『ポストモダニズムとホロコーストの否定』

ロバート・イーグルストン著 『ポストモダニズムとホロコーストの否定』





イ・ヨンスクによる解説に本書の簡潔な要約がある。「著者イーグルストンのねらいは、「ポストモダニズムがホロコースト否定論を生みだした」といういわれのない嫌疑からポストモダニズムを守るために、ポストモダニズムの武器そのものを使ってホロコースト否定論を論破することにある」(p.88)。


イーグルストンが本書で扱うのはある裁判である。2000年の起こされた、デイヴィッド・アーヴィングがデボラ・リプシュタットを訴えたこの裁判はイギリスで大きな注目を集めた。アーヴィングはリプシュタットの著書、『ホロコーストを否定する――真実と記憶に対する高まりゆく非難』が、自分のことを「事実を歪め、文書を改竄したナチスの擁護者だと非難して、信用を台無しにしてしまったと主張した」のである。つまりアーヴィングは原告であるのだが、あたかも自分が被告であるかのような顔をして新聞やテレビに出まくったのであった。一方訴えられたリプシュタットはインタビュー等に一切応じなかった。

テレビのプロデューサーはリプシュタットの反応をいぶかしんだが、「重要なのは、どんな意味においても断じて討論はない、ホロコーストの存在に関して「もう一方の側」などは存在しない」ということなのである(pp.14-15)。フランスの否定論に詳しいピエール・ヴィダル=ナケはこう問いかけている。「天文学者は星占い師と、「あるいは、月がチーズでできていると主張する人物と」討論をするだろうか」と。

見方を変えれば、ホロコースト否定論者は「討論」の場に歴史家をひっぱり出すことによって、あたかも自分たちの主張が「もう一方の側」であるかのような印象を(たとえ少数の人間に対してであろうとも)与えようとしているのである。他ならぬリプシュタット自身がその著書においてこのことを強調していたのであり、だからこそアーヴィングはリプシュタットを裁判に引っ張り出すことによって、裁判の結果がどうであろうとも自らの主張に何らかの根拠が存在するかのような印象操作を試みたのだともいえよう。

「もちろん、ホロコーストについての討論はある。歴史は変更不可能というわけではないのだから。例えば、歴史家は、殺人が行われたとき、どのようにして、どんな理由で行われたのか、そしてナチスの支配層はそれをどのように計画したのかについて、議論する。哲学者や神学者はホロコーストという出来事の意味を論ずる。カルチュラル・スタディーズの専門家は追悼するということの問題を話しあう、等々。ホロコーストに関わる討論には事欠かない。しかし、その存在をめぐる討論は存在しえない。ナチスと未確認飛行物体を関連づけた否定論者のように、そのような討論があると言い張る者は、「放送時間」を与えてもらって自分たちがもっと重要に見えるようにするために、そう言い張っているだけなのだ。だから、リプシュタットはインタビューに答えるのを拒んだ。否定論者に対して、あたかも思慮分別のある人々に対するかのように話しかけることは、彼らの言い分に信を置くということになるのである」(pp.15-16)。

「アーヴィング氏は歴史家であると称している。しかし、どう見ても彼は歴史家ではないというのが真相だ」、リプシュタット側の弁護士はこう発言を開始し、主張を展開した。
アーヴィングは引用や注を付すなど一見すると学術的体裁を取っているかのような文章を発表している。しかしその実態はというと恣意的な切り張りや誤訳などに満ち、とても批判的検証に耐えられるものではない。弁護側のこの主張は裁判で認められ、またイーグルストンもアーヴィングは歴史家ではないという結論を支持している。


ポストモダンの流行は歴史修正主義の温床となったという疑念に対し、イーグルストンは「こうした非難の大部分は不当なものだと主張したい」としている。「一般的に言って、私は、ポストモダニズムはホロコーストに対するひとつの反応であって、それを可能にした文化に対して徹底的に異議申し立てしているのだ、と信じている。しかし、私はこのことよりも、ポストモダニズムが歴史と歴史家に対して投げかけている問いは、ホロコースト否定論との戦いにおいて非常に強力な武器になるのだということのほうを、ここで主張したい。こうした問いこそが、私たちにとって、否定論者から「不偏不党」と「歴史的客観性」の仮面を剥ぎ取り、否定論の真の姿を明らかにするための手段であるのだ」(p.8)。

イーグルストンは科学哲学者メアリー・ミジリーの比喩を借りて、「歴史はコンピューターのようなもの」だと考える。「私たちは普通、電子メールを送ったり、ネットサーフィンをしたり、文書処理をしたりする際、こうした作業をサポートしているソフトウェアのことは考えていない。しかし、コンピュータがクラッシュしたり、ウィルスに汚染されたりすると、「デスクトップ」の下を見て、ソフトウェアの複雑な部分や細部を調べる必要が出てくる。歴史が「クラッシュ」したり、汚染されたりすると、私たちが当たり前に思っていること――まずは歴史の「客観性」――を念入りに調べ、ひょっとすると「デバック」しなければならないのだ。そして、これこそ、ポストモダニズムが歴史に申し出ていることなのである」(p.24)。

「ポストモダニズムは歴史に対するアンチテーゼに見えるため、大いに批判されてきた。ポストモダンの枠に分類された物書きの中には、確かにさほどの思慮分別もなく歴史について書いた者もいるし、未熟な学問や思慮不足などを弁護すべきではない。しかし、私は、ポストモダンの問いは、実のところ、「親」歴史そのものでもなければ、「反」歴史そのものでもないと考えたい。むしろ、それらの問いは、歴史に取り組み、歴史学の著作が云々される過程を明るみに出そうとしている。歴史学というコンピュータがウィルスに感染してしまったときには、かつてそれを動くようにしてくれたキーをまた押すというだけではだめである。徹底的に調査しなければならない。もし客観性なるものが歴史のための考え方として行きづまったのなら、歴史学は客観的であるべきだと繰り返し申し立てても役立たない。歴史学の根底にある考え方を再検討しなくてはならないのだ。リチャード・エヴァンズはポストモダニズムの支持者ではないが、「ポストモダニズムの理論および批評家が、歴史家に対して、自分たちが仕事をする際に用いるカテゴリーと前提を再考し、自分たちの学問分野を追及する方法を正当化するよう強いるのは、正しく、また適切なことである」と主張している」(pp. 56-57)。

イーグルストンは、大きな影響を受けたリオタールの『ポストモダンの条件』を取り上げている。リオタールは「私たちを「ポストモダン」にするのは私たちが「メタナラティヴに不信感を抱く」という事実であると示唆した」のであった。
「リオタールにとって、メタナラティヴとは、私たちが世界の中で適応するのを助け、私たちに指示を与え、私たちのまわりにある他のすべての物語を説明してくれる大きな物語だった」。「しかし、二〇世紀最後の三〇年間に生じた変化をすべて経験した今、私たちはもはやこうした物語をどれも信用できないと、彼は言う。私たちはもはやそれを信じないし、何かひとつの理論ですべてを説明できるとは思わない。これこそが、ホロコースト否定論を促進するとリプシュタットが考えた「風潮」である」(pp. 57-58)。

「リオタールは、リプシュタット同様、この種の「風潮」が倫理的および歴史的論議に問題を引き起こすことにきちんと気づいていた。しかし、彼は、それをざっと片づけてしまったりはせず、哲学者としてホロコーストについて深く考えた結果、『文の抗争』を執筆した」(p.58)。

イーグルストンはリオタールのこの言葉を引用している。「もし証拠を提示するという規則が尊重されないのなら、ガス室が実在したという証拠を提示することはできない」のだ(p.69)。
アーヴィングのような人物は証拠を提示しようともそれを歪曲し、曲解するのであるから、このような人物を絶対に歴史家として扱ってはならないとすることは、ポストモダニズムと矛盾しないのである。


という感じに引用が多くなってしまったが、僕もイーグルストンのいうところの「 ポストモダニズムはホロコーストに対するひとつの反応であって、それを可能にした文化に対して徹底的に異議申し立てしているのだ」という主張には基本的に同意するところである。ポストモダンは近代ヨーロッパにおいて発生したナチズム、その帰結としてのホロコーストの衝撃が大きく影響していることは間違いないであろう。しかしここにもまた、危うさも孕まれていることはイーグルストンも(そしてリオタールも)認めているところである。では本書においてそのようなポストモダンの危うさへの懸念が完全に払拭されているのかというと、疑問に思えるところでもある。

まず第一に、イーグルストンはヘイドン・ホワイトの主張に依拠して論を進めているが、「解説」でイも指摘しているようにホワイトの主張には危ういところもあり、ポストモダンと歴史修正主義という点ではかなり剣呑な人物ではないだろうか(だからこそあえて、ということなのかもしれないが)。このあたりはホワイトも寄稿している『アウシュヴィッツと表象の限界』を昔に読んだのだが、ホワイトへのそのような疑念は解消されることはなかったという経験があったためになおさらであった。『歴史を逆なでに読む』などにおいてギンズブルグはホワイトを批判しているが、ギンズブルグのほうにしっくりくるものを感じた。
結局のところイーグルストン自身が反歴史修正主義なだけであってポストモダンが反歴史修正主義だとすることはできないのではないか、という批判に対し、本書はその疑問に十分に応えてくれているとはいえないのではないだろうか。

第二に、イーグルストンは一つの裁判に焦点をあてたせいもあって、デリダをはじめとする一般的にポストモダンの代表格というイメージを持たれている多くの人物について言及していない。ポストモダンへの批判の一つが、「ポストモダン」と称しているのは実は「ポスト」ではなく単なる「アンチモダン」ではないかというものだ。まぎれもない反近代主義者にしてナチスに加担したその過去を一切反省しなかったハイデガーからデリダが知的源泉を得ていることは、この疑念をもたらす要因の一つである。デリダの盟友であったポール・ド・マンの死後に、ナチス支配下のベルギーでド・マンが反ユダヤ主義的文章を書いていたことが暴露されたいわゆる「ド・マン事件」も、これこそがポストモダンの正体だという受け止められ方をした。デリダは、とりわけ80年代後半以降は「ベタな左翼知識人」といってもいいような言動を取り始めるが、これを思想的必然とすることができる一方で、やはりド・マン事件が影響したのではないかという勘ぐりもできよう。

日本においては90年代半ばから「新しい歴史教科書をつくる会」に代表される歴史修正主義が勃興し始める。ロラン・バルトは『神話作用』において日常の中の「神話」を暴露し、日々「神話」が再生産されていることを明らかにした。「つくる会」はいわばこのようなポストモダン的発想を逆手にとり、「歴史が神話であって何が悪い?」という開き直りをするものでもある(「つくる会」の中心的人物だった西尾幹二はニーチェ研究でも知られるが、ニーチェもまたポストモダニストにとって最重要思想家の一人である)。

仲正昌樹が「ポストモダンの左旋回」と(いささか揶揄的に)いうように、このような状況を受けて「ベタな左翼」へと回帰をした日本のポストモダニストは多かった。
ポストモダニストと「フランス現代思想」として括られる思想家は必ずしもイコールではないが、いわゆるフランス現代思想の思想家はラカンを除けば概ね左翼的であり、アルチュセールを除けば、フーコーなどが一時的に入党した経験を持つがすぐに離れたように、共産党とは距離を取っていた。つまり「フランス現代思想」とは非共産党左翼という色彩も濃かったのである。ならば「左旋回」するのも当然といえば当然なのではあるが、結局これらの人は「ポスト」モダンではなく、モダン(近代)を擁護せざるをえなくなったとすることもできるだろう。ポストモダンに批判的な人からすれば、「これはまさにお前たちが播いた種ではないか」という嫌味が出てくるのも無理はないことかもしれない。
80年代に日本で「ニューアカ」ブームが起こった際、そもそも「モダン」が未だにない日本で「ポストモダン」思想を喧伝するなど馬鹿げているという批判があった。今となってはこの批判は正当なものであったとするべきだろうし、それを認めたからこそ日本のポストモダニストは「左旋回」したという面もあろう。


丸山真男は1964年に『現代政治の思想と行動』の「増補版への後記」にこう書いている。

「とくに最近の論議で私に気になるのは、意識的歪曲からと無智からとを問わず、戦後歴史過程の複雑な屈折や、個々の人々の多岐な歩み方を、粗雑な段階区分や「動向」の名でぬりつぶすたぐいの「戦後思想」論からして、いつの間にか、戦後についての、十分な吟味を欠いたイメージが沈殿し、新たな「戦後神話」が生まれていることである。政界・財界・官界から論壇に至るまで、のどもと過ぎて熱さを忘れた人々、もしくは忘れることに利益をもつ人々によって放送されるこうした神話(たとえば戦後民主主義を「占領民主主義」の名において一括して「虚妄」とする言説)は、戦争と戦争直後の精神的空気を直接に経験しない世代の増加とともに、存外無批判的に受容される可能性がある」。
「もちろん戦後民主主義を「虚妄」と見るかどうかということは、結局のところは、経験的に検証される問題ではなく、論者の価値観にかかわって来る。そうして政治についてのどのような科学的認識も検証不能の「公理」を基底においている限り、そうした「虚妄」観の上にも学問的労作が花咲く可能性があることを私は否定しない。私が神話化というのは、そうした観点からの歴史的抽象が抽象性と一面性の意識なしに、そのまま現実の歴史として通用することをいうのである」。

そしてこの後に、丸山は有名な一節を記すのである。「私自身の選択についていうならば、大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける」。
もちろんこれは直接には右派・保守層を批判したものであるのだが、このあたりはまた後の日本のポストモダン的ユーフォリアへの批判を先取りしているようにも読めなくもない(「ニューアカ」は、当事者たちの自己認識はともかくとして、80年代の日本のナショナリズムと共犯関係にあったとすべきだろう)。

丸山の有名なこの言葉を(日本における)ポストモダンの受容との関わりからそのように読めるのかというと、強引に解釈をすると、これを「大日本帝国」において「近代の超克」という反近代主義が跋扈したことをふまえての、「近代」の擁護だと考えられなくもない。「近代」が限界を抱えているのは事実であり、その「虚妄」を指摘することはたやすいが、その結果として何がもたらされるのかを考えるならば、たとえ欺瞞であろうとも「戦後民主主義」によってもたらされた「近代」に踏みとどまらねばならないのだ、と(このあたりはさすがに無理やりすぎるだろ、と自分で書いてて思うが)。
丸山の主張は個別的には現在では取り扱い要注意なものが多く、無論それらは批判的検証にさらされねばならない。とはいえ、丸山の抱いたこの問題意識は、やはり基本的には正しかったのではないかと、ここ数年感じてしまうことが多い。


このような日本の状況もふまえると、イーグルストンのポストモダンは歴史修正主義に対する強力な「武器」であるという主張を、僕自身は牽強付会だとまでいうつもりはないが、ポストモダンというのは攻撃力としてはそれなりに優れてはいても、守りに入ると滅法弱いのではないかという疑念に対し、本書においてそれを解消できたのかといえば、そうとは言い切れないだろう、というのが正直なところでもあった。



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