『フロイト家の日常生活』

デトレフ・ベルテルセン著 『フロイト家の日常生活』





フロイト家に53年間に渡ってつかえたパウラ・フィヒトへの長期間に渡るインタビューに加え、関連人物への取材などもふまえて書かれたのが本書である。


パウラの幼少期の田舎での暮らしは、まだ中世が残っているかのような雰囲気さえある。貧しく子沢山の家庭で育ったパウラは男性への警戒心を抱くようになる。姉の一人が妊娠させられたうえに男に逃げられ、親からも勘当されるという憂き目にあったのを目の前にしてはなおさらのことであった。

12歳から様々な仕事についていたが、第一次大戦中、さらにその後の経済情勢では、安定した、満足のいく職を見つけるのは難しかった。転機となったのは1926年、ニューヨークの宝石王の娘、ドロシー・ティファニー=バーリンガムに子守として雇われたことだ。ドロシーはフロイトの治療を受けるためにアメリカからウィーンに移り住んでいた。夫のロバートは精神に異常をきたしており、この数年後に窓から飛び降りて死亡することになるが、ドロシーはフロイトのおかげもあってこのような問題から逃れることができ、フロイト家の自宅兼診療所の上階に引っ越すことになる。ドロシーの子どもたちはパウラによくなつき、パウラもやりがいを感じていたが、子どもたちが大きくなると子守ではなく養育係りが必要になったからと、パウラは新しい職を探すようにいわれる。ドロシーは下の階に住むフロイト家が女中を探しているので訪ねるよう話した。パウラは不安にかられつつ、「フロイト博士・教授」という表札を掲げた玄関の扉を叩いた。1929年7月15日のことだった。


パウラは「年をとった人たち」は「いつもわがまま」で、「その下で働くのは難しい」と思っていた。しかしすぐにフロイト夫人のマルタに好感を抱くようになる。
フロイト家を「普通の家庭」と呼ぶことはとてもできないだろう。マルタの妹ミンナも同居しており、知的に洗練され読書家であったミンナはフロイトと専門領域について会話を交わすなど深い絆で結ばれており、二人の関係は(少なくとも精神的には)単なる義理の兄妹以上のもであったという疑いを抱く人もいる。またフロイトはすでに癌の大手術を行っており、弱りゆく身体の介護はもっぱらこれも同居している末娘のアンナが主導権を握るようになっていく。アンナはまた、自宅に診療室も設け、次第に精神分析の分野でもフロイトの後継者として認められていくことになる。

フロイトがパウラを気に入ると、ミンナはパウロに辛くあたるようになる。思い余って相談した先はマルタではなくアンナであった。このあたりは家庭の権力関係がはっきりと見えていたのだろう。アンナはミンナがいじわるをするのは、フロイトがパウラを気に入ったために嫉妬しているからだけだとパウラを励まし、「あなたが行ってしまったら、お父さんはとても悲しむわ。あなたのこと、気に入っているのだから」と言い、これによってパウラの自尊心は大いに満たされることになる(後にミンナは死を前にしてパウラに謝罪をする)。
フロイトがパウラをどれだけ気に入っていたのかは、こんなエピソードからもわかる。パウラは掃除中に陶製の天使の像を落として割ってしまう。すっかり恐縮し、修理費は自分が出すと言い張ったが、フロイトは取り合わなかった。天使が修理されて戻ってくると、フロイトは微笑みながらこう言ったそうだ。「これでわたしたちの堕ちた天使も、またやっときれいになったね」(p.73)。


パウラのような女性は当時「働き者の天使」と呼ばれていたという。「彼女たちがたいていの場合姿をみせてその存在を気づかれてはならないからであり、しかしいつ呼ばれても仕事につけるよう控えていなければならず、また、決してみずから要求してはならないとされていらからだ」(p.257)。フロイト家は近代的な価値観を持っていたが、女中に対する扱いは保守的な部分も残っており、パウラは「診察台と治療室と待合室の間にできた直角の廊下」に置かれたベッドで寝ることになる。「自分の部屋を要求する「度胸がなかった」」ために、「忠実な犬」のように数年間をフロイトの部屋の前で「隠し扉」と向き合って寝ることになる。


「犬」といえば、『フロイト最後の日記』でもそうであったように、本書でも犬たちは印象深い登場の仕方をする。チャウチャウ犬ジョフィ(この訳書ではこう表記している)は「誰かれかまわず分析に立ち会うだけでなく、「何なりとし放題」であったし、訪問客にたいするジョフィの判断は「ご主人」の規準にもなった。ジョフィが不機嫌そうにくんくん匂いを嗅いでぷいと横をむいてしまったり、それどころか低く唸りながら机の下に後ずさりしたりすると、その訪問客や患者は、犬のご主人から気にいられるのは難しかった」。「ジョフィがいやがる人間は何かがおかしい」とフロイトはいつも言っており、そして「ジョフィはいつも間違ってい」なかったのであった(p.51)。

マルタは犬嫌いであったが夫にはさからえなかった。別荘に行くと犬は大喜びで外で遊びまわったが、マルタは家に入れる前に徹底的に洗わせていた。ある日ジョフィはごしごし洗う手を逃れ、びしょびしょのままフロイトのもとに駆け寄ると身体をふるわせた。「先生はまるでちょうど、雨に降られた人のようになってしま」った。マルタはとても嫌な顔をしたが、「奥様はジョフィを叱るわけにはいきませんでした。先生は笑うばかりで、ジョフィをなでていたからです」(p.61)。

フロイトといえば厳しい顔つきの写真のイメージが強いが、これは「写真用の顔」をつくっていたのであった。フロイトは私的な場では「よく微笑まれ、とても暖かい眼をしていらした」とパウラはふり返っている。「とりわけ自分の孫や、友人の子供たちが訪ねてきたときはそう」だった、と。犬と遊ぶときのフロイトもこうだったのかもしれない。

もっとも犬にからんで、一度だけパウラが気まぐれを起こしフロイトのやんわりとした怒りをかったことはあった。パウラは犬にセーターを着せ、帽子を紐でくくりつけたのだが、これにはフロイトは「動物は人間ではないんだから」とたしなめた(p.66)。

フロイトの最後の飼い犬だったリュンは「まるで聖書にでも出てきそうな高齢に達」する。アンナもフロイトに引き続いてこの犬を溺愛したかは「リュンちゃんのメニュー」をわざわざタイプし、特別メニューを用意していたことからもわかる。その内容は「第一食――牛乳と黒いトースト・パン、ヒラメの油を二滴あるいは肝油を茶匙二杯、燐酸カルシウムの錠剤。第二食――ミンチ肉もしくは魚を煮たもの二オンス。第三食――ミンチ肉もしくは魚の煮たもの二オンス、野菜(繊維の細かいもの)。第四食――あっさりとした菓子かビスケット、牛乳」といった具合だ(p.200)。


パウラは27歳になるまでこれといった生きがいもなく、フロイト家に来た当初も「はじめはやる気がなかった」のであるが、フロイト家との一体感は日増しに高まり、糊口をしのぐための奉公という態度から、「「先生」のために「お仕えする」という態度へ」と変化していった。
パウラはフロイトの結婚生活が「おだやかでまあ平和だが、かならずしも幸福ではない」ことはみてとっていた。しかしこれが「何よりも妻の完全な諦念の姿勢によって可能になった」ということにまでは思いいたらなかった。「夫婦間で一度も口論がない」のは、そのきっかけすらなかったためだ。「先生が奥さまとあれこれおしゃべりしておられるのを聞いた者は誰もいなかった」のである。

パウラはフロイトの蔵書の位置をすっかり憶え(もちろん読んではいないし読もうとしたところでまったく理解できなかったであろうが)、フロイトから「パウラが私たちのなかで一番よく知っているのだよ」と声をかけられた。
パウラも身体が弱っているフロイトに尽くし、下着に大便や血がついていても気にすることは無かった。しかし衝撃を受けることもあった。パウラが浴室に入ると、フロイトが裸になって妻に身体をふいてもらっているのに出くわしたのであった。「パウラは頭にかっと血がのぼり、いそいで扉を閉めると、どうしてあの老人が「あんなに大きなものを持っているのだろう」と自問した。割礼したペニスを田舎出の若い娘はみたことがなかった」。「うぶな娘にとって、この浴室の光景は決定的な体験となった。パウラは男性性器にたいする怖れを確認し、その怖れはさらに強められたのである。あのような「おぞましい武器」をこんなに尊敬している教授も持っているのだ。こうした考えが、何日間も彼女の心をさいなんだ」(p.58)。

フロイト家が精神分析的家庭であるように、パウラも幼少期の男性への恐怖心を抱え続けるという精神分析的人間になっていたのかもしれない。ただパウラはフロイトを崇めてはいたが、これが「転移」が起こり、恋愛感情を抱いていたとまではいえないだろう。パウラが密かに思いを寄せていたのはフロイトの甥、ハリーだった。パウラはハリーが結婚したときどれだけやきもちをやいたかを、「けっしてけどられてはいけませんでした」と振り帰る。「「そのお相手のお方ぐらいのあたまは、わたしにだってある」と思ったが、また「たぶんその人はわたしよりもっときれいだったのだろう」と考えて、あきらめた」のだった(p.83)。


