『ホーリー・モーターズ』

『ホーリー・モーターズ』

レオス・カラックスの新作を待ち望んでいた一方で、見るのが恐いという気持ちもあったものでようやく。




劇場で映画を見る観客。そしてあの男が、カラックスがついに目を覚ます。しかし男は覚醒したのか、あるいは夢の世界に迷い込んだのか、繰り広げられる夢幻的光景。そしてドニ・ラヴァンが奇妙な日常へと足を踏み出す。

冒頭から暗示されるように、この作品は映画を、そしてカラックス自身をテーマにしたものでもあろう。
誰にでもなれるという夢のような世界、そして誰にもなることができないのだという悪夢的世界。これは映画監督が、映画俳優が、そして映画を見ている観客が共に体験することでもある。

『ボーイ・ミーツ・ガール』のアレックスは、映画を撮るという漠然とした夢を抱きつつ、自分が何者にもなれずに、負け犬として一生を終えるのではないかということに怯えを焦燥感を抱いていた。これは若きカラックス自身の姿でもあったことだろう。しかしカラックスは見事に成功を収めたのであった。

アレックス三部作を見返して、カラックスはエディプス・コンプレックスとの対決を回避することによって「子ども」のまま成長できなかったのではないかということをこちらに書いた。
アレックス三部作はあらすじのみを取り出すと一作ごとに内容がまるで異なるようでいて、すれ違う宿命的な恋をロマンティシズムに基づいて描くという一貫したものとなっている。またカラックスは同じイメージを繰り返し使用している(『ボーイ・ミーツ・ガール』と『汚れた血』における主演女優にして恋人のアップ、寝取る男「トマ」、バンダナで顔の下半分を隠す、あるいは『汚れた血』と『ポンヌフの恋人』での片目にあてた絆創膏などなど)。

カラックスは同じところにとどまり続け、成長などしたくなかったのかもしれない。しかし人は歳を取れば、立場も変わる。放蕩の限りを尽くした『ポンヌフの恋人』によってカラックスは現実に復讐される。アレックス三部作において、『ポンヌフの恋人』のみ(取ってつけたかのような)ハッピーエンドとなっているが、これは製作陣とすでに別れた恋人ジュリエット・ビノシュに強いられた結末でもあった。
メルヴィルの『ピエール』からインスピレーションを得た『ポーラX』では母子、姉弟の近親相姦的世界が描かれるが、ここでも依然としてエディプス・コンプレックスに向き合うことができなかったのだとすることもできるのかもしれない。


『ホーリー・モーターズ』ではカラックスはそんな自分の姿をパロディ化しているようだ。モーションキャプチャーのパートでは、カラックスの代名詞ともいえるダイナミックな横移動を、ラヴァンはルームランナー上で行い、しかもスピードが上がると足がついていかずに転げ落ちてしまう。

父子のパートは「30年後のアレックス」として一本の長編にもできそうであるし、廃墟と化したサマリテーヌ百貨店でのカイリー・ミノーグによるミュージカルシーンはいかにもカラックスという感じでぞくぞくとするが、その全てを相対化していくかのような「オチ」がつけられていく。

『汚れた血』で殺されない「父」を演じたミシェル・ピコリ(当初はカラックス自身が演じるというプランもあったようだ)との会話でラヴァンは、「重くてかさばるカメラが懐かしい」と、自分がすっかり時代遅れになった懐古趣味に捉われていることを告白するが、しかしカラックスはその前段では奇怪なエロティシズムを与えるモーションキャプチャーからCGを合成してみせてもいる。

ミノーグは「時は味方してくれない」と語る。カラックス自身が老いさらばえてしまったのを自虐的に風刺しているあのようでいて、唐突に挿入されるインタールードではラヴァンがアコーディオンで、エネルギッシュに、弾むように音楽を奏でる。

次々と奇妙な「アポ」をこなしていくラヴァンは、最後に陰鬱な気持ちにとらわれ、自分は一体何者なのかいうとアイデンティティクライシスに陥るかのようだ。しかしそこで繰り広げられるのは『マックス・モン・アムール』的奇想に満ちた光景である。

ドニ・ラヴァンというと「異形」とも評されることもあるその顔貌に目がいってしまうが、極めて身体性の強い俳優であり、駆け抜けるアレックスの姿がアレックス三部作に繰り返し表れるように、カラックスも当初からそのことを強く意識していた。また身体性を活かしたスラップスティック的ギャグも、カラックス/アレックスの好みでもあった。この作品でも入れ替わる死体のパートはシュールめいたギャグとなっているし、全体に不気味な陰気さをまとっているようで、笑いに満ちた作品にもなっている。

ゴジラのテーマに乗って現れる『TOKYO!』の「メルド」も笑いを意識したものであったのだろうが、やや上滑りしている感もあった。『ホーリー・モーターズ』では「メルド」を含むドニ・ラヴァン七変化を通して、ラヴァンという俳優のポテンシャルを十分に引き出すと同時に、カラックスは自らの過去と現状とを高らかに笑い飛ばしているかのようでもある。
予告を見た限りでは、なにやら難解にして前衛的なことが繰り広げられているのかと構えてしまっていたのだが(悪くいうと内に引き篭もった自己満足的作品になっているのではないかという不安と警戒心を持ってしまっていた)、『ポンヌフの恋人』から『ポーラX』あたりに立ちこめていたモヤモヤしたものを吹き飛ばすかのような、突き抜けた作品であった。
カラックスのことなので次の作品がどうなるのかはわからないが、この調子で是非とも暴れてもらいたいという期待を抱かせてくれるものとなっている。








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佐藤太郎(仮)

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