『女ことばと日本語』

中村桃子著 『女ことばと日本語』




「~てよ」「~だわ」といったいわゆる「女ことば」がいかに成立し、また現在に至るまで残り続けているのはなぜなのかが扱われている。

明治十二、三年ごろから女子学生の一部が「てよ・だわ・のよ」といった言葉を使い始めていたようだ。しかし、だからといってこれによって一挙に広まったわけではない。「むしろ、「てよだわ言葉」を女子学生の表象にしたのは、言文一致小説の書き手です。作家たちは、女子学生の登場人物に繰り返し使わせることで「てよだわ言葉」を女子学生の表象に作り上げていったのです」という状況があった(p.108)。

「女子学生が「てよだわ言葉」だけをいつも使っていたわけではないように、実際の言葉づかいはどの集団でも多様だったでしょう。むしろ、小説が、特定の集団に特定の言葉づかいを割り当てるという行為が、その集団と言葉づかいを結びつけていったと考えられます」(pp.108-109)。

「言文一致」といえば当然ながら二葉亭四迷の名前が出てくる。二葉亭が明治一八年にツルゲーネフの『父と子』を訳していた時には「「第一今の女学生の語なぞという西洋の娘を現すに持って来いという語が無」く、大変苦労したと言われて」いたのだが、明治二一年に訳した『あひびき』では「農夫の娘アクリーナに「あたし産れてからまだこんなうつくしい花ア見たことないのよ。」「あんまりだワ。」と「てよだわ言葉」を使わせてい」る(p.109)。

「西洋娘が使う「てよだわ言葉」は、<西洋・近代>のイメージと結びつく」ことになる。坪内逍遥は「日本の中流女性の丁寧な言葉は、西洋女性の話言葉として置き換えるには不似合いに感じ」ていた。
「このような「西洋語で読む」ことと「日本語で書く」ことのギャップに苦しんだ作家たちは、そのギャップを埋める存在として、西洋近代のイメージに近い「ハイカラ娘」を必要としたのだと、日本文学研究者のレヴィは指摘しています(Inder Levy, Sirens of the Western Shore,2006)」(p.110)。

その後に書かれることになる多くの小説に「てよだわ言葉」が使用されるようになると、今度は「実際の女子学生が小説中の言葉づかいをまねる現象まで指摘されるようにな」る(p.111)。明治三五年の読売新聞にはすでに「女子学生の言葉づかいを小説家が採用したのではなく、小説が実際の女子学生の言葉づかいに影響を与えた」のだとする記事がある。

この記事はこのような言葉づかいに批判的であり、また「「てよだわ言葉」を「軽薄な女子学生」の表象として用い、「規範的女子学生」はこれらの言葉づかいをしない」という描写によってキャラクターを書き分ける作品も現れる。裏返すと、「てよだわ言葉」の使用は「規範的女子学生」像への反発という面もあった。
このように「てよだわ言葉」は「学問をする女への苛立ち」もあり、とりわけ男性からは必ずしも好意的に受けとめられたわけではないかった。明治四〇年に書かれたポルノ小説では「てよ・のよ」を使う女性と「ます」を使う女性とが書き分けられているが、往々にして性的妄想がコンプレックスに由来することの証左でもあろう。


現在では、とりわけ翻訳において女性の言葉の語尾を安易に「てよだわ言葉」にすることには批判がある一方で、条件反射のように女性の言葉の語尾を「てよだわ」にしてしまう例も依然として多い。二葉亭が言文一致体を編み出すうえで一番苦労したのが語尾の問題であったが、これは現在に至るまで実は未解決の問題ということなのかもしれない。多くの人が指摘するように、確かに現在では「~よ」「~だわ」という語尾を日常的に使う女性はほとんど見られないのではあるが、では会話文の語尾から「~よ」「~だわ」に類する言葉を一切取り除けば、それによってより「自然」になるのかというとそうとも言い切れないところもある。書き言葉は実際の会話を逐語的に書き写しているわけではないので(仮にそんなことを試みたら前衛小説のようになってしまうことだろう)、何をもって「自然」とするかはそう簡単に答えが出る問題ではない。無論女性がしゃべっているからといって機械的に語尾を「~よ」「~だわ」としてしまうことは大いに批判されるべきではあるが。


「女ことば」の問題はこれだけに留まらない。本書ではむしろこちらのほうが本題であるかもしれないが、言語、とりわけ「国語」の問題を考えるうえでイデオロギー性の問題を抜きにすますことはできない。そもそもが言文一致を採用するにあたってどの言葉をもってして「標準語」とするかについては大いに議論された。その中で当時の人が疑うことなく自明視していたのが、「標準語の規準は男の言語である」ということだ。例えば大槻文彦は「京都語は「男子の語としては、柔弱に聞え」るから、標準語は東京語を採用すべき」という発言をしている。
「これは、言文一致論争が、「国語の話し手は男性国民だ」という前提に基づいていたことを示しています。だからこそ、大槻にとっては、一方で言文一致を推奨し、もう一方では女に女訓書のつつしみを求めるということが、何の違和感もなく共存していたのです。明治の知識人が、男女に違う話し方を要求することを矛盾だと考えなかったのは、言文一致が「男の国語」の創生を目指していたからなのです」(p.83)。

