ノルマンディー、サリンジャー、奇人変人

アントニー・ビーヴァー著 『ノルマンディー上陸作戦1944』





オマハ・ビーチに上陸し調査したスコット=ボーデン工兵大尉は海軍のある場に呼び出され、こんな会話が交わされたそうだ。「閣下、差し出がましいようですが、発言をお許し下さい(中略)あのビーチは実際、恐怖心を覚えるほどの難物でして、途方もない犠牲者が出ることは間違いありません」。ブラッドリー将軍はこう答えた。「分っているよ、坊主、分っているんだ」。
「なぜそこが上陸地点に選ばれたのか。それはイギリス側が担当する左手(東側)の三つのビーチと、やはりアメリカ側が担当する右手(西側)の「ユタ・ビーチ」を除くと、上陸作戦が可能な場所は、そこしかなかったという、ただそれだけの理由からだった」(上 p.25)。

後に「伝説」として語られる、ノルマンディー上陸作戦の中でも最激戦となったオマハ・ビーチからの上陸は妥協的に選ばれ、多大な犠牲を払わなくてはならないということが初めからわかっていたのであった。

「「オマハ・ビーチ」をめざすアメリカ第二九師団「第一一六歩兵連隊」の面々は、連隊長チャールズ・D・キャナム大佐がおこなった訓辞が頭にこびりついて、いまだに離れなかった。要するに、三人に二人は決して故郷に帰れないという身も蓋もない内容だったから。語尾を長く延ばす南部なまりのキャナム大佐は、一種の警告によって、この訓示をしめくくった。「いま腹んなァかに、なァんかあるやつはァ、ここで全部吐きだしておけ」。英歩兵揚陸艦「エンパイア・ブロードソート」でもその頃、イギリス陸軍の上級将校が、同じくらい気の滅入るような言葉を口にしていた。その将校は次のような言葉で、訓示を終えたのだ。「上陸のさい生き残れなくても、心配することはないぞ。増援部隊はたんまりいるからな。そいつらが諸君の屍を乗り越えて、前進していくはずだ」(上 p.148)。

兵士たちはある程度の覚悟はできたいたのかもしれないが、想像を越える凄惨な光景が繰り広げられ、精神はその場で崩壊していった。
「第一一六歩兵連隊」のマッグラス大尉が到着すると、護岸の「底部に兵士たちがびっしりと集って」いるのが目に入った。将校たちはなんとか兵を動かそうと試みた。「まずは話しかけ、われに続けと促してみたが、誰ひとり、ついて来こようとしない。多くのものが恐怖にたちすくんでいるようだった」。ある中尉は「敵の砲火にあえて背を向け、すっくと立つと、「護岸のところで縮こまり、腰が抜け、怯えきり、なすすべもなく、ものの役にも立たない兵隊どもに向かって、こう一喝した。『きさまら、ぞれでも兵士か!』と。その中尉はやれることはすべてやり、護岸の〔背後に隠れている〕第一一六の連中をまとめあげようと懸命に試みたが、効果はなかった」」のであった(上 p.184)。

「彼らは打ちのめされ、ショック状態だった。多くのものが、手にした小火器を使うことすら忘れていた」。

ある軍医大尉は極度のストレスにさらされた兵士たちの模様をこう語っている。「いわゆる“徘徊症”の状態でボートに連れてこられた男を見た。彼は絶叫し、大声で怒鳴り、両手をふり回していた。装備はすべて投げ捨てていた……多くのものが、いまだに海にいるあいだに撃たれたし、負傷したものは海面の上昇によって溺死した。私たちは患者たちに大声で話しかけ、這ってでもいいから動くようにと語りかけた。何人かは言うとおりにした。そうしなかった者の多くは、精神面で、完全に機能不全に陥っているようだった。手足を完全にだらんと伸ばし、そのままの姿勢で動こうとしないのだ。手足そのものは動かせるのだが、単にこちらの指示に反応しないだけなのか、あるいは動くこと自体を、放棄しているのかもしれない」。

