キティ・フィルム設立のころ

『甦る相米慎二』(木村健哉・中村秀行・藤井子編)に収録されているインタビューで、相米作品を数多くプロデュースした伊地智啓がキティ・フィルム設立のころをふり返っている。


どう?一緒にやりませんか?という執拗な誘いが長谷川〔和彦〕からあって、相米が長谷川と私との間を行ったり来たりしながら、その仲介の役割というか、段取りを一生懸命やった。それがじつは、キティ・レコードという会社がキティ・フィルムという映画部門を作ろうという動きと連動した。キティには映画プロパーの人間が当然いるわけじゃないから、その中心に私をという考えが青写真として置かれていて、いろんな策動をしていたんですね。それにまんまと乗るというか、そのへんで第一歩が始まった。長谷川にしてみれば、自分の映画が撮れる場所ができればいいという思いがすべてでしょ。
 例によってなかなか企画が定まらない。そのとき村上龍が芥川賞を獲ったばっかりだったかな、キティのオーナーのグループの一人として、いた。長谷川が映画を撮るんなら、村上の能力も活かしたほうがいいんじゃないかということになった。そこから、当面は村上・長谷川というコンビネーションで作業をずっと続けるわけですよ。その間に相米と私が入って。何本も何本も企画をつくるわけ。次から次へ村上龍がプロットを書いてくるんです。その中に『コインロッカー・ベイビーズ』というのがあって、いち早くシナリオにもなった。でも、「このシナリオいいよ」って私が言ったときに、長谷川はそっぽ向いたんですよ。私は密かに村上龍に「これはやる価値がある。きわめて映画的だし、すぐにでもできるからとっておこうと」と言った。ただ、当面の目的は長谷川和彦の一本目ということだから、村上龍は量産するんだけど、どれも長谷川の琴線に触れない。で、村上龍は一時休戦状態になって、レナード・シュレイダーと始まるんですよ。カミさんのチエコ・シュレイダーも出てきて、いっぱいホンのやりとりをするなかで、チエコ・シュレイダーがプロットを書き上げてきたものがひとつあった。これが後に『ションベン・ライダー』になるんですよ。
(p.184)


長谷川和彦はこれにも乗らず、『ションベン・ライダー』は「これは面白いから俺がとった」、といことで後に伊地智プロデュース、相米慎二監督作品となる。「長谷川はとにかくどんな材料を出しても簡単には乗ってこない。その結果どうなったかというと、オーナー(多賀英典)もしびれを切らして、「長谷川は後回し!伊地智さん、先に村上龍で一本やらない?」と言うから、「じゃあ芥川賞受賞作やりましょう」ということで、そっちを先に村上龍脚本・監督でやっちゃった」(p.185)。


このへんのエピソードというのは詳しく知らなかったのだけれど、こんなことがあったのですね。長谷川和彦監督で『コインロッカー・ベイビーズ』が実現していればどうなっていたのだろうということに想像が膨らむ一方で、村上龍の映画作品って……ねえ。この時撮られたのはもちろん『限りなく透明に近いブルー』である。もうソフト化はしないのかね。


長谷川和彦はこの後に『太陽を盗んだ男』を伊地智プロデュースで撮ることになる。この作品の撮影過程は伝説となっているが、そのあたりもこのインタビューで触れられている。
また『太陽を盗んだ男』の脚本には助監督であった相米と若き黒沢清も参加している。相米と黒沢はこの作業時に初めて出会っており、そのあたりを含めてのエピソードは本書で黒沢と篠崎誠との対談て触れられている。


篠崎 相米さんは実際に脚本をお書きになっていたんですか?
黒沢 書いていました。覗いても読ませてくれなかったんですけど。僕が書いたのと相米さんが書いたのとを長谷川さんが見て、再び長谷川さんが書く。
篠崎 それは同じ一つのシーンをお互い別個に書く、ということですか?
黒沢 そうですね。長谷川さん曰く、僕はとにかく具体しか書かない、相米さんはとにかく理念しか書かない、と。
 (p.344)。


このあたりはなんだかもう神話の世界という感じである。




プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR