『ケインズかハイエクか』

ニコラス・ワプショット著 『ケインズかハイエクか』





ケインズとハイエクの出会いから二人の交差する伝記、そして弟子たちを含む現在に至るまでの両者の対決の歴史が扱われている。
著者はジャーナリストなので経済学の素養がない読者でも苦労することなく読み進めることができるだろう(数式は出てこない)。ケインズやハイエクの伝記的事実についてすでにある程度触れてきた人にとってはそう目新しいものはないかもしれないが、とりあえずこの二人について知りたいという人にとってはいい入門書になるのではないだろうか。

邦題では二者択一を迫っているかのような印象を与え、党派的なものを連想してしまう人もいるかもしれないが、ケインズ、ハイエク両者については比較的バランスが取れた記述になっているように思う(原題はKeynes Hayek)。

しかしサッチャー政権やレーガン政権への点はあまりに甘すぎるという印象もしてしまう。また「一九七〇年代のチリでは、共産主義に対抗するにあたってハイエクが引き合いに出された」とある。これはもちろんクーデター後のピノチェト政権下でのことだろうが、著者はここでピノチェトの名前を出していない。ハイエクやミルトン・フリードマンを蛇蝎のごとく嫌っている人々が、彼らの正体が露見したと考えるのがこのピノチェト政権下のチリへの姿勢であろう(このあたりはハイエクというよりはもっぱらフリードマンとその弟子たちであるが)。当時チリではピノチェト政権に忠誠を誓っている限りは経済活動の「自由」を得ることができた。しかしこのような「自由」を本当に自由と呼べるのか。ハイエクやフリードマンの語る「自由」など所詮は反共イデオロギーにすぎないではないか、というような思いを持つ人からすると、著者があえてここでピノチェトの名前を出さなかったことは、著者のその姿勢もまたその亜種だと映るかもしれない。

しかし著者は必ずしも一方的にハイエク寄りというわけではなく、「資本主義を二度救ったケインズを保守派が賞賛できない理由」についてのガルブレイスのこんな言葉で本書を締めくくっている。
「ケインズは自身がみごとに分析した経済制度におおいに満足していた。(中略)したがって、ルーズヴェルトの政策のように、彼の業績を広く実践することは保守的な行動だった。その目的は現制度が存続できるように支援することだったからだ。しかし、英語圏でのこうした保守主義は、筋金入りの保守派に歓迎されるものではない。(中略)彼らにとっては、真の原則の面で譲歩するくらいなら、失業や遊休設備、大恐慌の大きな絶望感を、それらがもたらす資本主義の評判の下落とともに受け入れたほうがましなのだ。(中略)資本主義が最終的に敗北すれば、ケインズのような人々についに勝利したことを喜ぶ陣営から、嵐のような歓声が沸き起こるだろう」(p.337)。



といったあたりで、以下は本書の書評ではなく、あくまで個人的関心から本書を読みながら考えたり感じたりしたことである。


ファシズムと共産主義を共に「全体主義」という枠に一括りにし批判するという立場は少なくない。ハイエクが独特なところは、ケインズ主義に代表される資本主義の枠内に留まりつつ政府が経済を安定させようという試みすら全体主義につながるものだと批判していることだろう。

本書では時代背景と伝記的事実とをふまえながら両者の関係が描かれるのだが、こうしてみると(僕のような考えからすると)よりハイエクの異様さというものも浮かび上がってくるかのようだ。
ハイエクは政府の行うあらゆる「計画」は全体主義につながると警戒した。経済にとって最適なのは政府が余計なことなどせずに市場にまかせるべきことで、不況時にいくら失業者が出ようともそれは仕方が無いことなのだ、というのがかなり雑なまとめであるが、ハイエクの立場である。ハイエクはこのような考えをあの大恐慌期を経ても基本的には改めることはなかった。

ケインズが最も重視したのは失業問題であった。一つにはケインズの人道主義的発想からくるものであるが、もう一つには経済の混乱と大量の失業者は左右両極の政治勢力を伸張させるという考えからでもあった(ワイマール時代末期のドイツはその典型的な例である)。ちなみにケンズはその生涯において一度として共産主義、社会主義に心惹かれたことはないが、ハイエクは若いころに一時的に社会主義に熱をあげたことがあった。ハイエクの「極端」さというのは左翼からの転向者にありがちなもの、としてしまうのは偏見がすぎるのかもしれないが。