と、このように「牧歌的」といってもいいほどの日々をパウラは送っていたが、時代はその生活が続くことを許さなかった。パウラはある日一本の電話を受ける。知らない男がは「先生にお伝え下さい。あした、ヒトラーが来ます!」とだけ言って切った。翌日の午後、首相のシューシュニックは退陣を余儀なくされる。フロイトはパウラに新聞を買って来るように頼み、見出しを読むと怒りのあまりそれをくしゃくしゃに丸めると投げ捨てた。「先生があんなに怒ってらっしゃるのをみたことは、それまでありませんでした」。フロイトはこの日、「オーストリアの終焉」と日記に記した。
通りには鉤十字の旗が翻り、突撃隊が街を闊歩した。フロイト家にも突撃隊がやって来て金を奪っていったが、フロイトの威厳に圧倒されてもいた。

身の危険が迫り、フロイトはそれまで拒んでいた亡命をついに受け入れる。「パウラ、そんなわけでわたしたちは引っ越すことになったんだが、おまえも来るかね」とフロイトは言った。「パウラは、旦那様がたが「引っ越す」のならもちろん一緒に行く。それ以外のことなど考えられない」のであった。

フロイトの亡命はすんなり認められたのではなく、ナチスから様々な嫌がらせを受けた。アメリカ大使館が介入してフロイト家を護ろうとしたとはいえ、いつ何が起こってもおかしくはない状況だった。そしてついにアンナが連行されるということまで起こる。この日以降数日間、近隣住民は「奇妙な光景」を目にするようになる。フロイトの家の前の冷え切った廊下に着飾った女性がしゃがみこんでいた。これはギリシアおよびデンマーク妃にして精神分析家でもあるマリー・ボナパルトが、再度の襲撃に備えていたのである。フロイトがこのようなことを承知するはずはなく、お忍びでのことで、これはパウラだけが承知していた。マリー・ボナパルトとパウラは気が合い、文通を続け、パウラは生涯マリー・ボナパルトの写真を手元に持ち続けるほど崇拝していた。

フロイトは荷造りのために書類やメモを次々とゴミ箱に放り込んでいったが、マリー・ボナパルトはこれも無断で回収し、パリへと密かに運び後に貴重な資料となる。マリー・ボナパルトが出発すると、フロイトの机にあった彫像がいくつか消えていることにパウラは気づいた。フロイトはにやりとしただけだった。マリー・ボナパルトが「くすね」ていたのは書類だけではなかった。このおかげでフロイトはこの彫像にパリで再会できるのであった。「亡命税」の支払いを求めるナチスに対し、フロイトの支援者はこうして一部の資産をこっそりと持ち出し、ナチスの手に渡るのを防いでいた。

フロイト一家が立ち去るとき、パウラが最後に印象残ったのは、壁の白いシミだった。そこにはフロイトの肖像画が飾られていたのであった。

フロイトはロンドンへと亡命し、病によってそのボロボロの身体からは異臭が放たれるようになり、忠実な愛犬すら近寄らなくなるという凄まじい苦しみのまま亡くなるのであった。


これでも面白かったエピソードをいくつも削ったのだが、それでも長くなってしまったが、実は本書の内容はまだこれで半分なのである。パウラはフロイト亡き後も引き続き「お嬢様先生」ことアンナに仕えることになるが、これもまたすごいエピソードが満載なのである。ただし主役はフロイト家ではなく、パウラ自身となる。


ジークムント抜きの新しいフロイト家にパウラは疎外感もおぼえはじめる。とりわけアンナがドロシーとの同性愛的関係を深めるようになってからはなおさらだった。
さらに追い討ちをかける事態が起こる。イギリスでは「敵性外国人」への圧力が強まり、「みんなとにかくぶちこんで、それから無実の奴を出してやればいいんだ」という意見まで出るほどだった。パウラの滞在証明書には「B」という判が押されていた。パウラは二度と故郷に戻れないかもしれないにもかかわらず、フロイト家への忠誠心によってロンドンまで着いてきたのだが、ユダヤ人でもなくイギリスに親類もなく、敵国には親類がたくさんおり、ゲシュタポに追い立てられたわけでもないパウラは杜撰な官僚仕事により「忠誠度に難あり」というカテゴリーに入れられてしまったのだ。

