『アメリカン・ハッスル』

『アメリカン・ハッスル』



でっぷりとした太鼓腹のアップ。カメラがパンして顔が映ると、そこにいるのは髭面のクリスチャン・ベールだ。はげちらかした(というのにふさわしい)頭を、糊と櫛と整髪量によって虚しくセットしようとしている。カーリーヘアーのブラッドレイ・クーパーとひと悶着起こしながら、ホテルの一室でおとり捜査にとりかかろうとするが、クーパーのヘマであっさりと失敗に終わろうとしている……

このオープニングだけでも、この作品が観客を煙に巻くかのごとく、誰もが誰も騙し騙される何層にも入り組んだ物語であることがわかる。といってもまた、観客に極度の集中力を強いるような作品ではなく、ストレートに楽しむことができるコメディにもなっている。

まず言っておきたいのは、この作品を楽しんで見れたし、ここ数年のデヴィッド・O・ラッセル監督の高評価を十分に納得させる出来栄えになっていることである。ということで以下あくまで個人的な趣味嗜好の問題として。


日本ではちょうどマーティン・スコセッシ監督の『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』と同じ日に公開となったが、デ・ニーロがマフィア役で出演していることも含めて何かと比較をしてみたくなる作品でもある。個人的好みとしては、どうもラッセルの「押し引き」のバランスというものが、受け付けないとまではいかないが、今一つしっくりこないところもある。『ウルフ・オブ・ウォール・ストリート』と同様に、『アメリカン・ハッスル』も大いに笑わせてくれるし、僕も爆笑してしまったところがいくつもあった。ただ、ベールやクーパーはやや視覚的イメージに頼り過ぎなように思えるし(そりゃベールの役者根性はすごいと思うけれど)、ベールの「二度見」やエルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリック・ロード」に乗せての煙の中からクーパーとエイミー・アダムスの登場、ウィングスの「死ぬのは奴らだ」を歌いながら頭ふりふりジェニファー・ローレンスが掃除をするなど、ほとんどコントといってもいいような演出が取り入れられている。そのこと自体は構わないし、楽しんだのだが、言語化するのは難しいのだが、針を振り切ってしまうくらいやるか、あるいはもう少し抑えるか、そのあたりの匙加減というのが僕の好みとは微妙にずれているのかなあというところでもあった。

この作品の元になった事件や実際の人物がどういったものであったのかはまるで知らないので見当はずれの違和感かもしれないが、クーパーの役柄は『世界にひとつのプレイブック』をふまえたうえでの「目配せ」という感じがしてしまうのもちょっとひっかかってしまった。このあたりは『世界にひとつのプレイブック』の着地点がなんとなくもやもやしてしまうものを感じてしまっていたもので、それに引きづられているだけなのかもしれないが。

繰り返すが、これは映画の出来として云々ということではなくあくまで個人的趣味嗜好の問題である。多くの人にとって『アメリカン・ハッスル』は十分に楽しめるものになっていると思う。
一度この人の作風嫌だなあとなると全く受つけなってしまうことがあるのだが、ラッセルの場合「嫌い」というわけではない。むしろ嫌いであれば話は簡単なのだが、そうではない分だけ、微妙な齟齬というのが必要以上に大きく感じられてしまうということなのかなあ。

グチグチ言ってしまったけれど、これを見れば愉快な作品だということはおわかりいただけるかと。




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佐藤太郎(仮)

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