「ノルマンディーで活動する、アメリカ陸軍の医療関係者は、交戦によって精神が崩壊した(戦闘ストレス反応」を呈する)兵士があまりに多いため、時おりその数に圧倒されそうになった」(上 p.477)とあるように、このような現象はオマハ・ビーチでのみ起こったのではないのだろう。とはいえ、やはりオマハ・ビーチのそれは群を抜いていたようでもある。


そのオマハ・ビーチ上陸作戦に参加した兵士の中には、『ノルマンディー上陸作戦1944』には登場しないもののJ・D・サリンジャーもいた。サリンジャーの精神はその場で崩壊したわけではなかったが、スラウェンスキーの『サリンジャー』によると、作戦の6日後に書かれた手書きの手紙の文字は殴り書きで、判読が難しかったそうだ(こちらを参照)。これは上陸作戦がもたらした精神的ショックのせいだったのだろうか。しかしサリンジャーの戦争はオマハ・ビーチで終わったわけではなかった。さらに過酷な体験を重ねることになるのである……。

意味のない仮定だが、もしサリンジャーが上記の兵士のようにオマハ・ビーチで精神が崩壊していたとしたら、その後のさらなる激戦に参加することはなかったことになる。サリンジャーは諜報担当として捕虜やナチを尋問し、そしておそらく強制収容所を解放した部隊に参加していた。

サリンジャーの未発表作品が刊行されるのではないかということで騒がしいが、その中には駐留中にドイツで知り合った最初の妻シルヴィアとの関係についての作品も含まれているという。はたしてここでサリンジャーが自らの戦争体験を書き綴ったのかについては出版を待つより他ないが、これまでのところサリンジャーは自身のすさまじい戦争体験について間接的に触れたものはあるが、直接書いた作品はない。おそらくサリンジャーはあまりにも深く傷つき、決定的に損なわれてしまったがゆえに書くことができなかったのだろう。はたしてサリンジャーは自らの最も深刻な経験と向き合うことができたのだろうか。


『ノルマンディー上陸作戦1944』に話を戻すと、上下合わせて千ページ近い大著だけあって、ノルマンディー上陸作戦の直前からパリ解放までが詳細に語られている。

ノルマンディー上陸作戦というとつい海からの上陸ばかり思い起こしてしまうのだが、グライダーやパラシュートで空からの作戦も展開されていた。敵の占領地に降下すると考えただけでもかなりのものだが、悪天候などもあって混乱状況に陥り高度不足のまま飛び降りパラシュートが開かずに地面にそのまま叩きつけられたり、降下中にドイツ軍に発見されて撃ち落とされたり、ドイツ軍の真っ只中に降りてしまうというようなことも多かったそうだ。パラシュートが開かないのも、降下中に狙い撃たれるのも、敵陣真っ只中に降下してしまうのも、想像するだけでおそろしい。


このように、もちろん陰惨な場面が続くことになるのだが、また本書には奇人変人列伝という側面もある。有名なところではアメリカのパットンやイギリスのモンゴメリーも相当なものだが、それ以外にもなかなかすごいキャラクターが登場する。

