『悪の法則』

『悪の法則』

リドリー・スコット監督、コーマック・マッカーシー脚本ということで前から非常に楽しみにしていた作品なのだが、アメリカでの評価は散々なようで不安を抱えつつ見に行ってまいりました。




確かにこの作品の欠点をあげていこうと思えば容易なことだろう。リドリー・スコットの演出は凡庸なものだし音楽も効果的とは言いかねる。またプロットという観点から見てもよく練れているとすることはできず、求心力の弱いストーリー展開となっている。

マイケル・ファスベンダー演じる「カウンセラー」と呼ばれるヤッピー風の弁護士が金欲しさに裏稼業に引き込まれるのだが、ここから破滅の幕が切って落とされるというストーリーはありがちといえばありがちではあるが、映画として魅力的に仕立てやすい題材でもあろう。しかしこの作品では「カウンセラー」自体のキャラクターの深みが確立されていないように感じられたし、一方で徹底的に空虚な存在として描かれていたのかというとそうでもない。またハビエル・バルデムやブラッド・ピット演じるキャラクターもステレオタイプに過ぎるという印象である。何よりキャメロン・ディアス演じるマルキナがプロット上では最大のキーを握る人物なのではあるが、これも上辺だけの存在に映ってしまった。

ではこの作品に全く魅力を感じなかったのかというとそうではなかった。現代アメリカ文学を代表する作家であるコーマック・マッカーシーの小説は『ノーカントリー』や『ザ・ロード』など映画化されたものも多い。今回はこれまでの映画化とは違い、マッカーシー自身が手がけるオリジナル脚本であり、『悪の法則』はリドリー・スコットの、あるいはマイケル・ファスベンダーやキャメロン・ディアスの作品でというよりは、あくまでコーマック・マッカーシーの作品なのだと考えたほうがいいのかもしれない。

それまで批評家筋からは評価されていたが一般的にはほぼ無名の存在だったマッカーシーが一躍その名を轟かせたのが、これも映画化された『すべての美しい馬』に始まる「国境三部作」だ。「国境三部作」という名からも想像ができるように、アメリカとメキシコにまたがるものであり、その点は本作と共通点がある(といっても表面上の共通点はそれくらいのものだが)。

『悪の法則』のテーマの一つをあげるとすれば「恐れ」ということになるかもしれない。「国境三部作」第二作は『越境』(The Crossing)であるが、本作では「一線を越える」ことへの恐れ、あるいはその恐れに対する想像力の欠如、または恐れへの鈍感さなどが交差していく。

「恐れ」について、とりわけ登場人物が二人で交わす会話は魅力的なものとなっている。しかし惜しむらくは、このような会話劇をプロットとして映画的ダイナミズムとうまくリンクさせることができなかったことだ。脚本の邦訳はすでに発売されているがまだ未読なもので、このあたりがマッカーシーによるものなのかリドリー・スコットの演出力の問題なのかはわからないが。

その昔、フィッツジェラルドやフォークナーのようにカネに困った作家たちはハリウッドへ「都落ち」し、映画の脚本を手がけることになった。しかしこうした作家たちが脚本家として成功した例は少ない。優れた小説家が優れた脚本を書けるとは限らないのである。今回のマッカーシーも同じ轍を踏んでしまったのかもしれない。
ハビエル・バルデムが出演しているとあればどうしても『ノーカントリー』と比較してしまうのだが、コーエン兄弟はシュガーを神話的怪物の域にまで高めることに成功しているといえるだろうし、エンディングに象徴されるように会話劇としても哲学的、詩的な趣があるものとなっている。おそらくマルキナも神話的な、あるいは悪魔的な人物に仕立てたかったのだろうが、この試みはうまくいったとはいえない。『悪の法則』は「映画的」感性を持った脚本家との共同作業にしたほうがよかったのだろう。


この作品に厳しい評価をする人がいるのもわかるが、小説家マッカーシーのファンにとっては楽しめる部分はそれなりにあると思う。それよりも『プロメテウス』に続いてこの評価って、リドリー・スコットのほうが大丈夫なのだろうかという気になってしまう。弟の分もまだまだ頑張ってほしいのだけれど。




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佐藤太郎(仮)

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