『愛しき背信者』

シーラ・グレアム著 『愛しき背信者』





ウディ・アレン監督の『ミッドナイト・イン・パリ』で、映画の脚本家で小説の執筆に乗り出したものの行き詰っているギルは現在から1920年代のパリへと迷い込み、そこでフィッツジェラルドやヘミングウェイらと出会う。ヘミングウェイは駆け出しの小説家として、まさにこれから飛躍しようという時期であった。一方フィッツジェラルドは押しも押されぬ大人気作家で、富と名声の頂点にいた。映画では描かれないが、フィッツジェラルドの人生にはすでにこの頃不吉な影が忍び寄っていた。精魂込めて書き上げた自信作『グレート・ギャツビー』は今でこそアメリカ文学の最重要作品であるが、当時は売り上げは振るわなかった。そして妻ゼルダには狂気の兆候が見え隠れしていた。

フィッツジェラルドは1920年代後半以降、下降線をたどるどころではなく瞬く間に忘れられた作家となってしまう。経済的に追い詰められつつも、ゼルダの治療費と一人娘スコッティーの教育費をなんとか捻出しようとハリウッドに渡ることになる。そしてそこで本書の著者であるハリウッドのコラムニスト、シーラ・グレアムと出会うのである。

『愛しき背信者』はシーラ・グレアムの生い立ちからフィッツジェラルドとの出会い、そして彼女の自宅でのフィッツジェラルドの死までを描いた回想録である。

家庭の事情から孤児院で育ち、その美貌から複数の富豪に見初められ、また「ロンドンで最も美しいコーラス・ガール」と呼ばれるようになる。「事実は小説よりも奇なり」よろしく、このあたりはまるでフィクションであるかのように波乱万丈である。
その後なんやかやとあってハリウッドに渡り、イギリス人貴族との結婚が決まるが、あるパーティの席上でフィッツジェラルドと出会う。

フィッツジェラルドはシーラと付き合いつつも入院中のゼルダに手紙を書き、面会に赴き、そしてスコッティーの父親としての役割りも果たそうとする。これは夫や父親としての単なる義務感からのみではなく、ゼルダを愛し続けてもいたのだろう。矛盾した行動ではあるのだが、すくなくとも当人には嘘はなかったのだろう。金銭的に追い詰められ、アルコールに溺れ、脚本家に身をやつしつつも、それでも優れた小説を書くのだという志しを失うことはなかった。このような、痛々しさと滑稽さと高潔さとを抱えていたのが晩年のフィッツジェラルドであった。

正直に言うと、シーラやフィッツジェラルドに興味がない人にとっては本書はそう面白いものではないかもしれない。しかし、とりわけ晩年のフィッツジェラルドについて知りたいという人にとっては貴重な証言となっている。


ということで印象深かったエピソードをいくつか。

フィッツジェラルドはシーラと出会い、彼女に自分の小説を読ませようと本屋に行くのだが、どの本屋にも彼の小説はもう置いてはいなかった。そしてシーラが友人たちに紹介すると、友人たちは彼が「まだ生きていたのを知ってびっくりしたかのように目を見は」るのであった。

フォッツジェラルドについて、浮世離れしたかのようなイメージを持っている人もいるかもしれないが、実際には「世の中の出来事をむさぼるように追求」していた。ラジオでヒトラーの演説を聞くと、「やつらはまたやるつもりなんだ。また戦争をするつもりなんだ――そしてわが国もまた参戦するだろうよ」と分析し、「ぼくはあっちへ飛んで行って、ヒットラーがまた戦争をおっぱじめる前に、やつを暗殺してやりたいよ。まったく、そうしてやるとも!」と語った。「ねえ、シーロ、ぼくはこの前の戦争でも戦いたかったんだよ。ところが、見事に足をすくわれちゃってね。休戦になちゃって海を渡れなかったってわけさ」(フィッツジェラルドはこの従軍中にアメリカ南部でゼルダと出会っている)。

そして死の直前には、自分もヨーロッパに出かけていって戦争について書くとしよう、と語っていたとも。「そうなればアーネストもその分野を独占することにはなるまいよ」とヘミングウェイへのライバル心も忘れてはいなかった。

もっともこのあたりは信憑性というところではどうなのだろう、という気もしないではないのだが。

ただフィッツジェラルドがシーラのために「フィッツジェラルド大学」と称し文学教育を行ったのは、本書に直筆の彼女への「読書計画」を書いたメモの写真が収録されていることからも間違いない事実である。

プルーストの『失われた時を求めて』にフィッツジェラルドは心酔しており、シーラが読み始めると「一日に十ページ以上は読まないことだね(……)ゆっくり、丁寧に読んで、先へ進む前に、読んだところをよく消化するんだ」とアドバイスしている。
バイロンやキーツなどの詩集には評やアドバイスを書き込み、そしてヒトラーの『我が闘争』やマルクスの『資本論』も「私といっしょに一章一章丁寧に読み、説明したり、解釈をつけ加えたり」したそうだ。

アメリカの大学の創作科については賛否さまざまな意見があるが、もしこの時代に創作科があればフィッツジェラルドはきっといい教師になったであろうし、そうなっていれば経済的にも安定したのだろうなあ、なんてことを想像してしまう。

フィッツジェラルドが結局完成させることができずに未完に終わった『ラスト・タイクーン』のキャスリーンはシーラがモデルとなっている。スターとキャスリーンの会話は「私たちが作家組合の舞踏会でめぐり会ったときのことをスコットが絶妙な筆で再現したものではないだろうか?」とふり返っている。

なお不勉強にも知らなかったのだが、1959年にはグレゴリー・ペック主演で本書は映画化されていた。邦題は『悲愁』というタイトルになってる。
某所に動画があがっていたのでチラっと見たのだが、グレゴリー・ペックは晩年のフィッツジェラルドを演じるにはちょっと健康的すぎる感じがしてしまう。当時の写真を見ても、フィッツジェラルドは四十を少し越えたところとは思えないような老け方をしていて、実年齢よりも十歳は上に見える。もう少しくたびれた悲哀を出せていないと雰囲気は出ないかもしれない。
この映画はそれほど評判にもならなかったようで、フィッツジェラルドの生涯は割と映画にしやすそうなのにネタ枯れハリウッドでもなかなか映画にならないのはこのあたりも影響してたりするのかな。『ミッドナイト・イン・パリ』の感想でも書いたけど、フィッツジェラルド役のトム・ヒドルストン(『アベンジャーズ』のロキ役の人というとイメージがなんかアレだけど)は結構雰囲気を掴んでいるように思えたので、このあたりでやってもらいたいなんてことを思ってしまうのだけれど。

あと映画つながりでいうと、『ラスト・タイクーン』はロバート・デ・ニーロ主演でエリア・カザンの最後の監督作品として撮られている。これはどとらかというとフィッツジェラルドの原作やカザン監督というよりは、特にラストシーンのあたりは脚本のハロルド・ピンターの色が濃いかなあという印象が強いものとなっている。

フィッツジェラルドの伝記といえばターンブルの『完訳フィッツジェラルド伝』は邦訳が出ているが、Bruccoliのこちらが今のところ決定版というところだろうか。これもどこか出してくれないかなあ。



シーラ・グレアムの息子によるこんなのも出ている。





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