『ベルリン・オリンピック 1936』その2

デイヴィッド・クレイ・ラージ著 『ベルリン・オリンピック 1936』




その1の続き。

著者は「本書の執筆にあたってベルリン大会のマラソン・コースを走ってみたというほどのスポーツマン」(「訳者あとがき」)だけあって、政治的、歴史的考察だけでなく、オリンピックにまつわる(珍妙なものを含む)様々なエピソードも紹介している。


近代オリンピックの初期の姿を忠実に映像化したならギャグ映画にしか思えないことだろう。
第一回アテネ・オリンピックに参加しようとしたハーヴァード大学の一年生だったジョン・コノリーは、参加を希望するとコーチから「「アテネの競技など聞いたこともない、君はギリシアに「物見遊山」に出掛けたいだけなのだろう」と言われた。さらに教授会では「どうしてもアテネに行くというのなら、学生たちは退学し、帰国したら再入学を願い出なければならないと決定した」。コノリーは「ハーヴァードなどくそ喰らえと言って永遠に大学を去った」。

しかし大学対抗スポーツになれていたアメリカの選手はアテネで圧倒的な強さを見せるのであった。400メートル走に出場した選手は、「ホームストレッチでほかの一団の選手の遥か前方にいたので、歩く速度にペースを落とした」。また「古代の競技である円盤投げで優勝したプリンストン大学の学生は、競技の行われる朝まで円盤を見たこともなかったが、砲丸投げとハンマー投げの経験があったのが役に立った」のであったが、裏を返せば他がいかにレベルが低かったかということだろう。

クーベルタンは「ぞっとするほどの試煉」であるマラソンをオリンピック競技に加えるのに懐疑的であり、「ドイツ人でさえ、死者が出るのを恐れ」、やめるようにと忠告していた。
ほとんどの選手がそんな距離をどうやって走ればいいのかがわからなかったために、「全速力で猛然と走り出し、数キロで脱落してしまった」。すでに100メートルと800メートル走にも参加していた、「白手袋を嵌めた異色の選手」であるフランス人のアルバン・レルミュジオーは、アメリカ人記者にどうやって練習をするのかと聞かれるとブロークン・イングリッシュでこう答えた。「アル日、スコーシ、ヒジョウニ速ク走ル。次ノ日、長ク、ヒジョニユックリ走ル」。レルミュジオーは 前日にワインを「幾瓶も」飲んでいたにも関わらず先頭でレースを引っ張っていったが、最後の数キロでよろめき出し、コース外に運び出された。その彼を追い抜いたオーストラリアのエドウィン・フラックも、「アテネ郊外で意識を失い、吐瀉物にまみれてその場で倒れた」。優勝したのはスピリドン・ルイスというギリシアの農民で、「彼は断食をし、祈りを捧げてレースにそななえ」、「賢明にも最初のうちは一団の後ろにいて、軽い飲食物としてはワインを少し飲むだけ」で、ついには先頭に立ち「観衆の愛国的熱狂を爆発させた」。優勝タイムは2時間58分50秒だった。


第2回のパリ大会は「オリンピックの劇的効果を高める」ために、気球乗り、消火競争、綱引き、カーレース、鷹狩りなどが行われ、「いとも貴族的にして、いとも華麗なるスポーツ」である鳩撃ちさえあった。
また「選手は全員、常軌を逸した施設で苦労しなければならなかった」。水泳はセーヌ川で行われたため、「流れのせいでタイムは速くなったが、川の汚染がひどいため選手はおぞましい皮膚病に罹った」。
陸上競技はパリの広大な公園であるブーローニュの森で行われ、「短距離走者は起伏する芝生の上を走り、円盤投げと槍投げの選手は樹木や、逍遥している恋人たちに円盤や槍が当たらないように注意しなければならなかった」。

そしてマラソンはというと、「一年のうちで一番暑い時期の午後二時半という馬鹿げた時間に始まり、走者は摂氏三十五度から三十九度という気温に晒された」。おまけに「パリの通りを抜けるコースは、人をまごつかせるような具合にくねっていて監視がお粗末だったので、走者は結局、そこら中を走り回ることになった。あるフランス人の走者は賢明にも、違った方角にだいぶ走ってから、カフェで自分のレースを終えた。最初は先頭を走っていた二人のアメリカ人は、ずっとトップだと思っていたが、二人のフランス人が一着と二着になったのを知ってびっくり仰天した。二人の失意のヤンキーは、その二人のフランスの男を見かけた覚えも、ましてやその男たちに抜かれた覚えもなかったのである。のちに二人のアメリカ人は、地元の二人は便利な近道を走ったのかもしれないと、恨みがましく仄めかした」。

また万博の「単なる付け足し」として催されたこの大会は、「産業と技術の進歩に焦点を当てている博覧会に従属していることを強調するため、スポーツと無関係の項目に入れられることが多かった。例えばアイススケートとフェンシングは、公式には刃物コンクールに登録された」。オリンピック大会ではなく「運動およびスポーツ国際コンクール」と呼ばれたために、「パリにやって来た選手たちの何人かが、自分たちは「オリンピック競技」で競ったのだということをあとになって知って、ひどく驚いた」という有様であった。

さらに仏独間の敵対感情から、フランスの主催者はドイツ選手団に様々な嫌がらせを行う。ドイツ選手団がパリに到着しても誰も出迎えてくれなかったので自分たちで宿舎を捜さねばならなかった。ようやく宿舎を見つけると、壁には「豚野郎――プロイセンをやっつけろ!」という落書きがあり、団長のホフマンは「自分のベッドに大きな糞の塊を見つけた」。また「競技スケジュールについて何も知らされていなかったドイツの短距離走者は、百メートル競走のスタート合図要ピストルがまさに鳴った時にトラックに着いた」……と、子どものいたずらかよ、という出来事が頻発したのであった。


そしてベルリン・オリンピック。

女子100メートル走決勝で本命視されていたのはポーランド出身の世界記録保持者、スタニスウァヴァ・ヴァラシェヴィチェヴナだった。彼女は発音しやすいようステラ・ウォルシュと名乗ってアメリカに住んで練習をつんでいた。しかし優勝したのは「ミズーリ州出身の農村の娘ヘレン・スティーブンズ」だった。ポーランド人の記者はこの「背が六フィート一インチ近くあり胸がぺしゃんこのスティーブンズ」を男なのではないかと疑った。「ヴァラシェヴィチェヴナを負かすことができるのは男だけなのだろうと信じていたのだろう」。この「疑惑」はAOCがスティーブンズは間違いなく女性であることを立証し、IOCを納得させたのだが、話はここで終わらない。ヴァラシェヴィチェヴナ/ウォルシュは1954年まで「女性」として競技を続け好成績を収め、75年には「米国陸上競技栄誉殿堂入り」を果たした。80年にクリーブランドでショッピング中に強盗の流れ弾が当たるという不運で死亡してしまったが、「検視が行われると、ウォルシュが標準的な男性器と男性染色体を持っていることが暴露された」のであった。
ウィキペディアを見るとヴァラシェヴィチェヴナ/ウォルシュは男性が女性と偽っていたのではなく両性具有であったということのようだが、著者はこのあたりのことには触れておらず、ただ男装していただけかのような印象になってしまっている。

女子走り高跳びではユダヤ人であったグレーテル・ベルクマンはドイツチームから除外されてしまう。ドイツはエースと目されていたドーラ・ラートイェンの不振が響くことになる。このベルクマンは、チームメイトだったラートイェンの性に「疑念」を抱いていた。そして「ラートイェンは実際、「男」だったのである」。こちらは両性具有ではなく、性別的には紛れもない「男」として生を受けたようだ。こちらもウィキペディアを見てみると、滑稽というよりは悲劇的なエピソードのようにも思えるのだが、本書の記述ではそういった印象は受けず、このあたりの著者の書き方はちょっと危うい印象も受ける。


申し訳ないが笑ってしまうエピソードというのもある。競歩の歩き方は、「全選手をまるで便秘になっているかのように見せた」が、「勇猛果敢なイギリス人ハロルド・ホイットロック」は「実際に便秘だった」。レースの最中吐き気を感じていたうえに、20キロ地点でブドウ糖の特製飲料を持っているはずのスタッフが現れない。24キロ地点でようやく飲み物を受け取るが、それは「コンデンスミルクを入れたひどく甘ったらしい紅茶」だった。30キロ過ぎにホイットロックは先頭に立つが、胃が収縮しはじめ大量に吐かねばならなくなった。このおかげで紅茶は胃からなくなったものの、今度は「ついに通じものがあり、便があふれるように出た。あとを追ってくる者に、汚らしい障害物を点々と残すという利点があった」せいか、見事金メダルに輝く。自動車の修理工であったホイットロックは、オリンピックに出るなら給料を減額すると言われていたが、「英国の観衆にとってだけでなく、ハイレベルのスポーツにおける真のアマチュア精神の擁護者にとっても英雄になった」。

それにしても決壊してしまった瞬間の心中はいかなるものだったのだろうか……


また水泳のアメリカ代表選手の何人かは、タンクトップに星条旗ではなく日章旗をつけていた。「それは忠誠を誓う対象を間違えたからではなく、アメリカの水泳界が財政難に陥っていたからである。水泳選手は、他の種目の選手同様、費用の相当額を自分で負担しなければならかった。問題の水着は、アメリカの選手が以前、日本の選手と対決した際に残ったものだった。アメリカの水泳関係の役員は、ベルリンに行くのに新しい水着を新調するより、日本の水着を再利用することにしたのである」。

ベルリン・オリンピックは何かと現在との連続性というものを意識せざるをえないのだが、このあたりの事情に関しては現在とは大きく異なっていたようだ。この頃すでにスポーツ用具メーカーはあったのだろうが、大会や選手を広告塔として利用するという発想はこの分野に関してはまだなかったようだ。
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佐藤太郎(仮)

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