『チャイルド・オブ・ゴッド』

コーマック・マッカーシー著 『チャイルド・オブ・ゴッド』






家族もない貧しい白人、レスター・バートンは家を差し押さえられたのをきっかけに暴力と異常性愛の世界に転がりこみ、そのまま堕ちていく。


1973年の作品であるが、会話に引用符を用いない文体や凄惨な暴力を乾いた筆致で描き出すといったマッカーシーのスタイルはすでに確立されている。
粗暴なレスターを通して世界そのものが暴力に覆われてしまったかのような印象は後に書かれることになる『血と暴力の国』(映画『ノー・カントリー』の原作)を思わせるが、本作のほうがより乾いている。あるいはその暴力が黙示録的光景を思わせるところは『ザ・ロード』を連想させなくもないが、本作はより「現実」と直接的に地続きなものとなっている。

19世紀を思わせるような世界であるが、1960年代を舞台にしている。中西部に近い南部テネシー州。同じアメリカ合衆国といえど東海岸や西海岸の州とは暮らし向きもメンタリティもまったく異なる。貧しさと暴力は非日常ではない。これもまたアメリカの姿である

近親相姦などを描いた作品といえば、同時代にはイギリスのイアン・マキューアンの『最初の恋、最後の儀式』(1975年)、あるいは暴力の奔出といえばアンソニー・バージェスの1962年の小説をスタンリー・キューブリックが監督した『時計じかけのオレンジ』(1971年)などがあるが、マッカーシーの創造力がこれらと共振したのだろうか。いや、これらの異常性愛や暴力と『チャイルド・オブ・ゴッド』のそれとは異質なものだろう。

三人称の描写に時折「証言」がさしはさまれるが、それによるとレスターは子ども時代に父を自殺で失い、母は男と駆け落ちしたようだ。子どものころから暴力的、簡単な暗算にも手間取るところを見ると頭もよくはない。ある意味では類型化されたような設定ではある。しかしレスターの暴力は、最早暴力という手段しか残されていないことによる自己表現であったり、あるいは社会の支配層や規範への抵抗であるという印象は与えない。暴力はただそこにあるのだ。

レスターが始めて姿を現したとき、彼は「おそらくあなたによく似た神の子だ」と描かれる。
レスターをキリストだというのでも、このような人間でも神の恩寵を受けているというのでも、レスターはあなた自身の姿でもあるというのでもないだろう。マッカーシーはレスターに寄り添うのでもなければ、「モンスター」であるとして突き放すのでもない。
誰の心にも潜んでいる悪魔的性質の顕現ではなく、ただレスターはそこに存在している。暴力も、彼を蔑む人間も、怯える人間も、騙す人間も、それなりの関係を築いている人間も、そして犠牲者たちも、ただそこにいる。それはちょうど我々が、望むと望まないとに関わらず、神が生み出したのであろう世界にただあるように。




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