『ベルリン・オリンピック 1936』その1

デイヴィッド・クレイ・ラージ著 『ベルリン・オリンピック 1936』





ナチス政権化で行われた1936年のベルリン・オリンピックから聖火リレーが行われるようになったことは有名なエピソードだ。ではその意味についてはどうだろうか。聖火リレーは「間もなく始まる競技に対する関心を高めるだけのものではなかった。それは、ある理念上の非常に重い荷を負っていた」のである。聖火リレーは「南東および中部ヨーロッパに新生ドイツを宣伝するもの」となり、それは「ナチの生存圏〔レーベンスラウム〕」の提唱者が欲しがっていた地域と重なるものだった」。つまり、「その後のあからさまな侵略を予示するものだったのである」。
ナチスはドイツこそが古代ギリシャの後継者だと位置づける民族主義を煽った。「オリンピックの聖火は現代ドイツ国家の純粋さを予示する古代の「純粋さの象徴」だった」とあるように、オリンピックはナチスにとって絶好のプロパガンダの機会であった。

近代オリンピックの誕生からベルリン・オリンピックを中心に描き、さらにこれ以降のオリンピックの歴史を概観した本書を読むと、一部のドイツ人が後々までそう信じる(あるいは信じたいと願う)ような、ベルリン・オリンピックなナチス体制化において束の間の「休戦」であったという事実などなく、そればかりでなく近代オリンピックそのものがナチス的なものとの親和性があるという危うい現実も明らかになっていく。

近代オリンピックの提唱者であるクーベルタンは古代ギリシャの「オリンピック休戦」を「理想化」したが、このような擬似的な歴史の利用はナチスが古代ギリシャとドイツとを重ね合わせようとしたこととの類似性とすることもできよう。さらにはクーベルタンはまた「強い国家主義的情熱」にもかられており、「彼の主な関心の一つは、一八七〇年から七一年にかけての普仏戦争でドイツ連邦にフランスが屈辱的な敗北を喫したので、フランスの若者の肉体的、精神的素質を強化する――「再ブロンズ色化」する――こと」であり、この点においてもナチスと重なるものがある。

当時ドイツではイギリスやアメリカのようなチーム・スポーツや個人競技よりも「集団規律と同胞意識を培うことを意図した複雑な団体体操」などが盛んであり、これらはまた外国人排斥的な民族主義的色彩を帯びていた。そのドイツが第一回のアテネ・オリンピックにへの参加をあやうく取りやめるところだったというのは、クーベルタンがフランスのドイツへの敗北から出発したのと並んで歴史の皮肉であった。

大会中に煌々と炊かれる巨大な聖火は1928年のアムステルダム・オリンピックで再登場し、「オリンピックの派手な演出に欠かせないものとなった」。クーベルタンはオリンピックを単なるスポーツ大会とは考えておらず、簡素な開閉会式には腹を立て、スペクタクルを求めていた。また1932年の第一回ロサンゼルス・オリンピックでは「各種目の三位までの入賞者に段になった台の上でメダルを授与する」という「新基軸」が採用される。「金メダル受賞者は、自国の国家がスピーカーから流れてくると、それにふさわしい愛国的で謙虚な表情をする」という慣行は以降今日まで踏襲される。このようにスペクタクルを求め、ナショナリズムを導入するというのはすでにナチス以前のオリンピックで行われていたことであり、ナチスは全く新しいことをベルリンにおいて行ったというより、これらを最大限に利用したとするべきだろう。


ベルリンがオリンピック招致に成功したのは1931年、まだヒトラーが政権を握る前のことであった。
もともとヒトラーやその他ナチス幹部はオリンピックに批判的であったが、次第にオリンピックがナショナリズムを煽るプロパガンダに有用なことに気づき、ベルリン・オリンピックの準備に力を注ぎ始める。

一方他の国では、あからさまにユダヤ人排斥政策を行うナチス体制下のドイツで行われるオリンピックに参加すべきかどうかが、当然ながら議論を呼ぶことになる。最大の注目はアメリカであった。アメリカがボイコットを決めたならイギリスなども追従したとみられ、仮にそういった国々がボイコットを決めていたなら起こったであろう、「世界の目からのみではなく――究極的にはもっと重大なのだが――ドイツ国民自身の目から見ても、ヒトラー体制の評判が下がったことを示す、またとない貴重な機会を逃」すことになってしまった。ナチスはすでに独裁体制をしいていたとはいえ、国民からの支持はまだ磐石とまではいえなかった。ナチスにとってオリンピックを成功させることは、「第三帝国は、国内では経済的に発展しつつあり、国外では尊敬の念を勝ち取りつつある平和国家という印象を与える」ことができる絶好の機会だった(話を少し脱線させると、チャップリンの伝記映画『チャーリー』に、アメリカ人はナチスを誤解している、ヒトラーは平和をもたらそうとしているだけだ、と主張するナチスのシンパが登場する。このようにヒトラーは国内的には反ヴェルサイユ条約、失われた軍事力と領土を取り戻すことを訴え、国外に向けては「平和」的なイメージを与えようとしていた)。

アメリカがベルリン・オリンピックに参加する決定打となったのはローズヴェルト大統領の「沈黙」だった。ボイコット支持派は「ドイツ系ユダヤ人の置かれていた窮境に同情していることが知られていた」大統領がボイコット支持の決断を下してくれることに期待していたが、「老練な政治家だったローズヴェルトは、どちらかに肩入れするのは、どっちの立場にも立たないよりも危険だということを十分に理解していた」のであった。すでに国内の右派から「ユダヤ人贔屓」という評判があり、ボイコットを決断すれば自身の政治的立場が危うくなりかねないと考えた。そもそもアメリカは国内において黒人を差別しているにも関わらず、ナチスのユダヤ人迫害を批判できるのかという声も当然あがる。このあたりはローズヴェルトの、また時代の限界というところでもあろう。個人の感情では人種差別をなんとかしたいと思っていても、この問題に手をつけることがパンドラの箱を開けてしまうことになりかねないことを怖れてもいた。

ベルリン・オリンピックにおいて個人として最も注目を集めたのはアメリカの黒人選手、ジェシー・オーウェンスである。オーウェンスは当初はボイコット支持であったが考えを変える。そしてベルリン・オリンピックで期待通りの大活躍をするが、当然ナチスの人種イデオロギーに受け入れられるはずはなかった。ゲッベルスは報道機関にナチスの対外的イメージ向上のために人種差別的報道を慎むよう命じてたが、当のヒトラーは黒人選手に対して公然と侮蔑的態度を取った。にもかかわらずオーウェンスは「自分や他のアメリカ黒人に対するヒトラーの明らかに無礼な振る舞いの印象を和らげよう」とし、「アメリカに戻ると彼は、「ドイツの時の人」を批判する悪趣味の持ち主としてアメリカのジャーナリストを非難」した。さらには1936年の大統領選挙で共和党のアルフ・ランドンを応援した際に、「ヒトラーを「威厳のある人物」と何度も褒め、ローズヴェルトを「社会主義者」だとけなした」のであった。ここにオーウェンス自身の右派的政治観や、成功したマイノリティが「体制側」の擁護者になるといったよくあるパターンを見出すこともできるが、アメリカにおける人種問題への苛立ちからこのような極端な態度に出たとすることもできるのかもしれない。

ローズヴェルトが「ユダヤ人贔屓」というイメージが広がることを怖れたように、ナチスのみならず、欧米に広くユダヤ人差別は深く浸透していた。アメリカでボイコット運動が広がりを見せ始めると、あるIOCのメンバーはこれにとまどい、このような手紙を書いている。
「アメリカ系ユダヤ人がいくらか扇動しているようだ。(中略)スポーツに関しては、そうした扇動は許されない。(中略)アメリカ系ユダヤ人が大騒ぎをして、われわれに非常な迷惑をかけているのはまことに遺憾だ。(中略)ドイツにいるユダヤ人の迫害に関しては、私はまったく賛成していないが、変革がなされねばならなかったことは十分に理解できる。ドイツでは国の大部分がドイツ人自身にではなくユダヤ人に牛耳られていたのだ。アメリカ合衆国においてさえ、君たちがユダヤ人の活動を止めねばならぬ日が来るだろう。私の友人の多くはユダヤ人なので、私がユダヤ人に反感を抱いていると君は思ってはいけないが、ユダヤ人は一定の限度内にとどめられねばならない」。

「私には○○人の友人がいるが……」というのは人種差別主義者を揶揄するジョークとしてよく使われるが、これは戯画化されたものではなく、まさにこのような反応をする人物が実際にいたのである。そして「国の大部分がドイツ人自身にではなくユダヤ人に牛耳られていた」というのも典型的な反ユダヤ主義的妄想であるが、この手紙を書いた人物であるIOCのスウェーデン代表であったジークフリート・エドストレムは1946年(!)にIOC会長になる。

大西洋横断飛行でアメリカの国家的英雄となったチャールズ・リンドバーグはベルリン訪問について、ナチが「彼が自分たちの体制を認めている証拠と解釈」しかねないという意見があったが、そもそもが「いくぶんヒトラーに実際に共鳴していた」リンドバーグはこのような懸念を無視した。そして「もし一番有名な金髪碧眼の白人ではなくユダヤ人だったら、彼は十回以上縛り首になるだけのドイツの秘密を知ってしまった」ほどの歓待をされる。妻のアンは「私はヒトラーのことを非常に偉大な人物だと感じ始めています」という手紙を母に宛てて書いている。また後に「ナチがユダヤ人をゲットーに入れ、強制移住し、殲滅する際に利用したカタログ作成技術を提供」することになるIBMの社長トマス・ワトソンもベルリンを訪れ、「ヒトラーを賛美し」た。

「ベルリン大会に引き寄せられたVIPのうち、政界に影響力を持っていた者はほとんどいなかった。オリンピックを見ようとベルリンにやってきた貴族、著名人、社交界の名士、下位の王族は、一九三〇年代中頃には、世界の政治を動かす存在ではまったかった」のではあるが、しかし反ユダヤ主義の浸透具合を過小評価することもできないだろう。そしてIOC内部にもはびこる反ユダヤ主義をはじめとする人種差別こそがベルリン・オリンピックの「成功」の最大の要因であるといっても過言ではないだろうし、このような体質は戦後もIOC内部に温存され続けたのであった。


本書では「日本人」としてマラソンに参加し一位と三位となった孫基禎と南昇竜の二人にも触れられている。またユダヤ系でありながらナチスからアリバイのためにドイツ代表に加えられた選手や反ナチスを貫こうとしたドイツのレスリング選手など、個人のドラマにも焦点があてられている。
『オリンピア』を撮ったレニ・リーフェンシュタールにも一章が割かれており、またあまり注目を浴びることのない、ベルリン・オリンピックに先駆けて行われたガルミッシュ=パルテンキルヒェンでの冬季オリンピックについても取り上げられている。ここは「国家社会主義者の水準から見てさえ、激しい反ユダヤ主義の温床」となっていた地域であったが、ナチスはユダヤ人やその他の外国人が襲撃などの被害にあわないよう気遣いをした。これはむろんユダヤ人に配慮したのではなく、あくまでナチスの対外的なイメージ戦略であった。ベルリン大会終了直後に、突撃隊は「オリンピックが終わったならば、俺たちゃユダヤ野郎をぶちのめす」と歌ったように、その後のユダヤ人の運命は周知の通りだ。

またガルミッシュ=パルテンキルヒェンでは「安全で健康」な環境を提供しようと、「若い家出人、乞食、浮浪者」などを「詐欺師」とともに検挙した。ユダヤ人弾圧の「オリンピック休戦」は、あくまで「迫害運動の最も目につく手段にのみ当て嵌まっただけ」であり、「当局は実際に、オリンピックの妨害を未然に防ぐために、弾圧を強化」していたのだった。「非常に多くの外国人訪問者が賞賛した和気藹々の雰囲気は、警察の権力を過酷なほど行使することによって確保された」。

「ナチがベルリン大会直前に、大きな新しい強制収容所ザクセンハウゼンを造ったのも偶然ではない」。この収容所には「売春婦、同性愛者、乞食のような「反社会分子」と反体制分子用の主要監禁施設」であり、ここで残虐行為が行われているのではないかという疑惑に対しナチスは「幾列にも並ぶ整然とした獄舎と元気そうな囚人が写っている写真集を発行」し、この批判をかわしたのであった。ナチスは「ジプシー」の人々を「ユダヤ人に劣らぬくらい社会的、人種的秩序にとって深刻な脅威」と考えており、ベルリン大会直前に約600人のジプシーが検挙される。「その処置は、オリンピックの訪問者が滞在中、「清潔」で安全な環境を保障する手段として正当化された」。ジプシーは大会終了後も収容所に据え置かれ、その多くが命を落とすことになる。「そうした収容所自体、のちの東部の殲滅収容所の中継施設」だったのである。

ここまで極端ではなくとも、オリンピックなどの国際的イベントにかこつけてホームレスの排除などの「浄化」が行われるのもまた現在まで連なる問題であることは、このおぞましい過去とともにもっと意識されるべきであろう。

そしてこのガルミッシュ=パルテンキルヒェンでは「IOCに気前のいい寄付をした結果」として、コカコーラがドイツ大会の「公式スポンサー」となり、道路わきの一番目立つ場所に広告を出したのであった。「冬季オリンピックの組織委員は、政府の補助金と入場券の売り上げだけで大会の費用を賄うつもりはな」く、「IOCの後ろ盾を得て、利益をローザンヌと分け合うという合意のうえで広告権をさまざまな会社に売ることにした。広告が許されたのは、オリンピック史上でそれが最初ではなかったが、ドイツはそれまでのどの国よりも遥かに多くの商業上の権利を売り、ドイツのオリンピックは五輪を商売にするうえで新たな規準を作った」。

このように、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンの冬季オリンピックはベルリン・オリンピックの予行演習でもあり、またドイツでのこの冬季夏季オリンピックはその後のオリンピックの雛形となった大会でもあった。これらはまた、ナチスのみによって行われたのではなく、近代オリンピックがその誕生から持っている危うさの集大成とすることもでき、またその危うさは現在に至っても解消されたとは言い難いものでもあろう。


といったあたりで長くなってしまったのでその2に続く。
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佐藤太郎(仮)

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