このような状況が大きく変化したのは戦争、なかんずく日本による植民地支配の拡大であった。昭和十六年に行われたある会議では、植民地で「日本語をいかに教えるかではなく、現地の日本人や日本語教師の話す日本語」が問題とされた。
「当時の日本では、多くの地域語(いわゆる方言)が話されていました。日本から植民地にわたった人たちや日本語教師となった人たちも、当然のようにそれぞれの地域語を話していました。それが、問題になったのです。皮肉なことに、植民地における日本語教育を話し合おうとしたときに、日本国内にひとつの「国語」が存在しない事実に突き当たってしまったのです。(中略)本当は日本国内でも、てんでばらばらに地域語を話していた。そうであればこそ、植民地で日本語を教えていた日本人は、あたかもひとつの国語が存在するかのような身振りで植民地統治に協力しなければならなかったのです」(p.156)。

ここから「多くの国語学者が女性の言葉づかいに注目」を始め、「女ことばへの賞賛」が行われることになる。
「女ことばを、天皇を頂点とする宮廷に源流を持つ女房詞と結びつけることで「日本の伝統」の根拠にしたり、他言語には見られない「日本語の特徴」だということにすれば、日本語の「優秀さ」や「他国に対する優越性」を裏づけるひとつの具体例にすることができます。女ことばを、天皇に結びつく伝統、他に類を見ない特徴として賞賛する言説がたくさん発生したのは、国内向けに「国語」の価値を高めるだけでなく、植民地での日本語教育、ひいては、日本の植民地支配を正当化するためだったのではないでしょうか」(p.159)。


典型的な「創られた伝統」である「女ことば」が敗戦後に批判にさらされたのは当然のことであっただろう。そして「女ことば」を「伝統」と結びつけて(つまり「自然」で「美しい」ものなのだとして)守ろうとした国語学者の行動が、男女平等をはじめとする戦後に入ってきた新たな価値観への拒絶を表すものでもあったということは想像がつく。


著者はベアテ・シロタが昭和二一年に行われたGHQ民生局の運営委員と日本政府の代表の会議の模様の回想を引用している(『憲法に男女平等起草秘話』)。「「会議に参加した日本政府代表が男女平等についてずいぶん反対し」、その議論は「天皇制問題ほど激しかった」」のだそうだ。
この日本政府代表はなぜそれほどまでに男女平等に反対したのだろうか。昭和二一年の衆議院本会議で原夫次郎はこのような発言をしている。「私が講釈するまでもなく、我が国の家族制度と天皇制とは非常に密接なる関係のある従来の旧慣制度でありまして……家族制度なるものは、これは我が国の所謂神ながらの道とも申しましょうか、これは殆ど開闢以来の一つの制度であったろうと思うのであります」。
これは「夫婦を平等にしてしまうと、家族制度と天皇制をつなぐ「神ながらの道」という日本の伝統が破壊」されてしまうという主張である。原の言う「家族制度」は家制度、家父長制だと言い換えていいだろう。


ここで思い出されるのが、婚外子相続差別は違憲とする最高裁判決に自民党の「保守派」が猛反発したことである。「婚外子を相続で平等に扱ったら日本の家族制度が崩壊する」という自民党保守派の主張を嘲笑的に受けとった人も多いだろう。「家族制度」を一夫一婦制だと考えると(多くの人がそう考えたことだろう)、確かにこの主張は意味不明である。「何? 婚外子をもうけても相続では平等に扱われるのか、だったらバンバン外で子どもを作っちゃうぞ」などと思う人間はまずいまい。しかし自民党保守派が言うところの「家族制度」は、上記の原と同じ、つまり家制度、家父長制なのだとするとどうだろうか。相続にあたっては長男が家督相続人であり、子どもが平等であろうはずがない、ましてや婚外子を平等に扱うなどは論外だ、ということなのであろう。

差別的な家制度や家父長制が人権思想と対立するものであることは言うまでもない。自民党保守派の婚外子判決への猛反発は偶然の産物などではなく、ここ数年の自民党の一貫した流れの中にあると考えるべきだろう。違憲判決をめぐっては与党の国会議員でありながら平然と三権分立を無視すべきであるという発言まで出ているが、これも単なる無知によるものとすますことはできない。自民党保守派とされる人々の基本にあるのは「近代」への嫌悪であろう。自民党の憲法草案は「近代国家辞めます宣言」とでも言っていいものであろう。そして繰り返される立憲主義、人権、三権分立などへの公然たる侮蔑は「反近代」という一貫した意思に基づくものだと考えるとわかりやすい。
日本が戦中に「近代の超克」なる思想が一世を風靡した過去を持つことを思えば、エキセントリックにすら思える自民党保守派の主張を笑ってすませることはできない。


ある種の女性に「西洋近代のイメージ」をまとわせる役割を果たした「てよだわ言葉」は、戦中から戦後にかけてむしろ前近代と結びついてしまったのであった。このように、前近代性への回帰願望は今に始まったことではなく、戦中戦後を通して日本社会に深く根をおろしているものであろう。「女性らしい美しい言葉づかい」や「女ことばには伝統的な日本語の美しさが残っている」といった現在でもよく見受けられるこのような主張は、大いに疑うべきものなのである。





プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR