『カフカと映画』

ペーター=アンドレ・アルト著 『カフカと映画』





1919年に、カフカはある手紙で自分は「映画に恋して」いると書いている。1909年から13年にかけての日記や手紙では映画について熱心に書き綴っている。この事実は親友にして伝記を書いたマックス・ブロートが紹介したこともあって早い段階でかなり広く知られていた。

『アメリカ』の後書きで、「ブロートはグロテスクト内のグロテスクで滑稽な場面を引用し、そこに後期チャプリン映画の痕跡を見出していた。ヴァルター・ベンヤミンの1930年代初めのメモには、カフカの「映画的モティーフと終末論的モティーフの調和」について書かれたものがあった。

ベンヤミンのそのメモにはこうあるという。「カフカ解釈の真の鍵を握っているのはチャプリンだ。チャプリンの描く状況では、ほかに例のないかたちで排除されていること、社会的権利を剥奪されていること、永続的な苦痛を受けていることが、貨幣制度、大都市、警察といった今日に生きるわたしたちの特殊な状況と結びついている。同様にカフカにおいても、あらゆる出来事が両面性を持っており、考えられぬほど古く、いつの時代のものか不明なのだが、他方では最新のジャーナリスティックな意味での時局性を備えている」。

他にもアドルノなどがカフカと映画との関係について言及してるが、このような例は少数で、概ね軽視ないし無視されるという状況が続いてきた。
ハンス・ツィシュラーは96年に『カフカ、映画に行く』を刊行した。カフカが実際に見た映画を突き止め、また失われた作品についてその復元まで試みたこの本を著者も高く評価している。しかし「狭い意味でのカフカの文学作品は、ツィシュラーの研究では対象から除かれている」。そしてアルトは本書において、カフカ文学と映画(とその前身であるキネマトグラフ)が、その手法においても主題においても深い関係にあることを明らかにする。


まず押さえておかなければならないのが、映画が当時は新しいメディアであったということだ。現在ではほとんど意識されることはないだろうが、当時は「映画が、精神的な因果関係による動機づけに頼っていた文学の伝統的な幻想の美学を、「反=心理学的な外見的見世物」によって置き換えるものであるという仮説が成立する」と考えられていた。映画の「新しさ」はその身体性、運動にこそあったと当時の観客は感じていたのだろう。「映像が動くことにより、因習的な物語の進行に典型的であった内面的レベルから、身体の動き、身振りや演技を基調とする外面的レベルに重点が移動する」。
ベンヤミンはカフカの短編「兄弟殺し」について、こう書いている。「カフカはあらゆる身振りの背後で――エル・グレコのように――天を切り開く、だがエル・グレコ――彼は表現主義の守護聖人であった――の場合のように、決定的なもの、すなわち事件の中心には身振りがある」。


カフカの映画からの影響はこれには留まらない。『失踪者』/『アメリカ』の七番目の章にはカール・ロスマンの逃走場面がある。この描写は「典型的な映画的手法があらわになっている」。スラップスティック的なこの滑稽な場面は、「イメージの連続化と冷静な省察とのコントラスト」によってより効果的になっている。ロングショット、ミドルショット、クローズアップといったあたかもカメラの動きや編集をなぞるかのような描写によって、読者は状況を客観的に把握しつつも登場人物の主観にも触れることができるようになっている。

1914年に執筆していたと推定される『審判』のラストもまた、極めて映画的構成となっているとしている。処刑人の登場からKの逮捕と拘留という「力動性の要素は、映像を連結させる構造それ自体のなかに移管されている」。
「叙述の諸要素のなかからひとつのシークェンスがつくりあげられ、そこで構成要素が内なる秩序の形成を可能にする」。「私たちが直面する構造においては、運動が叙述の進行の内容的要素であるだけでなく、中心的な形式要素をなしている。どちらにおいても、状況的な枠――逮捕、逃亡、警察の取調べ――が、映画特有のテーマを指向している」(p.103)。


その他にもカフカの作品には細かな描写や登場人物の名前などで、映画への目配せともいえるものが散見される。しかしカフカはある時期以降映画への言及をほとんどやめてしまう。無論言及していないから見ていなかったとすることもできないのだが、また映画(の技法)がカフカにとって心奪われるものでは必ずしもなくなっていったであろうことは推測できる。アドルノはカフカの死とサイレント映画の死がほぼ同時期であることを指摘しているが、カフカにとってはサイレント映画の死はそのまま映画そのものの死であったのかもしれない。

しかしカフカの存命中にサイレント映画は死を迎えたのではない。逆にいうなら映画との共振はまだ続いていたのかもしれない。
著者は『城』における城の外観がどこからやって来たのか、そのモデル探しを行っている。カフカは結核治療のためサナトリウムに入っていた。そこから何度か遠出をしているが、オラヴァ城を訪れた可能性もあるという。確かに『城』における描写とオラヴァ城の外観とには類似があるようだ。そしてこのオラヴァ城はヴィルヘルム・ムルナウ監督による『吸血鬼ノスフェラトゥ』のロケに使われた城でもあった。『城』の執筆と映画の撮影はほぼ同時期に行われていた。つまりカフカがこの映画から影響を受けたという可能性はほぼないのだが、カフカの創造力/想像力が依然として映画的であったことを示す偶然と考えたくなってくるかもしれない。


最後に著者があげるカフカとキネマトグラフ的執筆についての八つの特徴のまとめをちょっと長く引用しておこう。

「一、カフカがテクスト内でイメージ群を結びつけるとき、そこには映画に似た印象をもたらす連続化の構造が見出せる。二、カフカは映画の映像をテクストにとり入れ、そのことが間メディア的な緊張関係を生み出す。読者はそれをすぐに認識することはできず、モデルを参照しながら再構築しなければならない。三、カフカは日常生活でのさまざまな知覚の印象を、テクストのなかで力動的な連続体として連結し、それによって映画の映像のように構成する。四、映画的イメージとテーマが、叙述のモデルとして引用される。それは文学作品のストーリーにフィクションの範例を提供し、その方法において新しいテーマを供給する。五、映画のモティーフを翻案することにより、しばしば観察的のプロセスを表現することへの集中が生み出され、それによってメタフィクション的次元が獲得される。その次元は、映画の場面の中心的要素として観察行為が、文学では観察の対象となるという事実の内にある。六、キネマトグラフ的叙述とは、反心理学的叙述である。それは初期の映画という背景のもとに、身振りと表情を通じて「表層の美学」(クラカウアー)を現出させることによって、人物を操る衝動を外面化するものである。七、本質的には映画は、カメラの視界という視点的要素を経由して叙述のなかに入りこむ。カメラの視界は、俳優の位置(物語論的にいえば、内的な焦点化の位置)を占め、コメントは加えず、さしあたっては<冷たく>事件を眺める。八、映画は人物の情動的状態への集中を可能にすることにより、文学テクストに緊張を高める新しいテクニックを贈与する。人物の情動状態は、その原因をつくった者への<リヴァース・ショット>を用いることなく提示される」(pp.193-192)。





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