『チャーリー』

未見だったリチャード・アッテンボロー監督の『チャーリー』を。





長編小説を映画化すると、原作を読んでる人にとっては「あれがない、これがない」となり、原作を未読の人にとっては意味不明ということがしばし起こる。これは伝記映画についても同じであろう。一人の人物の生涯を数時間で描ききることなどできないのだから思い切った焦点化が必要なのだが、『チャーリー』はそれに失敗し、せわしない割りには言及不足なところが目立つという印象は否めない。「人間チャップリン」を描きたいのか、「映画人チャップリン」を描きたいのか、あるいは「時代の子としてのチャップリン」を描きたいのか、このあたりがどれも中途半端になっている。
またゴーストライターが自伝の原稿を確認するという形でチャップリンのナレーションが加えられているのだが、「信用できない語り手」を意識しているのだろう。どうせナレーションを入れるのならもっとうまく交通整理をすればいいものを、こうして欲張った設定を入れるものだからこれも今一つ効果を発揮できずに終わってしまっている。

と、このように映画の出来としてはいろいろと不満が残るのだが、とはいえロバート・ダウニー・ジュニアの演技はやはり素晴らしい。それにしてもこの十数年後に『アイアンマン』をやることになるとは誰が想像したことだろうか。もっともめちゃくちゃ有能だが傲岸不遜、社会の現実に触れその不公正に気づき、なおかつ無類の女好きという点ではチャップリンとトニー・スタークの間に共通点がないわけではないのか。


チャプリンの母親役はチャップリンの娘であるジェラルディン・チャップリンが演じているのだが、冷静になって考えると精神を病んだ人の役を実の孫に演じさせるというのは結構グロテスクなものがあるような気がしなくもない。作中でチャップリンが自らが遺伝的に狂気に陥るのではないかという恐怖にかられていることをほのめかすシーンがあるのでなおさらである。

ジェラルディンの母親のウーナ・オニールは18歳の時にチャップリンと結婚している。当時チャップリンは55歳。チャップリンが未成年ばかりと結婚してしまうことは『チャーリー』でも描かれている。これが母親の狂気によって「母」なるものを忌避し、「無垢」な少女に過度の依存をしてしまうということであれば痛ましい物語のように思えてしまうが、単にそういう性癖だったんでしょといわれればまあそうなのですが。このあたりは『チャーリー』では初恋の相手の影を追い求めてしまうということにしてある。

チャップリンの最初の妻、ミルドレッドを演じている女優がどこかで見たことあるなあと思ったのだが、これがミラ・ジョヴォヴィッチであった。ウィキペディアをコピペすると「1992年公開のリチャード・アッテンボロー監督によるチャップリンの伝記映画『チャーリー』では、ミラ・ジョヴォヴィッチがハリスを演じた。偶然であるが、上述のようにハリスがチャップリンと出会ったのが16歳のときであるが、ジョヴォヴィッチがハリスを演じたのも16歳のときで、この時ジョヴォヴィッチは俳優のショーン・アンドリュース(英語版)と結婚していたが、ハリスと同じように離婚している[24]。三度の結婚歴も2012年現在、ハリスと同じである」とのこと。

なんといったらいいのかというエピソードだが、それにしてもこんな時期にミラ・ジョヴォヴィッチはもう女優をやってて結構大きな役を取っていたというのは知らなかったものでちょっと驚いてしまった。
というくらいミラ・ジョヴォヴィッチがどういうキャリアをたどってきたのかというのを把握していないのだが、この後長いインターバルがあって97年に『フィフス・エレメント』出演する。この間音楽をやっていたとのことだが、『チャーリー』のあのシーンがトラウマになっていたとかいうことでなければいいのだけどね。




ミルドレッドとチャップリンの離婚問題はどこまで事実かはともかくとして、『ハリウッド・バビロン』での描き方がすんごいのですよね。




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