ラヴァト卿率いる「第一特殊作戦旅団」はソート・ビーチのコルヴィル付近に上陸した。「恩顧のコマンドー隊員たちは、いざ上陸というとき、ヘルメットを脱ぐと、連隊記章の入ったグリーンのベレー帽に被り直した。卿のかたわらには当然、「キャメロン・ハイランダーズ」出身のおかかえバグパイプ奏者、ビル・ミリガンが控えていた。上陸用舟艇から下りるさい、ラヴァト卿はさっさといちばんに出ていった。ミリンは大いに喜んだ。なにしろ卿は六フィート(約一八三センチ)を超える長身なので、そこの海がどれほど深いか、一目で見当がつくのだ。ラヴァト卿の真後ろにいた男は、顔面に銃弾をくらい、その場で倒れた。続くミリンも思いきって海に飛びこんだ。水温は思いのほか冷たく、ちょっと吃驚した。スコットランドの伝統的な“戦闘服”のキルトがミリンの腰のまわりでふわりと広がる。寄せては返す波のなか、浜辺にたどり着くまでのあいだ、ミリンは「ハイランド・ラディー」を演奏してみせた。ラヴァト卿がふり返り、親指を立てて、愛い奴め、と合図してみせた。この曲は、ラヴァト卿のかつての所属部隊、イギリス「近衛師団」を構成する連隊のひとつ、「スコッツ・ガーズ」の行進曲なのだ。迫撃砲の爆発音、阿鼻叫喚、小火器の発射音が腹にこたえるなか、ラヴァト卿がミリンに言った。どうだ、そのへんを行ったり来たりしながら、部下全員が上陸を果たすまで、「ザ・ロード・トゥ・アイルズ」を吹いてくれんか、と。たってのご所望ではあったが、さすがのミリンも一瞬、わが耳を疑った。「ビーチ」にあがった兵士たちは、最初は仰天したものの、大半のものはこの趣向を大いに気に入ったようだった。ただ、こんな行為、気が触れているとしか思えんと考える人間も中にはおり、ひどく不穏な顔つきをしているものもいた」(上 pp.257-258)。

ラヴァト卿は内陸部へと進行していき、まるで鹿狩りでもするかのようにドイツの狙撃兵を撃ち落としていく。その「次元をこえた勇敢さ」から、「マッド・バスタード」と呼ばれるようになる。
ラヴァト卿たちはある橋の確保を目指していたが、それに先んじてイギリス陸軍「第六コマンドー」第三中隊がその橋を渡っていた。「第六コマンドー」にはベルギー、オランダなどの兵士がふくまれていたが、中でも「X中隊」は「ほぼ全員がドイツ系ユダヤ人の海外逃亡者で構成されていた」そうだ。「「X中隊」のメンバーには全員、イギリス風の名前が与えられていた。さらに、万一捕虜になった場合に備えて、認識票には「宗教:英国国教会」と記されていた。いずれも生まれながらのドイツ語遣いなので、捕虜の尋問にさいし、彼らは極めて有用であることに、ラヴァト卿はたちまち気がついた」(上 p.259)。

このエピソードって有名なのだろうか。そしてタランティーノは知っていたのだろうか。


またイギリス軍の連絡将校、ウェイマス子爵(ほどなくして第六代バース侯爵になる)にはこのような話がある。「ひどく背の高いイギリス貴族で、戦況をその目で確認するため、何度か前線のドイツ側にまで足を延ばしていた。また一本の紐につないだアヒルを二羽連れて、散歩をたしなむ習慣を持っていたため、変人という評判をとっていた」そうである(下 p.28)。

なぜアヒル、そしてなぜ一本の紐に二羽つなぐのか。

こういうのを見ると、イギリス人に変人が多いのか、イギリス貴族に変人が多いのか、イギリス貴族で軍人になったのに変人が多いのかということを考えてしまいたくなるのだが、アメリカのパットンのことを考えてみるとイギリス云々ではなく、ある時代までは軍人というのは多かれ少なかれこういうものだったのかもしれない。
今となっては物量で圧倒する連合国が勝つのは当たり前のように思ってしまうが、アイゼンハウアーのような穏健な性格をした人物がトップにいなければ、英米の連携は空中分解して自滅していた可能性もあったのかもしれない、なんてことを考えるとぞっとしてしまうところでもある。


パットンとモンゴメリーについてはやはりこの映画の印象が強烈。パットンはシェル・ショックの兵士を平手打ちして大問題となることが本書でも映画でも扱われている。サリンジャーの精神に異常が生じるのは戦争終結後であるが、もしパットンのようなのと出会っていたら症状はもっと悪化してたのかもしれない、なんてことも思ってしまう。




ドキュメンタリー映画と合わせて出版されたShieldsとSalernoの新たな伝記だが、未読なのでなんともいえんが書評では評判は今一つですね。映画はどうなっているのでしょう。




やはりスラウェンスキーのこちらの伝記を超えてはいないっぽいですね。





プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR