サルトルの『フロイト』

ジャン=ポール・サルトル著 『フロイト <シナリオ>』





サルトルがこの脚本を手がけることになった経緯についてはJ-B・ポンタリスによる「序」に詳しくある。1958年にジョン・ヒューストンから「フロイトが催眠療法をあきらめ、苦しみながら少しずつ精神分析学を創出してゆく、あの劇的な時期について書くよう依頼」があった。脚本料は莫大なものであり、当時金を必要としていたサルトルはシノプシスを書いて送り、それが受け入れられ脚本を書くことになる。ジョン・ヒューストンが「私の腿くらい分厚かった」とふり返るように、そのまま映像化したなら「ほぼ七時間」にはなっただろうという脚本は、いくつかの書き直しと削除を求められ、うんざりしたサルトルはこの仕事から降りてクレジットから名前を外すよう求めた、とされているが、事はそう単純ではなかったようである。

サルトルはヒューストンの求めに応じ何人かのエピソードを削除したが、一方で「彼は求められていたように短くするどころか、逆に長くしてしまった!」ところもあったという。「いくつもの新しい人物を付け加え、理論的、学術的な説明をふくらまし」、「別の脚本にしてしまった」のであった。

なおこの訳書に収められているのは第一稿のみで、シノプシスや第一稿と第二稿の対照表などは「専門の研究者はともかく、一般読者の興味を惹くとは思えない」ことから訳出しなかったとある。こういうのを読むたびに「そういうの勝手に決めないでほしんですけど……」と思ってしまうのだが、実際は紙数と値段とを照らし合わせてのことだったのかもしれないが。

「人文書院としては、別の機会に条件さえ整えば、改めて今回翻訳されなかった部分の追加出版を行いたい意向」があったようだが、残念ながら追加出版は叶っていない。
おそらくはそれほど売れなかったのだろうが、ではこの脚本がつまらなかったのかというとそうではなかった。とりわけ第一部などはかなり面白く読めた。個人的にはサルトルは哲学的著作や小説ではなく芝居の脚本から入るのがなじみやすいのではないかと思っているのだが、この脚本もかなりとっつきやすくなっているだろう。ト書きもかなり書き込まれているので、戯曲を読みなれていない人も小説に近い感覚で読めるかもしれない。


ポンタリスによると、当時はちょうどアーネスト・ジョーンズによるフロイトの伝記の仏訳の、まさにこの映画で取り上げようとしていたところまでを扱った第一巻が出版され、さらにその二年前には本作でも重要なキャラクターとなるフリース宛の書簡の刊行なども重なり、サルトルはこれらを資料として用いたようだ。

ジョーンズの伝記を読みながら、サルトルはポンタリスに「ねえ君、君の好きなフロイトという男、骨の髄まで神経症だったんだね」と「喜色満面に」語ったそうだが、脚本にはまさにそれが反映されている。もっともフロイトの伝記を読めば誰もがフロイトが精神分析を地で行くような人物であるという印象を抱くであろうし、そのような面はまた脚本として描きやすいものでもあろう。


「ヒステリー」の治療に関心を抱く29歳のフロイトは恩師マイネルトの元を去り、「神経症を催眠術で治すペテン師」とも評されるシャルコの教えを受けるためフランスへ留学することに決める。催眠療法には幻滅を覚えることになるが、父のように慕うブロイアー、そして盟友的関係となるフリースと共に、後に精神分析へと発展していく無意識や性の抑圧などを発見していくが、またその理論をめぐってブロイアーやフリースと対立関係にも陥っていく。

フロイトが母と「深く緊密な一体感がある」のに比べ、事業に行き詰った父は息子に援助され涙を流す始末であり、フロイトは「僕はけっして父のような人間にはならない、けっしてね」と言うように、サルトルは直接的にエディプス・コンプレックスをわかりやすく導入している。

またマイネルトは袂を分かつことを決意したフロイトに、「君は独裁者になるだろう、神経症の君主になるだろう」と言うのは後の現実のフロイトの生涯をふまえ、「予言」として言わせたようにも見える。
マイネルトは「君は他人のなかに隠れている怪物を狩り出そうとする。だが君が発見するのは君自身の吸血鬼なのだよ」と言うが、このあたりはサルトルの上記のフロイト観であり、また正鵠を射たものでもあろう。
そしてさらに「私は君が神経症におびやかされているとう確信を得た。君は酒を飲まない。それはとんでもないことだろうよ。なぜって酒を飲んだ自分がどのようになってしまうかと思うと恐ろしいくて仕方がないからだ。酔って何を言うか、何を洩らすか、恐いんだ。私は君を十年前から知っているが、君はまったく変わっていない。君はいつも苦行者のように暗く緊張し、他人に本心をみせない。他人の狂気が君を惹きつけるのは私には理解できる。君は自分の狂気を忘れたと思っていながら、他人にそれを見出しているのだ」とあるが、ここはユングに対して自分の権威を守ろうとして私生活を明かすのを拒んだという例のエピソードをも思い起こさせる。

ところでサルトルはフロイトもそうだが、資料として以外にユングも読んだりしたのだろうか。ユングと同僚で共にフロイトのもとを訪れたこともあるビンスワンガーはハイデガーからも影響を受けて「現存在分析」を提唱したが、ハイデガーつながりでこのあたりに興味を持ったことがあったりしたのだろうか。食い合わせは悪そうだが。


このマイネルトこそまさに越えるべき父親であり、マイネルトがフロイトに敗れたことを認め、告白するに至って、二人の間に和解が訪れる。
しかしフロイトはまた、ブロイアーについてフリースとこんな会話を交わす。フリースがブロイアーはフロイトに対して「嫉妬しているんですよ」と言うと、フロイトは「あなたもそんな印象を持たれていましたか……」と返す。
フリースは「あの種のお人よしは弟子に対して寛大なところを見せたがるものです。しかし弟子が師になろうとすると、警戒し始めるというわけです」と言う。
フロイトは「私も時々そんなふうに感じたことがあったのです……」とフリースに同意するのだが、ここも思わず「あなたも人のこと言えるのか?」と突っこみを入れてしまいたくもなる(サルトルは観客がこうした感情になることを意図してこのような会話をさせたのであろう)。そしてフロイトはこの後フリースとも幼児の性欲をめぐって対立し、決裂するまでが描かれているが、サルトルはこのような関係を描くことでフロイトの人格、及びエディプス・コンプレックスという概念に対して痛烈な批評を浴びせているかのようでもある。

サルトルはフロイトが強烈な反ユダヤ主義に直面せざるをえない姿も描いている。これは史実でもあるのだが、このあたりは「異端」的な学説を提唱するようになるフロイトはあくまで「異端」として存在しているのか、それとも「異端」扱いこそが「異端」を作り出すのか、というふうに捉えると、ユダヤ人とは「他の人々がユダヤ人と考えている人々」なのだとした『ユダヤ人』を書いたサルトル的視点を見出すこともできるのかもしれない。


あくまでこれは映画の脚本であって史実ではないし、実際に映画化するとしたらやはり長すぎるだろう。また中盤以降は多少だれるかなあというところもなきにしもあらずではあるが、それでもなかなかのもので、やはりサルトルを侮ってはいけないと改めて思わせてくれる。
なおジョン・ヒューストンは1962年に『フロイト』を完成させるが、ヒューストン作品にしてはそれほど高くは評価されていない。日本ではソフト化されていないもので、某所にあがっているのを見てみたのだが、サルトルの脚本の残滓はところどころにあるものの、やはりこの脚本とは別物と考えたほうがいいだろう。明らかにサルトルの脚本のほうが優っているように思えたし、そのまま映画化するのは難しいにしても、もう少し色を残してほしかったかなあ。


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佐藤太郎(仮)

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