『人生なんて、そんなものさ  カート・ヴォネガットの生涯』

チャールズ・J・シュルツ著 『人生なんて、そんなものさ  カート・ヴォネガットの生涯』




1965年9月、カート・ヴォネガットは一人アイオワへ向けて車を走らせていた。出版していた小説はすでにほとんどが絶版。亡くなった姉夫婦の子どもを引き取ったことで家計もさらに苦しくなっていたうえに夫婦仲も冷えていた。アイオワ大学で教職に就くことは収入を得られるだけではなく、騒々しい家庭から一時逃避することでもあった。なに、合わなければすぐに辞めればいいさ。それに気になっている二十歳下の女性に積極的に言い寄るいい機会にもなる。
この頃ヴォネガットの生活は荒んだものだった。「暴飲と、一生敗者のまま終わるのではないかという恐怖のせいで歯止めが効かず」、「かんしゃくをおさえられないことが多く」なっていた。娘のイーディーが児童劇団の舞台に立ったが(イーディがサインをした客の中にはあのキャロライン・ケネディもいたそうである)、終演後、ヴォネガットは娘について下品なジョークを口にした男を駐車場に連れ出すと、その男を殴り倒すという事件も引き起こしていた……

「序章」においてこのようなマッチョなヴォネガットの姿が描かれているように、本書はヴォネガットの浩瀚な伝記として高い評価を得ると同時にある種のファンを戸惑わせ、一部の遺族の怒りをかうことにもなる。


とりわけ『スローターハウス5』以降、メタフィクション的に自作にしばしヴォネガット自身が登場し、自伝的エッセイ風のものを小説に取り込んでいくことになる。ヴォネガット作品の愛読者ならば、ヴォネガットの母がヴォネガットの出征中の母の日に自殺をしたこと、姉夫婦が恐ろしい運命の偶然にさらされたこと(夫が列車事故で死亡した36時間後に妻は乳癌のため死去し、残された子どもたちをカートが引き取ることになる)、強い鬱に襲われ自殺の誘惑にかられたことなど、ヴォネガットの伝記的事実をよく知っている気分になる。
もちろん作中に登場するヴォネガットはあくまで「小説」の中に組み込まれたものである。しかし、そうとはわかっていても、本書を読むと困惑にかられるかもしれない。


ヴォネガットは自分の少年時代を不幸なものだったと振り返っている。兄のバーナードは後に著名な科学者になるように非常に優秀であり、姉のアリスは幼い頃に病気をしたせいもあって甘やかされる癖がついていた。末っ子のカートは両親から余計者扱いされていたと感じていた。兄から「お前は事故だった」とまで言われ、後々まで自分の人生に介入してくるバーナードへの恨みを抱き続けた。「カートは、子ども時代の自分にとっては″いじめっ子″だった兄と完全に和解することなく、必要以上にわだかまりを持っていた。だが人生の選択に干渉されたことを兄の前で口に出して非難したことはなかった。いえなかったのだ。それをいえば、兄が上に立っていることを認めることになるから。兄との関係について書くときも、自分の感情を押し殺していた」(p.567)。

本書をどう評価するかは、ヴォネガットの小説やエッセイになじんでいる読者にとってはにわかには信じがたいこの兄との関係についての記述に納得がいくかがリトマス試験紙になっているかもしれない。
註を見ると確かにヴォネガットは兄への恨み言をインタビューなどで披露しているようだ。しかしその多くが晩年になって行われたインタビューである。
一般論として、不仲な家族が表面上はそれを取り繕ったり、あるいは逆に仲がいいからこそ人前で悪態をつけるということもあるだろう。そして同じ出来事であったとしても、その時々の置かれている状況や精神状態によって受けとり方や語り方がまるで異なるということもある。ましてや家族間の感情とくればなおさらであろう。やさぐれていたり、鬱状態にあったりすれば、そうでない時には思ってもみないことを口にしてしまうこともあるかもしれない。本書によるとヴォネガットの晩年は精神的にはかなり不幸なものであったようだが、そうであればなおさらこれらのインタビューを字義通りに受けとっていいものだろうかという疑問が湧かないこともない。

初の長編『プレイヤー・ピアノ』をはじめとする初期のいくつかの作品に、ヴォネガットがGEの広報を務めていた時の体験が反映されていることは有名だが、この職を斡旋したのはGEに勤務していたバーナードであった。本書では他にもいくつか職のあてがあった中でGEを選んだとされている。もちろん金銭的に一番条件が良かったせいもあろうが、それにしてもカートが生涯に渡って兄に変わらずにわだかまりを抱き続けていたなら、このような申し出を受けることがあったのだろうか。本書には長年の友人や恩人に対しても冷徹な態度を取って愕然とさせたという記述があるだけになおさらである。


