『ディア・ハンター』再訪

『ディア・ハンター』

ローリング・サンダー』を見たら久しぶりに見返したくなってしまったもので久しぶりに。



今になって見ると鹿狩りに行く時のデ・ニーロの恰好が戦場カメラマンの人に見えてしまうのですが……




ナレーションや回想を使わずに、説明セリフもなしに主要人物の人間関係を表現していくのは実に見事。DVDのコメンタリーでチミノも触れているように、バーでの「君の瞳に恋してる」の場面をはじめとしてその後多くの模倣を生むことになる。

『ディア・ハンター』はアカデミー賞を総なめにするほど高い評価を得たものの、またヴェトナム人の描き方が差別的だとして強い批判も招くことになる。チミノの次の作品である『天国の門』は大バッシングを受けることになるが、このあたりが遠因の一つになっているとする人もいる。
確かにヴェトナム人を異常で残酷、かつ不気味な人間として描く一方でアメリカ側の加害を描かないなど、PC的には明らかに問題がある。しかしこれは歴史を中立公正に描こうとしたものではなく、ヴェトナムに行った、とりわけ政治意識などまるでない「普通」の兵士たちの主観をあぶりだしたものであると考えたほうがいいだろう。

今回改めて「ああ、そうなんだよなあ」と思ってしまったのは、『ディア・ハンター』は1978年に公開されているということだ。つまりヴェトナム戦争の正式な終結からそれほど間をおかずに製作、公開されたものなのである。もちろん本作の持つ差別性というものはそれはそれで問題とされなくてはならないのであるが、やはり当時の「普通」のアメリカ人がヴェトナムをどう捉えていたのかということをこれ以上なくヴィヴィッドに描いたものでもあろう。だからこの作品は「正しい」ものであって差別的だという批判は的外れだと言っているのではなく、この差別性も含めて、「リアル」な感覚を捉えたということである。それゆえに良識的な人にとってこれが許しがたいことに映ったのも当然ではあろう。アメリカ(人)はとりかえしようもなく深く傷つき、空虚感と罪悪感に苛まれ、そして一度囚われた恐怖から逃れることができないのだ、というのが当時の「普通」のアメリカ人の雰囲気であったのかもしれない。もちろんこれは大変に手前勝手な被害者意識でもある。

この後に撮られる『地獄の黙示録』(1979年公開)はコンラッドの『闇の奥』を原作にしているように、ヴェトナムを通して人間の狂気に迫った抽象化された作品であるし、オリバー・ストーンの『プラトーン』(1986年公開)は個人の記憶に寄り添ったものである。『ディア・ハンター』はテーマとしてはちょうどこの中間にあるといえるだろう。このような視点の作品を78年にという時期にも関わらず作れたとういべきなのか、あの時期だから撮れたのかということを考えるとなかなか難しい。


あと前に見たときはあまり意識しなかったのだが、『ディア・ハンター』公開時メリル・ストリープはほぼ無名でまだ20代後半だったのですよね。あのボーリングでのすってんころりんとかぴょんっとジャンプしてのガッツポーズとかを当時の人はどう見ていたのだろうか。「かわええのう」みたいな感じだったのかなあ。僕くらいの世代になると物心ついたときから大女優で(というかおばさんというイメージで)あったもので、ああいう感じがなんだか無理しているように見えてしまったのだが、当時の年齢を考えれば別にそんなことはなかったのですよね。



これはそのうち読もっと。




やっぱり『天国の門』のデジタル修復完全版に行くべきだったのだろうか……




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