ついに「B類」の外国人は一人も残らず「狩り集めよ」という司令が下り、パウラはマン島に送られることになる。もちろんこれはナチスの強制収容所のようなものではなく、それなりに自由もあり、少なくとも物質的にはパウラは不自由なく暮らすことができた。しかしチャーチルを含む有力者からの働きかけがあったにも関わらず、パウラはなかなか解放されなかった。この間フロイト家が自分なしでいることにパウラは焦燥感をつのらせ始める。もう用なしとなって、解雇されるのではないかということを恐れたのだった。そしてついには病的な症状まで呈するようになる。ようやく解放されフロイト家に戻るが、しばらく休むようにという忠告も聞かず、ひたすら働きづめの生活を送るようになる。とにかく自分がフロイト家にとって必要不可欠な存在なのだということを証明せねばという思いが逆に周囲の不興を買い、戦後になるともう国に帰してもいいのではないかという声まで出てくる始末であった。

例えばこんなエピソードがある。家に客が泊まるとパウラは朝にコーヒーを客室のベッドまで運ぼうとするが、アンナは朝食はみんなで食べるからそんなことはしなくていいと言う。それでもパウラは何かしなければという思いから、今度は「客の洗濯物に襲いかか」るのであった。下着は自分で洗うからいいと客が言ったにもかかわらず、その客が外出から帰ると荷物から下着がひっぱり出され、洗われてすでに干されているのを発見したという有様であった。

結局アンナらは、はりきりすぎて常にせわしなく動き回るパウラと何とか折り合いをつけていくことにする。パウラが家を切り盛りすることによって「お嬢さま先生」はますますドロシーと結びつき、その結果パウラはますます焦燥感をつのらせていく。

アンナが距離を置き始めると、パウラは牛乳配達や郵便配達など、「とにかく屋敷の門をくぐった者は誰であれ台所に引っ張り込まれ、ちゃんとした食事を出」されるようになる。アンナはある日異様なほどかさむ食費を見て驚いた。食費の多くは「台所のお客さま」の胃袋に消えていたのだったが、パウラは犬のリュンへの豪華な食事を引き合いにだし、「さよでございます。犬ならいつだって何でももらえても、わたくしども奉公人は何ひとついただいてはいけないんでございますからね」という反応だった(なおパウラは経済的にはフロイト家から様々な配慮がなされていた)。

しかしパウラの自尊心は次第に満たされるようになる。フロイトの伝記も書いたアーネスト・ジョーンズがパウラに「あなたの名前は不滅になりつつあるのです」というメッセージを送ったように、フロイトについて興味を抱く人々はパウラの話を聞きたがり、ついには「オーストリア共和国功労栄誉メダル」を贈られることになる。しかしアンナにとっては、パウラによってフロイト家のプライヴァシーがおびやかされるのではないかという不安とともに、この状況はまた別の悩みをもたらすことになる。
ある日パウラは、いつものようにぎっしりと詰まった買い物袋を抱えて歩いているところを車にひっかけられるという事故にあってしまう。入院先の医師はパウラが「飢餓症状」を示すほど肉体的に衰えているのを知り愕然とする。それでもパウラはできるだけ早く家の仕事に戻りたいと主張するのであった。医師は「労働強迫神経症」という診断を下す。アンナはこの状態を知ってはいたが、「パウラはわたしが責任を負わなければならない相手であって、患者ではない」と考えていた。
パウラの健康状態は衰え、最早日常生活すらおぼつかなくなるが、老人ホームにでも入れようものなら「あの人はこう言うでしょう。年取って病気になったいま、五十年も奉公したのに、自分は放り出された、と。そして世間はパウラの言うことをほんとうだと思うでしょう」とアンナは懸念していた。


パウラのアンナへの独占欲はますますつのっていき、ドロシーの死によってアンナを独占できると思ったが、そこにアンナの保育園を長年手伝っていたマンナ・フリートマンが親しい友人の座におさまると、「これでやっとアンナお嬢さまがわたしのことをもっとかまってくださると思っていたのに、あなたがやってきて」とまで言うのであった。

80歳の誕生日を目前にアンナは卒中で倒れてしまう。パウラは自分が人の助けを必要とする状況にもかかわらず、「アンナお嬢さま」の世話は自分がすると言い張った。友人たちが看病のために訪れると、「あの人がなぜここに寝泊りする必要があるんですか」と感情を害する。「ついにお嬢さまを一人占めできるのだ。お手伝いをするといってやってくる者は誰だって、自分からこの権利を奪おうとする侵略者だ」という思いに捉われてしまう。

