キートン、野球やろうぜ!

『映画とは何か 山田宏一映画インタビュー集』




山田宏一氏による映画関係者へのインタビュー集。吉田喜重監督の『戒厳令』をプロデュースした(させられた?)ときの上野昂志氏のインタビューは(笑えるという意味でも)面白いし、その他にもいろいろと興味深いインタビューが収録されている。

淀川長治氏との対談ではバスター・キートンについて語られている部分がある。かつての栄光から落ちぶれてしまったキートンだが、「二番目の妻」の証言によればそれでも晩年は幸せそうであったというのだ。


(最初の妻のナタリー・タルマッジについて)

――『荒武者キートン』では共演してますね。
淀川 そうそう。でもそれくらいだね。姉さん二人が大金持ちで大人気者だから、きっと過保護だったのね。あんまり映画に出なくって、家系はタルマッジ家だから、威張っとったにちがいない。それと結婚したのね、キートンは。ずいぶんやられたらしいな。(笑) つまりわがまま女で。
――ハリウッド一の屋敷を買わされたりなんかしたわけですね。
淀川 『ゴッドファーザー』に出てくるプロデューサーの家が、そうね。あれがキートンの家だって聞いてびっくりしたのね。その前はマリオン・デイヴィスの家だった。
――マリオン・デイヴィスといえば、『市民ケーン』のモデルになった新聞王ハーストのお妾さんだった女優ですよね。
淀川 そうなのよ。大邸宅よ、だから。それをキートンが買ったらしいのね。つまりキートンはそんなの買うような人じゃないけど、きっとヨメさんのナタリーがほしいと言ったんだ。(笑) それからナタリーと別れて、キートンは落ちぶれて、二度目の奥さんがずっとあとに日本に来ましたね。いい人でしたなあ。
――エレノア・キートン。看護婦さんだった人ですね。たしかキートンがアル中かノイローゼかで入院中に面倒を見た人ですよね。
淀川  そう、そう。べつにキートンの映画を研究的に見てないのよ、この奥さんは。「ああそんな映画ありましたね」なんて言ってるの(笑)、おもしろいのね。
――いっしょになってから、舞台ではときどき相手役やったことはあるらしいんですね。
淀川 ちょっとやたらしいのね。ぼく会ったら、なんかほんとに普通のおかみさんみたいでね。晩年のキートンがたとえ仕事が少なくてもしあわせだったと聞いてうれしかったんだけどね。ただテレビにはキートンずいぶん出たらしいの。グロリア・スワンソンとも出たんだって。二人がなんかトロッコみたいなのに乗って、高いところからひっくり返って、向こう側へ落ちるような(笑)、そんなコメディのラスト・シーンでね。そういうものやって、「わたしの主人はずいぶんテレビで活躍したんです」って言ってました。それでね、家でトランプしてると、近所の子供が野球しててね、人数が足りないって呼びにくるんだって。(笑)
――野球はうまかったらしいですね、キートンは。
淀川 で、キートンが「オレが行く」って言って子供と野球してるんですよ、なんて奥さんが言うのね。ああキートンっていいねと思いました。ガツガツしないで、仕事さがし回ってイライラしないでね、余生を送っている。そういう感じがキートンらしいと思いましたよ。
  (pp.236-237) 初出 1986年「シネアシスト」第6号


ん? と思ったところがあったのでトム・ダーディスの『バスター・キートン』に目を通してみた。





ダーディスの伝記によると、最初の妻ナタリーとキートンは確かにうまくいってなかったものの、キートンの側にも飲酒癖や浮気といろいろと問題があったとしてある。別れたあとも円満とはいかずに、そのせいで長らくキートンは息子たちと会うことがなかったわけだが、離婚裁判ではすでの落ちぶれ金銭的に困窮していたキートンからできるだけむしりとろうとするのではなく、それなりの配慮もするなど、ナタリーの印象はそう悪いものではない。

そして「二番目」の妻のメイ・スクリベンズは看護婦であるのだが、キートンがアルコール中毒でまともな判断能力がなくなっている隙に妻の座に収まったとしてある。そしてほどなく夫婦生活は破綻するのだが、こちらの印象はひどいものである。「メイは総額二〇〇〇ドルを四回に分けて受けとることになり、エデュケーショナルからバスターに支払われる次の二、三回分の小切手から差し引かれる予定だった。彼女の特異な性格は首尾一貫していた。離婚判決では、共有財産は平等に分割すべきこととされていた。メイはそれを文字通りに実行した。銀の食器や皿の類まで、一揃いのちょうど半分を持ち出したのだ。さらに彼女は、バスターの愛犬エルマーまで――バスターの考えでは完全な悪意から――連れ去った。」と散々な書かれようである(p.285)。

「三番目」の妻エレノアはダンサーであった。この結婚によってキートンの私生活はようやく安定することになる。ということで上記の対談ではメイとエレノアがごっちゃになっていたのだが、たまたま記憶違いをしてしまっていたのか、それとも広くこのように信じられていたのだろうか。


なおこの結婚式には「二巻もの喜劇の趣」があったそうだ。新郎キートンは当時45歳、美しい新婦はまだ21歳だった。「エレノアは母親に付き添われていたが、ブランド判事は、バスターが結婚しようとしているのはエレノアよりもずっと彼に年齢が近いように思われるノリス夫人だと思い込んでしまった。エレノアを完全に無視したまま、判事は彼女の母親をバスターと結婚させようとするのだった。誰と誰が結婚するのかは明らかにされたが、判事の混乱は相変わらずで、式が終わるまで彼はずっとエレノアをモリスという名で呼んでいた。式が途中まで進行したとき、ロサンジェルス中の消防車がかき鳴らすかと思われるようなけたたましいサイレンの音が一同の耳を襲い、最後に判事が絶叫しつつ二人を夫婦と認める旨の宣言をするまで、それは鳴りやまなかった」そうである(p.296)。


対談で触れられていたキートンの野球好きは相当なものであったことがこちらの伝記でも取り上げられている。

キートンと親しかった俳優のハロルド・グッドウィンの思い出によると、「バスターは、キートン・スタジオの仕事に応募する俳優たちに対して、一種のテストを実施していたという。そのテストはただ二つの質問で出来ていた。一つは「演技ができるか」、そしてもう一つは「野球ができるか」だった。仕事がもらえるための合格点は五〇点で、ほとんど全員が合格した。事実、ザ゙・キートン・プロダクション・カンパニーは準備万端ととのった一つの野球チームでもあって、いつでも試合開始の用意が出来ていた。そしてすぐに解決できそうもない制作上の問題が起こったときは、たいてい野球をすることになっていた。バスターは、ここらでひとゲームやるのが適当だろうと公式に宣言したものである。もし野球の途中で誰かがいいアイデアを思いつくと、また撮影が始まった」。(p.102)。


それにしてもお爺さんになったキートンを近所の子どもたちが野球に誘い、腕まくりして出て行くというのはいいエピソードですよね。子どもたちは「お~いキートン、野球やろうぜ!」なんて声かけてたのでしょうか。


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佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
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