『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』

ネイサン・イングランダー著 『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』




短編集『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』の著者ネイサン・イングランダーは1970年にアメリカ、ニューヨーク州のユダヤ教正統派のコミュニティーに生まれ、「敬虔なユダヤ教徒の少年として、短髪にヤムルカをかぶり戒律を遵守して成長、高校修了まではユダヤ教の教育施設イェシーバに通い、外の世界に触れるのはテレビのなかだけ」という少年時代を過ごしたのだという。その後大学三年のときに「初めての外国旅行としてイスラエルを訪れ」、「彼の地で、生まれて初めて非宗教的なユダヤ人知識人というものを目にし」、「人生が変わる」。「カルチャーショックを受けたイングランダーは、信仰を捨て、ヤムルカを脱いで髪を伸ばし始め」、「自分が生きてきた正統派ユダヤ教徒の世界をメインテーマに据えて、新たに身につけた懐疑的な視点と従来の共感を重ね合わせた独自の切り口で作品を書き始めた」(「訳者あとがき」 pp.268-269)。


「姉妹の丘」はヨルダン川西岸へのユダヤ人の入植とパレスチナ人との軋轢が旧約聖書など神話的な世界と重ね合わせながら描かれる。
「僕たちはいかにしてブルム一家の復讐を果たしたか」はアメリカはロングアイランドを舞台に、「反ユダヤ主義者」のいじめっ子にユダヤ人の子どもたちが協力して「復讐」を果たすが、「僕」はそれが苦いものであることに気づかされる。「自分は常に、打ち砕くよりは打ち砕かれるほうがましだと感じるだろう」と思い、「反ユダヤ主義者を足元に見ながら、僕たちは皆当惑に襲われた。僕たちは押しつぶされた少年を見つめてそこに立っていた。そしていつ駆け出せばいいのか、誰にもわからなかったのだ」(p.130)。


現在であらばユダヤ人がイスラエルという国家の行いを批判的に捉えたり、ユダヤ人コミュニティの有り方を相対化しようとしたところで、それ自体がそう大きな衝撃を与えることはないだろう。
しかしかつてはそうではなかった。毎年のようにノーベル文学書候補にあがり、先ごろ引退を表明したフィリップ・ロスは、1959年に出版された『さようなら コロンバス』で一躍アメリカ文学界の寵児となるが、一方でユダヤ人でありながらユダヤ人社会に向けて辛辣な視線を投げかけたことで強い反発を招いた。

そのロスがアルター・エゴとして召喚したのがネイサン・ザッカーマンである。
1979年に発表された「ザッカーマン三部作」の第一作、『ゴースト・ライター』で、作者のロスと同じ1933年生まれで23歳のザッカーマンは、自分の作品が父親を初めユダヤ人社会から強い批判を浴びたことにとまどい、憤りを感じている(このあたりは現実のロスがほぼそのまま反映されていると考えていいだろう)。ザッカーマンは伝説的なユダヤ人作家ロノフのもとを訪れ、そこで若い女性と出会う。あろうことかロスはここで、アンネ・フランクが生きていた(としたら)という設定を導入するのである。

現在になってここを読んで衝撃を受けるのは、アンネが(生きていたとしたら)まだ27歳であることだ。アンネ・フランクが生き延びていたなら、1956年にはまだ27歳であったのだ。
1933年生まれのロス/ザッカーマンと1929年生まれのアンネ・フランクは、僕の祖父母の世代と両親の世代のちょうど中間にあたる。僕が生まれた時、もしアンネ・フランクが生きていたとしたらまだ50歳になっていなかったのである。

『ゴースト・ライター』を読むまでは、ロスに対しては広い意味での同時代感覚というものを感じるが、アンネ・フランクというと「ずっと昔に悲劇的な最後を迎えた人」という感覚であった。しかしそうではなく、僕(の世代)はアンネ・フランクに、それもよぼよぼのおばあさんとしてではなく中年女性として直接出会っていたのかもしれなかったのである。

1950年代にユダヤ人社会が批判的に描かれることは、これが反ユダヤ主義者に利用されかねないという生々しい恐れを当時のユダヤ人たちに呼んだことだろう。


『アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること』の表題作、「 アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること 」は、もちろんレイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」から取られているのだろう。会うのに気が進まず、なんとなく苦手だなあと思っていた相手と実際に顔を合わせてみると……という内容は「大聖堂」を連想させるものがある。

イスラエルに移住していた夫婦が久しぶりにアメリカに帰郷し、アメリカ人の「僕」とショーシャナのカップルと会う。イスラエルから来たマークとローレンはいきなり占領についての解説を始める。イスラエルに住む自分たちにはその権利があると考えている様子なのが「僕」をげんなりさせる。
やがて四人はある「ゲーム」を始めることになる。それは「アンネ・フランク・ゲーム」である。「『私を匿ってくれるのはだあれ』ゲーム」。「僕」とショーシャナは「アメリカでホロコーストが起こった場合に、キリスト教徒の友人たちの誰がわたしたちを匿ってくれるだろうか」と、ときどき話し合っていた。「僕」はショーシャナに、「あれはゲームじゃないってこと。真剣そのものの、一種の準備で、僕としてはふけりたくない進行性の病的行動であるってこと」を認めさせようとしてきたのであった。そしてショーシャナは、イスラエルから帰郷した二人を前にして、これは「ゲームじゃない」と言うのである。


イングランダーはここで抽象化されたユダヤ人(社会)を描いているのではないだろう。たとえ自分が直接に体験したものでないとしても、あまりに巨大な惨禍とその生々しい記憶を今もなお抱え続けている人々を描いている。
後代の人物がこのような「記憶」を「生々しく」保ち続けていくには意思が必要であるし、その意思がはたして正しいものであるのかという問いもあるだろう。またその「記憶」を盾に自らの行いを正当化しようとする国家としてのイスラエルの政策についての是非というものも問われなければならない。しかしそのような問いがあるからといってあの歴史を消し去ってしまっていいということには、もちろんならない。

アンネ・フランクについて語るときに僕たちは、この「生々しさ」をどう「記憶」し、どう語り、どう考えていくべきなのであろうか。そのことがユダヤ人ではない人々にも突きつけられるようである。


「 アンネ・フランクについて語るときに僕たちの語ること 」がカーヴァーのパロディのごとくどこかユーモラスに始まって極めて重いテーマへと以降していくように、この短編集に収録されている作品は多種多様なテーマと雰囲気に彩られている。著者の生い立ちもあってどの作品も「ユダヤ性」というものが取り付いているのだが、だからといってこれが狭い、特殊な文学であるのかというとそうではないだろう。フィリップ・ロスがそうであるように、また優れた文学作品の多くがそうであるように、個人的であると同時に普遍的で、普遍的であると同時に個人的なものになっているのである。



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佐藤太郎(仮)

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