『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』

ゲイリー・シュタインガード著 『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』





アメリカは「超党派党」によって独裁政治が行われるようになり、またベネズエラに軍事介入しているようだ。そして人間の価値は数値に置き換えられて管理されている。
オーウェルの『1984年』のタイトルの由来は執筆時の1948年をひっくり返したものだが、ディストピア小説は宿命的に現実を反映したものにならざるをえない。2010年に発表されたこの小説も、とりわけ「9・11」以降のアメリカの空気に強く影響されていることは間違いないだろう。

『1984年』、そしてオーウェルの少なからぬ作品には現在でも魅惑的なアイデアが数多く詰まっている一方で、純粋に小説という観点から評価するとやや平板に思えてしまうところも無きにしもあらずである。ではこの『スーパー・サッド・トゥルー・ラブ・ストーリー』はどうかというと、そのような政治的描写が先行することにつきまとう欠点を回避できているだろう。

というのも、この作品はすぐれてアメリカ文学的であるためだ。移民二世たちの物語であり、これは当然世代間ギャップを生む。またロシア系と韓国系からくるズレ。自虐的でもあるユダヤ系小説の流れを継承しつつ、不惑ならぬ惑う中年男の物語でもある。このあたりはフィリップ・ロスあたりを連想することもでき、あえて言うなら「オーウェル・ミーツ・ロス」とすることもできるだろう。本作はアメリカでは極めて高い評価を得たが、アイデア一発勝負の奇想に留まらず、広く楽しめるという点で敷居が低く、またこのようなアメリカ文学の伝統を引き継いでいるものでもあるためだろう。

ジョナサン・サフラン・フォアやジュノ・ディアスといったあたりの同世代の作家との共振というのも感じさせてくれる。その結末は一筋縄ではいかないものでもあり、これはある世代以降の物語観の反映でもあろう。最早純粋無垢に物語を信じることはできないが、かといって嬉々として物語を破壊することだけに意味を見出すこともまたできない。100パーセントの信頼がおけなくとも、我々は物語なくしては生きられず、また物語という宿命からも逃れることはできないのだから。

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佐藤太郎(仮)

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