『こうしてお前は彼女にフラれる』

ジュノ・ディアス著 『こうしてお前は彼女にフラれる』






この短編集に収録されている作品の多くで語り手を務めているのは、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』でも語り手であったユニオールである。もちろんフラれ続けるのもこのユニオールだ。

ユニオールは浮気を繰り返すが、あたかもそれがバレることを望んでいるかのようでもある。「訳者あとがき」で「どうして浮気について書くのか」という質問にディアスはこう語っている。「きちんと親密さを感じて育むことができない、という男性たちについて語る、これ以上の方法はないからですよ。浮気とは親密さを避けるためのものなんです。ちゃんと感じたがらない、人とつながりたがらない、相手のことを想像したがらない男たちを示すための、話として面白い、ものすごくあからさまな方法なんですね」。

この言葉は危険なようにも思える。スティーブ・マックイーン監督の『シェイム』の主人公はポルノ中毒のオナニストで、娼婦相手にはいくらでもセックスができるのに、しっかりとした関係を築こうとした相手には勃たないという場面がある。このようにセックス中毒者が他者と深い関係を結べない、あるいは結ぶことを恐れ、他者を傷つけ、自分を表面的に傷つけることで自らが深く傷つくことを回避しようとするというのはかなりステレオタイプ化されたイメージだろう。

ユニオールの行動についても、「合理的」にその起源を辿ることは簡単だ。ドミニカからアメリカへの移住、崩壊する家庭、兄が若くしてガンとなり死亡する。これらのトラウマを回避したいと思いつつも、また反復せずにはいられない。その結果として50人もの相手と浮気をするような事態となる。単にこれだけの物語ならば、露悪的私小説風の作品で終りかねない。

ディアスの作品を魅力的にさせているのは、まずは二つのリアルな感覚だ。ディアスは自身と同じくドミニカからアメリカへの移民という設定で描き続ける。アメリカ自体が移民国家であり、古い移民と新しい移民との摩擦や移民一世と二世との間の断絶といったテーマはもうひアメリカ文学においてはおなじみのものである。そして母はユニオール兄弟に英語を憶えさせるためにひたすらテレビを見せることになる。番組は『ターザン』、『科学少年J・Q』、『怪獣王ターガン』『セサミストリート』といったものだ。これらが体内に自然に吸収されていくというのは、世代的なものでもある。『オスカー・ワオ』におけるオスカーがドミニカからの移民であり、また「ヤオハン」に通い倒すオタクでもあったが、これらは対立するものではなく、ごく自然なこととして並立するのである。

さらにドミニカという土地のエキゾチズムを、南米文学ではおなじみのマジック・リアリズム的空気をどことなく漂わせながら、作品世界にも導入していく(トルヒーヨ独裁政権下というのはドミニカ人にとっては悪夢的世界であり、ある意味ではこれもまたリアリズムなのでもある)。

『オスカー・ワオ』は一つ間違えると「キワモノ」になりかねないところもあったが、その危険性からはするりと身をかわしている。そしてこの短編集も、ステレオタイプ化する危険性を孕みながら、一つの鋳型に押し込むことのできない広がりも持っている。
「ドミニカ人だから」という「遺伝的にうんぬん」というものを拒否しつつも、また兄との関係から宿命的な「血」のもたらす業というものも感じさせる。ディアスの作品が読者の感情をフックしつつも、また単にそのような条件反射的反応にのみ寄りかかるものでないのは、ある種の危うさ(通俗性といってもいいだろう)にあえて近づきつつも、またそのような危惧を易々と凌駕していくパワフルさを持ち合わせているためであろう。

ディアスが「遅筆」であることは「訳者あとがき」でも触れられているが、このような作品は単にセンスや勘の良さのみによって書くことはできないのである。




プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR