『佐藤君と柴田君の逆襲!!』

佐藤良明 柴田元幸著 『佐藤君と柴田君の逆襲!!』





佐藤君と柴田君が帰ってきた!
書き下ろし部分などでは二人の掛け合いもあるが、多くは発表時期も媒体も様々なため、身辺雑記から書評、翻訳論、英語論などいろいろ具沢山の寄せ鍋風エッセイ集。
それでもあえて全体を貫くテーマを挙げるとすれば佐藤君と柴田君の類似と差異についてということになるのかもしれない。


二人は似ているようで違う、違っているようで似ている。
共にアメリカ文学研究者にして東大教授、翻訳家。いつの間にやらかつて住んだ町に帰ってくる。
しかし佐藤君は大学教師はスパっと辞めてしまったし、故郷群馬の様変わりしていく街並みにとまどいつつもダジャレだらけのラジオDJなんか始めちゃったりして、まさに転がる石には苔むさない、「ローリング・ストーン」であり続けている。一方の柴田君は懐かしき少年時代の思い出にふけっているようで次第に幻想(妄想?)の世界に迷い込んでしまう。しかしここにあるのはただのノスタルジーなどではない。記憶など信用できないものだということはもちろんわかっている。


佐藤君による柴田君評、柴田君による佐藤君評があるが、佐藤君は柴田君が『佐藤君と柴田君』ですでに「自分は猪突猛進断固前進のprogress的世界にはついていけないが、proceedの方は「決まった枠にしたがって、一歩ずつシコシコ進んでいく」という軟弱なイメージが、翻訳という行為ともよく似ていて、しっくり来る」としていることを指摘している。「主張することがは滅多にない柴田君が、頑固なくらい一徹に退けるのがこの「世の中を前進させる」という姿勢である。進歩とか前進とかいう話になると、すっと身を引く。この点に関して彼はぶれたことがない」。
「「進行」はあっても「道程」はない。「僕の前」にも「僕の後ろ」にも道はできない。進路をめぐる実存主義的対峙もなければ、弁証法的止揚もない。そもそも否定や否認に欠けているかのように思われる柴田君の洞窟は、あまりにスマートに七〇年代的であって、そういうのに接すると佐藤君の中にたまった六〇年代の残骸が、風に吹かれてカラコロ音を立てるのである」(「シャコタンとショコタン」)。

といっても柴田君は保守反動親父などでは決してないし、世の中を斜に見る皮肉屋だということでもない。
柴田君は「立ち位置」という言葉をめぐっこう書いている。「ポストモダンなんて言葉は誰も使わなくなっても、自己完結したアイデンティティといった発想はあまり有効でなく、関係の網の目として自己を捉えた方が懸命だということが直感でわかるようになっていて、それがたとえば「立ち位置」という言葉に表れている気がする。また「キャラ」にしても、自己の人工性・着脱可能性が見えてくるからこそ出ている言葉だろう。こういう言葉の方が、対極の発想から出てくる「自分探し」などよりずっとまっとうに聞こえる。/ただしここには、どういう位置に自分が立つべきか、どういうキャラを演じるべきか、という全体奉仕・反個人主義的な前提も見え隠れしていて、それがエスカレートすると「自己責任」「KY」といったファシスト用語につながるのだろう」(「おぢさん風現代日本語辞典」)。
このあたりは70年代以降の若者(だけに限ったことではないが)につきまとうポストモダン(風)の軽やかさと息苦しさとを簡潔に言い表しているようでもある。

柴田君といえばそのいい人っぷりは有名で、一癖も二癖もあるのが当たり前のこの業界の人でもその人格を悪く言う人はまずいないのではないだろうか。
柴田君の卒論は確かヴォネガットであったと思うが、ヴォオネガットの『ジェイルバード』には有名な「愛は負けても、親切は勝つ」という言葉が出てくる。『ジェイルバード』は79年発表であり、「ラヴ&ピース」が敗れた後の世界における一つの行動指針であるといえよう。「七〇年代的」である柴田君のいい人っぷりはヴォネガットの言葉を体現したものなのかもしれない。「progress」的(ラヴ&ピース的?)ではないが「proceed」的に、 「一歩ずつシコシコ進んでいく」のだという。


な~んて堅苦しいことを考えたりしないで、手配していたはずの弁当が届かずにパンでも買って済ますかとなった時に、「たけの弁当にこだわる人はいますか」と叫ぶ佐藤君の姿を想像して(なんという言葉のチョイス)爆笑したりすることもできる一冊であります。


その他気になったところといえば、佐藤君はピンチョンの『重力の虹』の翻訳について何箇所かで触れているのですが、はたして予定通りに今秋に刊行されるのでしょうか。

柴田君はトーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンの、「各都市の自転車事情からはじめた、きわめてまっとうな都市論、地域社会論」であるBicycle Diariesという本を紹介している。これは「モンキービジネス」の「猿の仕事」(まだ残ってます。こちら)で読んだ時から気になっていて、デイヴィッド・バーンだしもしかしたら邦訳が出るかもなんて期待したりもしたのですがやっぱり厳しいのかな。
この本では東京については取り上げられてはおらず、日本についての記述は二つ。「1 日本人は外国人に体を触らせたがらないので、外国人医師などを雇う代わりに医療ロボット技術を発展させた」、「2 日本の自転車置場は、シネマコンプレックスなどで無料の二階建てバイクラックがあったりして、立派である」とのことである。
「なかなか極端な国に見えているみたいですね……」。ですね……



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佐藤太郎(仮)

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