『ルルドの泉で』

『ルルドの泉で』

若干ネタバレ気味のところもありますので未見の方はご注意を。



多発性硬化症により首から下が麻痺しているクリスティーヌはルルドに巡礼にやって来る。そして彼女に「奇跡」が起こる……。


「奇跡」というのはいざ起こるとなかなか難しいものでもあるのかもしれない。信仰を裏書してくれるものであると同時に当人以外にとっては「なぜあの人が」という気にもなりかねない。なぜ自分ではないのか、たとえ自分でないとしてもあの人よりもっとふさわしい人がいるではないか。このように恨みや疑心を呼びかねないものでもある。また「奇跡」が起こった当人にとっても、失われたものを取り戻そうという高揚感と焦燥感とがつのり、それがまた周囲の人にとっては疎ましく思えてしまうことにもつながりかねない。

ざっとしたあらすじだけで細かい部分は知らずに見始めたのだが、実はもっとグロテスクで残酷な展開が待っているのではないかと思っていた。確かにその予感がなくはないのだが、「奇跡」についても中立的であり(まさに奇跡が起こったともとれるし、医学的見地から一時的な症状の改善に過ぎない可能性も示唆されている)、その結末も宙吊りにされている。
聖地にての奇跡の物語というと、肯定的にしろ否定的にしろキリスト教的な見地からあれこれと考えさせる作品のように思われるかもしれないが、むしろ普遍的な人間の有り様を描いているとさえいっていいかもしれない。


ということで「こんな人いるよなぁ」という人たちがたくさん登場するのだが、その中の一人がレア・セドゥ演じるマリアである(この名は深読みしたくもならなくもないが)。マリアは詳述はされないものの、おそらくは何不自由なく育ったのだろう。しかし私の人生これでいいのかしら、もっと人の役に立つようなことがしたい! ってな感じで介護人のボランティアとなりクリスティーヌを担当する。しかしいざ始めてみると、厳しく指導されたりするのってイメージとちょっと違うんですけどぉ、みたいな感じとなり、やっぱり友だちとわいわいきゃっきゃしてるのが楽しいし、おまけにいい男までいるじゃない! となってしまう。

多分悪い子じゃないのだろうし、完全に投げ出すわけではないのだが、気もそぞろとなってしまうのが行動にそのまま出てしまう。そのくせ記念撮影の時はクリスティーヌの担当は私なんだから私が後ろに立つのが当然でしょ、みたいなところがつい微笑ましく見えてしまったのだが、これはあくまでレア・セドゥが演じていたからであって、また別の役者だったらならひたすらに小憎たらしく見えていたかもしれない。

レア・セドゥって役柄によって結構イメージが変わるのだが、初めて知ったのが『イングロリアス・バスターズ』の農家の娘役だったせいか、こういう感じの少々野暮ったい方が可愛らしく思えてしまう(そりゃお前の個人的趣味だろといわれればそうなのですが)。この作品では最後に踊りと歌の場面があるのだが、ちょっとドタドタした感じのダンスと、フランス語の舌ったらずな感じの歌の音程が少々怪しいといったあたりもいいのだが、こういうのを愛でる作品では多分ないと思う。


かわええ。



そういえばカンヌで賞を取ったLa vie d'Adèleって日本にくるのかな。






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