『シガレット』

ハリー・マシューズ著 『シガレット』





「アランとエリザベス」、「オリバーとエリザベス」のように二人の人物を中心とした15の章から成っている。相互に絡みあう人物や出来事を丹念に描いた連作短編としても読めるが、冒頭と結末に書き手である「私」が登場するという入れ子構造の長編小説とするべきだろう。

「氷山の一角」であるかのように、それぞれの章でその姿をのぞかせるのは全体のごく一部である。あたかも氷山が回転していくがごとく、読者は読み進むうちに重なり合う人間関係や事件の文脈の全体像をつかめるようになっていく。


著者のマシューズは実験的文学グループの「ウリポ」に所属するアメリカ人作家とのことである。「訳者あとがき」を読むまでウリポにアメリカ人がいたことは知らなかったのだが、それもそのはず、ごく最近まではただ一人のアメリカ人だったそうだ。
本書で献辞が捧げられているジョルジュ・ペレックの『煙滅』はフランス語でもっとも多く使われる綴り字のeを使わずに書かれた怪作であるが、奇跡の邦訳は「いの段」を使わないという労作であった。個人的には『煙滅』(のような試み)は面白いとは思うものの、熱狂できるかというとそこまでではない。イタロ・カルヴィーノもウリポのメンバーであったが、なんと言われようとカルヴィーノ作品で僕が愛しているのは『木のぼり男爵』などの「我々の祖先」三部作であったりする。しかしそんな僕のような読者でも『シガレット』は十分に楽しむことができる。

ウリポのメンバーと聞くとそれだけで実験的作風を思い浮かべてしまうが、実際にマシューズは相当に難解な作品を書いていたようである。しかし「その作風が少し変わり、いわゆる「リアリズム」色が強まったのが『シガレット』だった」そうだ。


「オーウェンとフィービ」という章では、愛情から猜疑心へ、疑心から憎悪へ、憎しみから復讐へと転じていく父娘の心理戦が描かれる。この作品全体が、書き手の超越的視点から登場人物の、多くの場合ネガティブな感情をこれでもかとえぐりだしていく。入れ子構造という手法を用いてはいるが、とりあえずは読者はオーソドックスな心理小説(それもかなりえぐい)として読み進むことができる。二度三度読んでより深く味わえるという点ではわかりやすい作品とはいえないのかもしれないが、それが一般の読者を遠ざけるようなものにはなっていない。
複雑に絡み合っている糸が解かれてプリズムが浮かび上がる時、小説を読むということの快楽を実感できる作品となっている。


とはいえマシューズが書いている「ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』を思わせるような癖のある謎探求もの」の長編というのも翻訳を期待したいところでありますが。

訳者の木原善彦さんによる人物相関図はこちら。僕は記憶力が悪いもので行きつ戻りつしながら読んだもので(「あれ、これって誰でこの人とどういう関係だったっけ」といった具合に)、これが手元にあると便利。ただ最初はこれを見ずに読み始めて、途中で混乱してきたらちらっと確認するほうがいいかも。「あの人とこの人ってここでつながっていたのか」とか「あの事件のあの人はこの人だったのか」というのがわかる瞬間というのはまさに「精緻なパズル」のピースがぴたっとはまったような感覚がありますから。




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