歴史をふり返るとケインズが圧倒的に正しかったことは疑うことはできなだろう(と僕は思っている)。もし1930年代にハイエクのような立場がヘゲモニーを握っていたなら、世界各地で革命の火の手が上がったことだろうし、それに対する反動としてファシズムもより一層広がったことだろう。

古典派やリバタリアンの求める「自由」とは、せいぜいが机上の空論に基づく思考実験にすぎない、という程度で片付けるべきものではないだろうか。もちろん理論を構成するためにはある程度単純化したモデルが必要となるのだが、古典派やリバタリアンはあまりに自己中心的な前提を自明のものとして考えているとしか思えないのである。

このような疑問は当然ながら当時の人も感じていた。
ケインズはハイエクの『隷従への道』に対し、一定の評価を与えつつも慇懃無礼とも思えるような批判をハイエクに送っている。
ケインズは「英国の社会主義者の一部は隠れ全体主義者であると認め」つつも、「計画」は必要なものだとし、「ケインズはハイエクに、ヒトラーの台頭を促したのは大きな政府ではなく、資本主義の失敗と大規模な失業だったことを改めて指摘した」。「政府の介入と独裁との関連をハイエクが警戒したのに対し、ケインズは全体主義への傾斜は個人の道徳的選択から生じると考えていた」(pp.229-230)。

このあたりの批判が出ることはハイエクも承知しており、「ハイエクは『隷従への道』で、慢性的失業に対処する場合には計画がその役目を果たし得ることや、適切な形の計画は圧政につながらない可能性もあることを認め」てもいた。後には「政府が競争を促すように計画したり、競争がその役割をどうしても果たせない場合に政府が介入したりする限りでは異論はない」とした。また「国家は介入する道徳的義務を負うこともあり、それは自由企業の精神を阻害しないかぎり容認されるとも考え」ており、「健康や働く能力を維持できるだけの最低限の食料、住居、衣服が、すべての人に保障されることは当然である」と書いている。さらに「病気や事故などの場合と同様に、そうした災難を避けたいと思う気持ちや、災難の結果を克服しようとする努力が、支援が提供されても原則的に弱まらない場合、つまり真に保険可能なリスクに対処する場合は、国家が社会保険の包括的制度の構築を支援することがきわめて強く支持される」ともしている。

ケインズはこのハイエクが「主張をゆるめた」部分を見逃すことはなかった。
「私が本当に、唯一真剣に批判したいことをこれから述べる。(中略)貴殿は本書のあちこちで、これはどこで線を引くべきかを見分ける問題だと認めている。そして、どこでかで線を引かねばならないこと、論理的な極端化は不可能であることに同意している。しかし、どこで線を引くべきかについての指針は何一つ示していない。貴殿と私がおそらく違うところに線を引くであろうことはたしかだ。考えるに、貴殿は“中道”の実行可能性を大幅に過小評価していると思わざるを得ない。しかし、極端化するのは不可能であり、どこかに線を引かねばならないことを認めたとたんに、貴殿は自分の主張で自分の首を絞めることになる。貴殿がわれわれに納得させようとしているのは、計画の方向へ少しでも進んだが最後、いずれ断崖に向かうことになる滑りやすい道に必然的に放り出される、ということだからだ」(p.230)。

ハイエクはここで思考実験的極論にのみ走らず現実主義的政策も示しているとも言えるのだが、それは結局のところその理論が現実性の無い空論であることを証明することになっているというケンズの指摘はまったくその通りであろう。

ハイエクは今風にいうならリバタリアン左派といったところになるのかもしれないが、「自由」を最優先にする立場からするとひよったと考えることもできる。それに怒りをつのらせたのが現在でもアメリカの右派に大きな影響を与えているアイン・ランドであった。彼女は『隷従への道』を読んで「激怒」し、「本の余白に「とんでもない馬鹿」、「救いがたい愚か者」、「間抜け」、「完全、完璧な悪徳野郎」などと、ハイエクを中傷する言葉を殴り書いた」そうである(p.236)。


また同じく『隷従への道』を読んだ「権威主義への足音には敏感だったジョージ・オーウェル」はその書評で、「集産主義は本来民主的ではなく、それどころか独裁的な少数派集団に、スペインの異端審問者でさえ想像もつかなかったような権力を与えるものである」とハイエクを評価しつつもまた、「ハイエク教授が(中略)理解しておらず、また認めないであろうことは、多数の国民からみれば、『自由』競争への回帰は責任の所在がより不明確になるために、おそらく国家による独裁よりも悪質な独裁を、招くことだ。競争にともなう問題は、誰かがその競争に勝つことである。ハイエク教授は、自由な資本主義が必然的に独占に結びつくことを否定しているが、実際に行きつく先は独占であり、圧倒的多数の国民は不況と失業よりも国家による管理のほうをはるかに望むようになる。そして、この問題について国民の意思が何らかの影響力をもつならば、集産主義への傾斜が続くことになる」としている(p.233)。