本書において最も印象の悪い人物は二番目の妻ジルだろう。とにかくヴォネガットが哀れにしか思えない、悪妻ここに極まれりという感じの人物として描かれている。離婚をめぐるいざこざが数度にわたって繰り広げられたことは間違いなく、長年冷え切った関係であったこと確実ではある。ただ著者は晩年の夫婦関係について、多くをヴォネガットの最初の妻ジェインとの間の娘たちや、かつての愛人でその後もカートと親しくしていたロリー・ラックストローのようなジルとは利害が対立するところもある人物から情報を得ている。

「訳者あとがき」に「再版や翻訳版では著者の意向によりカットされているが、初版にはシールズがヴォネガット本人に伝記を書くことを認めてもらうにいたったいきさつが細かく書かれている」とある。『カート・ヴォネガット』には増田まもる氏による本書の「徹底レヴュー」が収録されているが(こちらを参照)、それによると著者はジルから事実上取材を拒否されているのである。なぜ著者がそのあたりの経緯を説明した部分をカットしたのかはわからないが、この事実を知っていたら、ジルについての記述が公平なものであるかについて読者は留保する部分が増えることになるかもしれない。


そして最もショッキングであるのは、「カートは金を生み出すには資本主義が最善の方法だと信じていて、自らかなりの額を投資していた。カート・ヴォネガットが、露天掘りをしている企業やショッピングセンターの開発業者やナパーム弾の製造会社に投資していたことを知ったら、読者は衝撃を受けただろう」(p.422)という部分だろう。しかし著者は詳細な註を付しているにもかかわらず、この「自ら」、「ナパーム弾の製造会社に投資していた」ということの情報の出典は示していない。また直前にはヴォネガットは「自分とジェインの名義でさらに大きな投資もファーバーに託し、運用をまかせた」(p.420)とある(ファーバーはヴォネガットのエージェント)。ここと合わせるなら、ヴォネガット夫妻の資産がこれらの企業に投資されていたのかもしれないが、それはファーバーのやったことだという可能性もあろう。また増田氏の前掲文によると息子のマークはこの投資そのものを否定しているそうである。


60年代中盤以降、ヴォネガットはラディカルな政治的傾向を持つ若者から英雄視されることになる。しかし「ヒッピーママ」となり、マハリシのメディテーションや反戦運動、ユージーン・マッカーシーの選挙運動にのめり込むようになったジェインを、ヴォネガットは冷ややかに見ていた。しかしその一方で読者受けを狙って公にはリベラルなパブリック・イメージを作り出そうとしていたのであった、といったあたりもヴォネガットのファンには素直には受け入れがたいものがあるだろう。
またヴォネガットが小説などでしばし言及したアメリカ社会党の大統領候補ユージン・デブスについて著者はあまり重視していないのか、言及も少なく、このあたりに著者の姿勢が垣間見えると感じる人もいるかもしれない。

確かにヴォネガットは「急進派」というよりは「保守的」な側面もあったことだろう(世代を考えれば当然のことでもある)。
アポロの月面着陸の際にはテレビに出演し、「地球上の貧困根絶より前に宇宙探検を遂行したことは、″批判されて当然″だと話し」、「非国民」「華々しい出来事を台無しにした」という罵倒を浴びせられた(pp.372-373)。明記されていないが時期を考えるとスリーマイル島での事故をうけてのことだと思うが、1979年5月には反原発集会に登場し、「原発産業の報道対策アドバイザーたちを「きたならしいチビザルども」と激しく非難した」。「ぼくは彼らを憎む。彼らは自分たちをかわいいと思っているが、かわいくなんかない。彼らは臭い。我々がほうっておけば、彼らは、今日我々が主張したことに、臭くて愚かな嘘を並べて反論し、この美しいブルーグリーンの惑星すべてを殺してしまうだろう」と語った(p.481)。
これらをいかにもな、なんとなくの反体制風ファッションをまとっているだけと揶揄することもできるかもしれない。

しかしまた、ドレスデン空爆などの戦争体験からくる反戦の念は強固であり、また自身の著作がしばし禁書リストに載せられたこともあって言論出版の自由に対する思いも強いものがあったことも疑いえない。


