高橋たか子にとって「高橋和巳の妻」と形容され続けてしまうことについてどのような心境だったのかということを考えると穏やかならざるものもあったのだろうとは思うのだが、そういった環境にない人間にとってはついそのような「神話」に触れてしまいたくなってしまうところでもある。



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佐藤太郎(仮)

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