ハイエクは市場を信頼しているが、「競争」の結果として勝者が生まれれば独占が生じ、それが多くの国民に困窮をもたらすならば、ハイエクが忌む「集産主義」をもたらすことになるのではないか、とここでもハイエク理論に含まれる矛盾を指摘している。

ハイエクが後に経済学を離れ法哲学などの領域に乗り出したのはこのような批判に応えるためでもあったのだろう。そして生み出されたのが『自由の条件』であったが、この本は「同書の結論に賛成すると予想された人々でさえ」、「失敗作とみなした」のであった。

1930年代以降「シカゴ大学経済学研究科を自由市場支持の方向に導いてきた人物」であるジェイコブ・ヴァイナーも同書を酷評した。「ハイエクの主張で目立つのは、条件や異論を考えたり、賛否の両論を比較検討するという骨の折れる作業と格闘した形跡が見当たらないことだ」と切り捨てた。「ハイエクは公共部門における強制行為への反対ばかり論じているが、同じ議論は民間企業にもあてはまる」とし、先のオーウェルの批判を取り上げた。そして「労働供給を独占する労働組合には反対する一方で、民間企業のカルテルは容認しているとハイエクを揶揄」したのであった。またハイエクが「一律税制」を主張したことも「一笑に付した」。「累進課税〔所得が少ない人よりも多い人のほうが高税率になる課税〕がいかに極端な形で実施されたとしても、課税前の富裕者が貧者より『生き残る』のが難しくなるような事態になったことは一度もない」とした(p.255)。

政府のやることはやたらと批判するくせに民間に対してはは無批判に理想化しているのではないか、労働組合を敵視するくせにカルテルは容認するのか、累進課税がどれほど強化されようとも貧困層より富裕層の方が生活は楽に決まってるだろ、といった批判をあのシカゴ大学経済研究所の主要メンバーがしていることが興味深い。ケインズはすでに死去していたが、ケインズ主義全盛期のことであり、一時は一世を風靡したハイエクはこうしてすっかり忘れられていったのである。


しかし70年代にケインズ主義が行き詰るとハイエクは復活を果たすことになる。
ハイエクを支持する人々からは不当な扱いからようやく正当な評価を得るようになったということであろうが、しかし上に引用したようなハイエク批判を考えると僕にはそうは思えないところである。他ならぬケインズ自身がハイエクには一目置いていたし、また晩年のミシェル・フーコーのようなやや意外な人までもハイエクに注目したりしているのだが、個人的にはハイエクが面白いとは思えず、興味を惹かれることはあまりない。

それはお前は政治的に偏っているせいで先入観を抱いているせいだろ、と言われれば否定はできないところであることは自覚している。しかし本書で触れられているように、経済学的にはハイエクよりもケインズから多くを受けとっていたはずのフリードマンのような人がハイエクを「利用」(という言葉をあえて使おう)することが可能であったのは、ハイエク自身に大きな隙があったためであろうし、その「隙」を大目に見たくはないという気持ちが先行してしまうのである。

ハイエクはケインズのことを政治にばかりかまけて理論をおろそかにしていると考えていた。ハイエクはこの点では禁欲的であったとすることもできるだろう。フリードマンを嫌う人の多くが彼の経済学の論文を読んですらいないだろうが、これを読むと意外と「まとも」であって、あのフリードマンが書いたとは思えないようなものもある。裏を返すならば、ピノチェトをはじめとする右派政権との関わりからわかるように、フリードマン(とその弟子)は「経済学者」としてよりもイデオロギーを優先させたのだとすることもできる。それはフリードマンの「罪」であってハイエクの「罪」ではないという見方もあるだろうが、ガルブレイスが語った、ケインズのような考えを認めるくらいなら「大恐慌の大きな絶望感」を「受け入れたほうがまし」だという「筋金入りの保守派」の台頭を許したことについて、ハイエクを無罪放免するべきではないだろう。たとえハイエクが自分は保守ではなく自由主義者だといくら強調していようとも、やはり「保守」の暴走の責任の一端はハイエクにあるのではないか、という思いはぬぐえないのである。

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佐藤太郎(仮)

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