著者はいささか偶像破壊的な部分を拡大し、センセーショナリズムに走りがちなきらいがあるのではないだろうか、という疑問を抱く人もいることだろう。実をいうと、個人的にはヴォネガットの母イーディスの自殺についての箇所で著者についてかなりの先入観を抱いてしまった。

ヴォネガットは「母の死の原因は、繊細過ぎて時代に適応できなかった性格的な弱さだと語っ」ていた。「母をぼろぼろにしたのは戦争そのものであって、相手がドイツだということは関係なかった」としている」(ヴォネガット家はドイツ系)。しかし著者は、「真相は単純で、イーディスは我慢しながら生きていくことができなかったということだ。一般の人々と同じように生きるなど不可能だったのだ」(p.75)としている。
もともとは裕福であったヴォネガット家であったが、大恐慌もあって生活レベルを落とさざるをえず、これが贅沢になれきったイーディスにとっては耐え難いことであったことは想像に難くない。とはいうものの、「真相は単純」などと言い切ってしまっていいのだろうか。あるいはヴォネガット流に重い出来事を軽くいなしたつもりなのかもしれないが、著者も書いている通り、ヴォネガットは母の自殺は自分が母を愛し足りなかったせいなのではないか、自分は人をきちんと愛することができない人間なのではないか、という深刻なトラウマを抱え続けることになる。ヴォネガットのかなり混乱した人間関係はこの体験も大きな影響を与えていると考えることができるが、このような書き方では母の自殺という出来事に対して、まるでヴォネガットが過剰反応したかのように読めてしまう。

このあたりで著者に対して芽生えた違和感や不信感によって、僕のその後の読み方が過度に疑り深くなってしまったという傾向はあるだろう。
いや、それとも、ここを読む前から、そうするべきではないとはわかっていても心のどこかでヴォネガットを聖人視してしまっているせいで、そもそもから本書に対して警戒心を抱いてしまっていたということもあるのかもしれない。
ある大学生が、ヴォネガットが語る「人間性や思いやりや愛」を鵜呑みにしたかのように装って悪用しようとする話が登場する。このように「ヴォネガットは作品と同一視されることが多く」、「何百万という読者がヴォネガットを、たとえばエリオット・ローズウォーター――「なんてったって、親切でなきゃいけないよ!」――と同じ人物だと信じている」という部分がある(p.462)。
僕自身も、「何百万という読者」と同様にヴォネガットにはエリオット・ローズウォーターのような人であってほしい、いやそうであるに違いないというような思いが生じてしまっていて、そのせいで自殺の件を読む前から、「ヴォネガットがこんな人なわけない、著者が偏っているんだ!」という思いをあらかじめ持ってしまっていたのかもしれない、とも思う。
ということで上記の著者への批判的な見方は割り引く必要があるということはお断りしておきます。


そんなこんなでやや批判がましいことを書いたが、ヴォネガットの著作、関連記事、書簡、その他未刊行のものを含む幅広い資料を渉猟し、さらに著者独自の取材もなされている、伝記として非常に充実したものとなっている。

学業に集中できずに学生新聞への寄稿にばかりのめり込むヴォネガットの姿は想像がつくが、その時の政治的立場は後の姿とは相当に異なるものである。そして学業不振でコーネル大学を中隊し、兵役に志願し、ドレスデン空爆に遭遇する。貧しい駆け出しの作家でありながら浪費癖は激しかったが、その裏には「お金が大好き」という面もあったのだろう。そして自分たちの子どもに加えて姉夫婦の子どもの引き取ったことによる大混乱の子育て。子どもたちはかんしゃく持ちの父親に一様に恐怖心を抱いていたが、時には冗談好きのいい父になることもある(このあたりはどことなく夏目漱石を思わせなくもない)。今や伝説となったアイオワ大学創作科の模様も詳細に語られている(ヴォネガットの「キーツって誰だ?」発言で教室が凍りつがつくが、お別れパーティでこの言葉のバナーが掲げられたことはむしろそれだけ慕われていたことの証だろう)。
ヴォネガットは60年代後半に入ると巨大な成功を手にするが、また創作能力が枯れたのではないかという不安も抱き続け、酷評する批評家に苛立った。
アイオワでの教え子で近所に住んでいたジョン・アーヴィングは80年代のこんな出来事を憶えている。ある日の早朝玄関のポーチに目をやると、ヴォネガットが立っているのに気づいた。アーヴィングがコーヒーを誘い、ヴォネガットはそれを飲み干すと「君も仕事に戻らないといけないね」と言い去っていった。玄関のポーチには吸殻が六本落ちていた。ヴォネガットは長くそこに立ってアーヴィングを待っていたのだ(p.493)。ヴォネガットが当時抱いていた不安や固い絆で結ばれていた師弟の関係もうかがえるいいエピソードだ。これは著者とアーヴィングとのメールとのやり取りがソースになっているが、アーヴィングはこのあたりをエッセイで書いたりしてるのかな。

結婚していながら女性をくどくことは盛んで、また旧友や恩人に唖然とさせるような肘鉄をくらわせるような面も持っていた。これもまたカート・ヴォネガットなのである。
本書からこのようなヴォネガットの姿が立体的に浮かび上がってくる。著者は多面的なヴォネガットの性格の暗い部分により焦点を合わせる傾向があったかもしれないが、(僕を含めて)ヴォネガットをつい聖人視しがちな傾向にある人が少なからずいることを思えば、相対化するいい機会なのかもしれない。

「カートが意識的、無意識的に行ってきた数々の選択によって、多面的な、矛盾さえはらんだカート・ヴォネガット像が形成されてきた。ファンにとっては、反体制的文化を代表するヒーローであり、教祖的存在であり、革新派だ。カートを顧客とする株式仲買人にとっては、裕福な資産家。家族やコミュニティの中心であると同時に、よそよそしい父親。「子ども中心」の家を出て自分の心の健康を保とうとしたくせに、若い女と結婚して、結局また父親にさせられようとしている。アメリカ人の物質主義的な生活を皮肉りながらも、有名人としての享楽的な生活にどっぷりつかっていたのだ」(p.500)と、このような人物であったからこそあのような作品を書けたのだとも思う。

本書を読むと、父親としては勘弁してほしいし、仕事上でもあまり関わりたくないという印象がしてしまうことは否めないのだが、ただ収録されている写真の毎年恒例の「どろんこ競争」にいそしむヴォネガットの姿を見ると、やっぱり心優しき愉快なおじさんなんじゃないかって思いたくもなってくるのだけれど。


その他に気になったところといえば、『スラップスティック』のサブタイトルの「もう孤独じゃない!」について、「一九七二年の選挙の際、カートが民主党副大統領候補、サージェント・シュライヴァーのスローガンに考えたものだった」(p.469)とあるのだが、これってマクガヴァンのためだったと思っていたんだけど……と、文庫本を引っぱり出してみると浅倉久志さんは訳者あとがきで、マクガヴァン派のキャンペーン用に考えられたが全部無視されたと書いている。マクガヴァンではなくマクガヴァン「派」としてあるということでは矛盾していないのかな。それともシュライヴァー個人のために考えられたのが誤って伝えられていたのだろうか。このあたりはよくわからない(ちなみにシュライバーはJ・F・ケネディの義弟で、マクガヴァンの副大統領候補であったイーグルトンのスキャンダルにより急遽副大統領候補となった)。

あとこの『スラップスティック』から名前の「ジュニア」が消えるのだが、これは献辞を捧げたローレル&ハーディのコンビのような「天才的なへまを思い起こさせるような失敗を出版社がやらかす。表紙の名字のあとについている「ジュニア」を落としてしまった」(p.470)結果だったとある。口の悪い人は「ヴォネガットもジュニアがなくなったあたりから冴えなくなった」なんてことを言うけど、これって自分の意思ではなくて偶然の産物だったのだろうか。 

それからさらに余談だが、本書にはC・D・B・ブライアンも顔を出している。この人は村上春樹訳『偉大なるデスリフ』の作者ですよね。ヴォネガットは「ニューヨーカー」のような雑誌に短編が掲載されることを夢見ていたが、それが叶わないままほぼ無名の状態でアイオワへやって来る。一方のブライアンは早くから「ニューヨーカー」に小説が掲載され、長編も高く評価され有名な賞を受けてアイオワへとやって来た。しかしアイオワで書いた第二作の『デスリフ』はほとんど無視されるという結果に終わっている。ちょうどヴォネガットと間逆のようにキャリアが進んでいったのですよね。


息子のマークが本書への対抗として依頼して書かれたのがこちらの伝記。こっちの邦訳は出るのでしょうか。




なんといっても書簡集は出てほしいのだが。




本書でも触れられているマークが精神を病んでしまったときの回想記。




愛人であったロリーの回想。




最初の妻ジェインの回想。




兄バーナードとカートについてのエピソードは『気象を操作したいと願った人間の歴史』にも登場しますね。『猫のゆりかご』の「アイスナイン」誕生秘話も。





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