『クロニクル』

『クロニクル』

見た人が軒並み高評価だったのでかなりハードルを上げて行ったのだが、期待を裏切らないどころかそれをはるかに超えるくらい素晴らしい作品でした。
それだけにここまで公開が延びたうえに首都圏限定とかいう形になってしまったのは残念。そりゃ確かに知名度の高い人は出ていないけれど、中田ヤスタカのカプセルもクレジットにあるなど(気がつかなかったけど使われてたのはあのシーンしかないですよね)日本とも無縁ではないのですから。

以下ネタバレは気にせずにいきますので未見の方はご注意下さい。



とはいっても、この作品はネタバレ云々というものではない。鬱屈しているいじめられっ子が凄まじい超能力を得たらどうなるのか……というと、そう、あとは御想像の通りである。

悲惨な家庭環境にあり、激しいいじめにあい、ようやく承認願望がかなえられたかと思いきやそこから暗転し、暴走を始めるといえばなんといっても『キャリー』を想起せずにはいられない。
この作品を見た人の多くが大友克洋を、中でもとりわけ『童夢』を連想しているが、不勉強を告白しておくと僕は大友作品は映画版『AKIRA』しか見ていないもので『童夢』との関連はわからないのだが、確かに大友作品を思い起こさせる展開、描写が多い。そもそもが日本の少年漫画にはこのようなアイデアに基づくストーリーの作品は山のようにあるだろう。
さらに映像は全て登場人物が回すカメラによるものだというあたりも、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』をはじめよく見られるものだ。
極端にいえば、『クロニクル』はプロットにしろ手法にしろ目新しいものは何一つとしてない。それにもかかわらず、ではなく、それ故にこの作品の素晴らしさは際立っている。


アンドリューの家庭環境は悲惨そのものだ。母は重い病を患いほぼ寝たきりで一日中から咳きを家に響かせ、元消防士の父親は仕事中のケガで保険金を得て一日中酒びたりで暴君のように振る舞っている。アンドリューはこの父親をただ単に憎むのではなく強烈なコンプレックスを抱えていることが後のある行動が示される。

さらに学校生活においても、アンドリューはいわゆるスクール・カーストにおいて最下層に位置しているといっていいだろう。(アメリカなので車で)送り迎えをしてくれている同じ高校に通う従兄弟のマットも学校ではアンドリューと一緒にいるところを人から見られたくないようだ。
アンドリューはまさにどこにも行き場のない状況にあり、このあたりが本当に胃がキリキリするほどの迫真さで描かれている。ここをおろそかにしてしていたら、この作品の魅力は半減していたことだろう。

またマットはショーペンハウアーやユングなどを読んでいるのだが(ニーチェでないところは後の展開のために意図的に避けたのだろう)、学校では人気を得るためにあえてバカを演じているといったあたりも、学校における抑圧感をよく表している。しかも好きな女の子にアプローチするのに、あとで考えるとそりゃないだろうというやり方でといったあたりも多くの人が思い当たるふしがあるだろう。
高校生活という自意識で締め付けられたかのような辛さを描いたものというと、日本では『桐島、部活やめるってよ』があった。『桐島』は固有のリアリズム作品世界を作り上げたというよりは、最大公約数を用いてやや抽象化された世界を構築したという感じであろう。『クロニクル』もこの系譜にあるといえよう。もちろんここに自分の姿を見出す人もいるのだろうが、そこに自分の姿はないとしても、あたかもこれは自分の話なのだという気分にさせてくれる。

アンドリューとマット、そしてスクール・カーストにおいては頂点に位置しているであろうスティーブは超能力を手にする。アンドリューとマットはようやく打ち解けていき、またアメフト部に所属し生徒会長候補という別世界の住人であるかのようなスティーブとも秘密を共有することによって親友となっていく。超能力を得たはいいが、その使い道はスカートめくりにスーパーでのいたずら。悪ふざけに三人の笑いが止まらなくなってしまうといったあたりも後の悲劇を強烈なものにするためのいい効果となっている。

最も弱い立場にあったアンドリューが最も強い超能力を有する。アンドリューが後続の車に煽られたのに腹を立て軽率な行動に及ぶと、マットは超能力の使用について三つのルールを作る。このようなマットの優等生的、仕切り屋的振る舞いにアンドリューは心の内ではさぞイラついていていたことだろう。ナイスガイのスティーブはアンドリューに気を使うのだが、それは別世界の住人のこと、アンドリューは彼に完全に心を許すことはできない。ましてやあのような姿を見られるという屈辱があっては。
このような三人の関係というのも、公式的といえば公式的だ。しかしこれもまたしっかりと描かれているために、既視感によって退屈させられるのではなく、むしろありがちであるからこそ感情移入効果を高めてくれる。

ありがちな、ありふれていることをしっかりと描いているからこそ、悲劇へのカウントダウンは痛々しく胸に迫り、そしてその最後は、誰もが想像した通りであるが故により心に響くものになっている。
個人的にエンターテイメント映画は、「やるべきこと」をしっかりやれているかどうかが重要な評価ポイントになっているのだが、『クロニクル』はその点で大いに評価することができる。


あえて粗を探すとすれば、マットが惚れているケイシーはカメラを回す人間を増やしたかったという感じで、キャラクターとしては少し苦しかった(普段はともかくあの状況でカメラを回しつづけるか、というのはまあ仕方ないのだけれど)。
またマットやスティーブのキャラクターも、もう少し掘り下げることができたのではないかとも思う。もっとも数年後にもっとビッグバジェットでリメイクされるようなことがあれば、よくいえばマットやスティーブやケイシーがしっかり書き込まれる、悪くいうとダラダラと150分越えということになってしまうのかもしれないと思うと、83分という短さには圧倒的に好感を持つ。

決して巨額の制作費を費やした作品ではないが、特殊効果もしらけさせるようなものではないクオリティにある。このあたりも含めてアメリカのエンターテイメント映画の底力を見せてくれたようにも思える。


それにしてもデ・パルマ版『キャリー』や『桐島』、そしてこの『クロニクル』といったあたりは中高生の時には見たくはないかもなあ。あの年頃の自分を思うとちょっと強烈すぎる。それくらいすごい作品だったということなのですが。




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佐藤太郎(仮)

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