マンナはパウラが「フロイト一家を愛し、身体がぼろぼろになるまで一家のために働いた」ということを認めていた。しかしパウラにとってはマンナは「壮絶な一騎打ち」を繰り広げるライバルだと映っていた。マンナがアンナの部屋に入り様々な相談をしていると、「パウラは嫉妬のあまり死にそうになった」。パウラはマンナに凄まじい意地悪を行うが、マンナにはその怒りを日記に書いてぶちまけることしかできなかった。パウラは「自分の仕事が奪われる」ということしか頭になかったのであった。

「マンナ・フリートマンがいつものように訪ねてくると、アンナ・フロイトの部屋に通じる扉が閉ざされている。部屋の中からは、パウラが泣きわめくのが聞こえた。パウラは一日中扉を開けようとしなかった」(p.237)。アンナは亡くなっていたのである。パウラに部屋の戸を開けさせるのに何時間も説得せねばならず、開けたあとも「またただちに死者の寝床に走ってゆく。パウラはしっかりとしがみついて、どうしても部屋を出ようとしない。最後はむりやりに引きずり出さねばならなかった」。

この後パウラは故郷の老人ホームに送られることになる。これも様々なコネを使ってしっかりとした施設を選び抜いてのことだた。パウラは給料(ほとんど使うことはなかった)に加え、アンナが自身の著作の印税を贈るなどしたため非常に裕福だった。フロイト家の人々から送られ続けた切手のコレクションなど売却すれば相当な金になるものも含まれていたおり、中でもフロイト直筆の手紙は垂涎の的だったが、パウラはこれを売却せずに、フロイト記念館に寄贈する。ウィーンでのフロイトの住居を記念館にするよう強く求めたのもパウラであり、その再現は彼女なくしてはありえなかった。パウラは老人ホームで、フロイトの話を聞こうとする多くの人の訪問を受けた。パウラはアンナが自分の著作に書き入れた「パウラに捧ぐ。その助力なくば、著者は書くことあたわず」という献辞を好んで見せ、また色褪せていくロケットの中のマリー・ボナパルトの写真を見ては、涙ぐむのであった。パウラが一番喜んで読むのは、「奉公三十周年」の際にマルティン・フロイトが「アンナお嬢さま」の本に書いてくれた献辞であったという。
「かくてパウラ・フィヒルトは/世界の歴史に残る人物となりき」。


すでに絶版のということもあって、あれこれ詰め込んでしまったが、この他にもロンドンへ亡命したフロイトのもとにシュテファン・ツヴァイクに連れられてダリがやって来るが、さすがのフロイトもとまどってしまったり(「ひげをぴんと立てて髪の毛にべったりポマードをつけた、とても妙な恰好のかたで、こちらをみられると気味悪くなってしまう」「先生はこのかたをごらんになっているだけで、何もおっしゃいませんでした。ツヴァイクさまがひとりでしゃべってらっしゃいました」(p. 121)、また『王子と踊り子』の撮影の際に精神的不調に陥ったマリリン・モンローがアンナの治療を受けた話など有名人とのエピソードも多数ある。

フロイトの生涯を題材にした映画はいくつか取られているが(ジョン・ヒューストン監督でサルトルも脚本に参加した『フロイト 隠された欲望』ではパウラは取材に協力しないように釘を刺される)、パウラの一代記的視点で撮る映画というのもあれば面白いのかもしれない……

……というか、この本は少々面白過ぎる。アンナが同性愛であったのかどうかは様々な意見があるが、著者は異論のあることにも触れずにレズビアンであったと断定してしまっているところもこの本の信憑性を怪しくさせている。マリー・ボナパルトが玄関で見張りをしていた件にしてもパウラしか知る人がいないというのは臭うところでもある。
ピーター・ゲイは『フロイト』の「文献解題」において、ちょうど同時期に出版されることになる本書の校正刷りを見たことに触れ、こう評価している。「一九二九年からフロイト家で働き、一家と共にロンドンまでついていった家政婦の回想から明らかになってくる、フロイト一家の家庭生活の驚くほど詳細な事実を提供してくれる。この「暴露」には、うら若き家政婦フィヒトルがフロイトのペニスをちらっと目にしてショックを受けたことも書かれている。だが全体としては、年老いた家政婦の裏付けのない回想であり、無条件で信頼できる証拠資料ではない」(『フロイト 2』 p.819)。

ということで、本書に登場する数々の面白エピソードは話半分くらいに受けとっておいたほうがいいようだ。

未読だがアンナのこの伝記では同性愛説は否定されているようである。本書について触れられているかは不明。どこか邦訳出してくれないかなあ。





プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR