『声をかくす人』

『声をかくす人』



リンカーン大統領暗殺に関与したとして下宿屋の女主人、メアリー・サラットが逮捕される。司法長官も務めた経験のある上院議員リヴァーディ・ジョンソンは彼女が軍事法廷で裁かれるのは違法だと主張する。しかしメリーランド州選出の自分が弁護を担当するわけにはいかないと、北軍大尉で南北戦争の英雄でもあった若き弁護士、フレデリック・エイキンに弁護を担当するよう求める。エイキンは気が進まないながらも弁護を引き受けることになる。


スピルバーグは『リンカーン』を撮ったが、本作が比較されるべきはやはり同じくスピルバーグ監督の『アミスタッド』の方だろう。法廷闘争を通して法とは何か、正義とは何かを考えさせていく。
しかし『アミスタッド』と本作とでは大きな差異がある。奴隷船の反乱とその後の裁判を描いた『アミスタッド』は善悪のはっきりした、カタルシスの得られる物語となっている。しかし『声をかくす人』の被告であるサラットは南部へのシンパシーを隠そうともせず、また看守が黒人であることを嫌うなど人種差別主義者であることもほのめかされる。

製作・監督はロバート・レッドフォード。リベラルな彼であるから「北部の圧政」を告発しようという意図などあろうはずもないだろう。ここで観客が向き合わなければならないのは、いかなる人物であろうとも法の下の平等は保障されねばならないのかという問題である。

「大儀」のために個人を犠牲にすることは許されるのか、その動機が正しかろうとも政治的意図によって裁判が歪められることがあっていいのか、国家や社会の「敵」である人物に弁護を受ける権利があるのか。これらの問いに一般論として答えるのは簡単であるが、すさまじい犠牲を払った南北戦争が終結しようかという時期に、大統領が暗殺されるという非常事態にあっても同じことを主張することができるのだろうか、またそれが許されるべきなのだろうか。


本作は批評的には必ずしも高評価を与えられたわけではなかった。確かに証言をそのまま再現映像で見せてしまうなど、演出にもう一工夫あってもよかったのではないかという部分もある。そして何よりも、この作品で描かれるテーマはできればあまり向き合いたくはないものであり、またその結末は感情をどこへ持っていけばいいのかがわからないものであるという部分が大きかったのではないだろうか。
個人的にはサラットとエイキンとの間の感情はもっと冷えたものにしたほうがより本作のテーマを深められたとは思うが、このあたりは商業作品の限界なのかもしれない。このように観客の心情に多少おもねったところもあるが、それでもやはり「すっきり」とした作品になろうはずもないことは、製作陣には当初から覚悟はできていただろう。

この作品で扱われるのは法とは、憲法とは、正義とは何かという原理的な問いであり、また向き合うことなく済ませてしまいたいテーマであるからこそ、このように商業作品で作られるということの意義は大きいものだろう。


 


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佐藤太郎(仮)

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