『フリーダム』

ジョナサン・フランゼン著 『フリーダム』





物語はウォルター・バーグランドのワシントンでの環境問題をめぐるスキャンダル記事から始まる。2年前まで住んでいたセントポールの地元紙には報道されなかったが、『ニューヨーク・タイムズ』をチェックしていたかつての隣人はその名に気づいた。「<グリーンピース>よりグリーンなあのウォルター」がなぜ。いや、それも奇妙なことではないのかもしれない。思えばバーグランド夫妻には「少しまともでないところ」があった。
ある隣人はバーグランド夫妻を「よくいる罪悪感過剰なリベラル、おのれの恵まれた境遇がうしろめたいばかりに他人にも寛大にならずにはおれず、その特権的地位にふさわしい勇気を持てない、そういった類のリベラルなのだ」と考えていた。しかしそれにしては妙なところもあった。バーグランド夫妻は罪悪感を覚えるほど裕福には見えないし、妻のパティは専業主婦で「進んだタイプ」のフェミニストなどではなかった。おまけに政治の話となると奥歯に物がはさまった物言いではぐらかす。さらに息子のジョーイはあろうことか共和党支持の隣家に住み始めるという奇行まで始めていたのだから……。


「Liberal」という英単語のねじれは有名だ。もともとイギリスでは政治的には自由主義を表していたはずが、アメリカでは、とりわけF・D・ルーズヴェルト政権によるニューディール政策以降は政府の役割を重視する中道左派という意味になってしまう。アメリカでは「自由」を声高に唱えるのは「保守」の側だ。では共和党が訴える自由とはどのようなものだろうか。一生かかっても使い切れないほどカネを持っている人間がさらに金持ちになる自由、貧しい人々を見殺しにする自由、木を切り倒して森を滅ぼす自由、伝統の名のもとに因習を押し付ける自由。そんなものは本当に「自由」と呼ぶべきなのだろうか。金持ちの子どもが行きたくないからとって大学に進学しないのは自由を行使したことになる。しかし貧しい子どもが経済的理由から進学を諦めたとしたら、それは選択をする自由が初めから存在していないということだ。誰もが自由にあるためには政府が一定の役割をはたす必要がある……。
このような「自由」をめぐるねじれはどの国にも存在しているが、「Liberal」という単語の使われ方に象徴されるようにとりわけアメリカでは極端な形をとっている。


この物語の登場人物たちからは「業」のようなものを感じてしまう。親を見て「ああはなりたくない」と思うが、気がつけば自分がそうなっていく。子どもを自分のように苦しませたくないと思うが、親と同じように苦痛を与えてしまう。
登場人物の誰もが強烈なコンプレックスを抱えている。しかしそのコンプレックス(複合体)を解きほぐすのには初級心理学で十分だろう。登場人物たちの抱える葛藤はわかりやいもので、論理的に解釈することは容易である。事情を知れば不合理な力に突き動かされている人物などいないことがわかる、ある意味では類型化された存在であるといっていいだろう。それゆえに読者は、たとえ自分たちに似た生い立ちや境遇にない人物に対しても感情移入がしやすくなる。
といってもフランゼンは宿命論やソープオペラ的書割型キャラクターを描きたかったのではないだろう。このようないささか類型化された設定やキャラクターは、1970年代から現在までの現代アメリカ精神史を一家族とその周辺人物を通して表現するために導入されたものであろう。

フォークナーは『響きと怒り』などで没落していく南部をコンプスン家の崩壊と重ね合わせた。フォークナーは南部的価値観にアンビヴァレントなものも感じつつ、基本的には南部の精神に殉じようとしたとすることができる。
『フリーダム』は家族の物語に女性への暴力が入り込むという点で、ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』や『ホテル・ニューハンプシャー』などを連想させなくもない(ウォルターの両親はモーテルを経営することになる)。しかしアーヴィングにとって家族とは、伝統や因習の徴ではなく、連帯を表すものであり、その連帯は所与のものとして初めから存在しているのではなく苦闘を通じて獲得されていくものである。アーヴィングはレーガン的な「家族の価値」などではなく、リベラルな(自由であり寛大でもある)「家族」に象徴される連帯を信じている作家だという部分もあろう。

『フリーダム』の主要登場人物は(そしてフランゼン自身も)1950年代生まれである。つまりヴェトナム戦争を子どものころに経験している。ヴェトナムへの直接の言及はないものの、作品の世界観は間違いなくポスト・ヴェトナム的なものである。第一次大戦でも第二次大戦でも、戦後になると反戦文学などが登場し、戦争を相対化しようとする動きがあった。しかしこれはあくまで戦後のことであり、多くの人は戦時中は戦争の正義や大儀を(少なくとも表面上は)信じていた。ヴェトナム戦争がこれらとは決定的に異なるのは、戦争中に多くの人にとってすでに正義や大儀が失われてしまっていたことだ。最早「正しさ」を無条件に信じることができないということが子ども時代に決定づけられている。もう何事にも殉ずることなどできないのだ。

ウォルターの大学時代からの親友のリチャードはミュージシャンであるが、あえてその音楽をジャンル分けをするならアート系パンクとでもいうものになろうか(その時代と名前とキャラクターからリチャード・ヘルを想像してしまう。登場人物と同じ名を持つパティ・スミスには言及があるのにヘルへの言及がないところは、パティがパティ・スミスとは似ていないところも含めてかえって臭う。)。作中のリチャードのバンドの客はインテリ風の白人が多い。最早ロックは労働者階級の成り上がりの手段でも抵抗の証でもない。リチャードは成功を目の前にするとするりと身をかわしてしまう。おいおい、今は60年代なんかじゃないんだぜ、ロックスターなんかやってられるかよ、とでも言うかのように。もうロックを無邪気に信じることなどできはしないのである。


『フリーダム』では「リベラル」と「保守」の偽善と欺瞞とを徹底的に暴いているが、70年代以降に大人になった人々にとっては、それは暴露されるものではなく自明のものである。ウォルターはその偽善と矛盾を最大に引き受けたキャラクターであろう。環境保護活動家としては倒錯的としか思えない仕事を引き受けることになる。これはウォルターの「理想主義」がそうさせたのであろうか、「現実主義」がそうさせたのであろうか。
パティはセラピーとして自伝を執筆するが、それは三人称として書かれている。しかしそれでいて「筆者」は自伝の中に介入もしてしまう。三人称という相対化の重力から逃れることはできないが、しかしその重力が生み出す重みを受け止めるだけの客観性を保つという幻想を持つこともできない。

何もかもが出口のない迷路のような隘路にはまり込んだとしか思えないし、そのことを上から俯瞰してしまいさえできてしまうことがその苦痛を一層ひどくさせる。物語の結末は感動的とも不気味ともとれるものとなっている。我々はグロテスクさと惰性という泥沼に足をとられつつも、それでも歩みを進めていくしかない。もう戻るにはあまりに遠くへ来てしまったのだから。
アメリカのみならず世界の多くがそんな時代に生きているということを鮮やかに、そして痛々しくも見事に描いた小説である。


『フリーダム』では時間軸にも微妙なねじれを生じさせ、現在と過去とがシームレスに行き来し、それがあたかも思考しながら記憶を辿っているかのような感覚を与えるのであるが、このあたりは「ポストモダン的」と思わせなくもないものの、基本的にはストレートな家族小説としていいだろう。
フランゼンの前作『コレクションズ』の訳者あとがきにはドナルド・アントリムによるインタビューが紹介されている。ここでフランゼンはピンチョンやデリーロとの関係について、「ポストモダン作家の第一世代は自分にとって父親のような存在であり、今も憧れ尊敬しているが、自分としては外の大きな世界に飛びだしていくだけではなく、“家に帰ってくる”ことも必要ではないかと思うようになった」と語っている。この言葉の通り『コレクションズ』も『フリーダム』も家族小説となっている。
家族を「コレクト(修正)」していく『コレクションズ』は感動的であると同時に「保守的」(それを肯定的にとるか否定的にとるかはともかくとして) という疑いが湧かないこともなかったのだが、同じ家族小説といっても『フリーダム』のほうが遥かに冷徹で、研ぎ澄まされたナイフで頬をなでられるかのようなひんやりとした感覚が背筋を通る。それでいて両作ともに笑って泣ける、「普通」の小説としても十分に楽しむこともできる。訳者あとがきにはフランゼンが『タイム』誌の表紙を飾り、「偉大なるアメリカ小説家」なるキャプションを付けられたというエピソードに触れられている(記事はこちら)。フランゼンは「まあありがたい話だけど、そこまで持ち上げられたらあとは落ちるしかないよね」「できればむしろ、ただの小説、ただの本として純粋に楽しんでほしい」といった趣旨のコメントを残しているそうだが、エンターテイメント性とテーマの深度を高いクオリティのままで融合させるというところは確かに「国民的作家」になる要素は十分であろうと思う。



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佐藤太郎(仮)

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