『ホロコーストとポストモダン』

ロバート・イーグルストン著 『ホロコーストとポストモダン  歴史・文学・哲学はどう応答したか』





本書の目的の一部は、「つまり、西洋のポストモダニズムの始まりはホロコーストに関する思考であり、ポストモダニズム――現象学的哲学以後、今なお展開を続けている伝統、すなわちポスト構造主義として理解された――とはホロコーストへの応答なのだと示すこと」(p.3)。

「本書はホロコーストをめぐる省察だが、議論の中心にあるのは以下のような考えである。つまり、理解の多寡に関わらず、ホロコーストという出来事はわれわれの時代を方向づける地平となっているのであり、おそらく西洋においては、現在はもちろん、今後三世代・四世代にわたってそれは変わらないだろう、ということだ。したがって本書が記述するのは、ポストモダン思想が明白にないし暗黙にホロコーストによって形作られ、ホロコーストに対する私たちの理解がポストモダン思想とのかかわりのなかで形作られるという、円環をなすプロセスである」(p.18)。


イーグルストンは「ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校英文科教授で、現代文学、現代思想を講じる傍ら、かつて同のホロコースト研究所を務めるなど、ホロコースト研究の専門家でもある」(「訳者あとがき」)。イーグルストンは本書においてこのような専門性を縦横無尽に駆使している。ジョナサン・サフラン・フォアの『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』などホロコーストを扱った小説を論じ(英文学)、またナチスに加担した過去を持つハイデガーから強い影響を受けている二人のユダヤ人哲学者、レヴィナスとデリダを縦軸にポストモダン思想とはいったいどのような出自を持ち、どのように展開し続けているのかを考察し(現代思想)、ホロコーストを語ることとは、記憶することとはどういうことなのか、そして歴史学とポストモダンについて問いを重ねる(ホロコースト研究)。

『ポストモダニズムとホロコーストの否定』についてはこちらに書いたが、この本は小著ということもあり、このテーマからすると取り上げられると予想されたものが取り上げられてはいなかったりもしたのだが、第八章にこの本の内容が組み込まれれているように、本書はイーグルストンの集大成的なものとしてもいいのかもしれない。

すでに引用したように、ポストモダニズムとはホロコーストへの応答であり、一部で(あるいは多の人から、というべきか)批判されるような歴史修正主義の温床になるようなものではなく、むしろ少なからずはびこっているホロコーストの否定、過小評価、歪曲、相対化への抵抗となるものである、というのがイーグルストンの立場だとしていいだろう。

本書の内容は多岐に渡るため全体を要約するのは不可能なため、個人的に最も深く考えさせられた第一章について触れておきたい。


モーリス・ブランショはホロコーストの生存者の言葉についてこう書いている。「他の書物と同様の仕方で読んだり消費したりしてはならない」。

収容所の生存者であるプリーモ・レーヴィのこんなエピソードが引かれている。レーヴィは小学五年生の子どもに収容所について話すと、利発そうな少年が「決まりきった質問を投げかけてきた」。それは「なぜあなたは逃げなかったのですか」というものだ。レーヴィは「我慢強く説明する」。「収容所では、囚人たちは士気を挫かれ、飢えに苦しみ、そのうえ虐待されていた。髪は剃られ、不潔な服を着せられて、すぐにそうと見分けられるようにされた囚人たちは、近在の土地に関しては何の知識もなく、そもそも彼らから権利を剥奪した敵国にあっては、逃げる場所などどこにもなかった。加えて、自分が逃亡できたとしても、残された者たちに報復が――多くの場合死が――もたらされることは確実だった」。
しかしこの少年は「こうした説明に納得せず」、レーヴィに収容所の地図を示させると、自ら考えた脱走計画を披露してこう言ったのだった。「もう一度同じようなことになったら、僕が言ったようにしな。きっとうまくいくから」(pp. 26-27)。

この少年には悪意があったのではないだろう。それどころか囚人と自己とを「同一化」し、感情移入しているのである。しかしレーヴィと少年の間には、絶望的なほどの、埋めようもない溝が存在している。この少年を前に、レーヴィはただ「微笑」するのであった。

強制収容所については帰還者の様々な「証言」が残されている。我々(収容所を経験していない人間)はそのような「証言」を聞き、読むうえで、「レーヴィと同一化し、証言を冒険アクションと混同した」あの少年のような反応と無縁であるといえるのだろうか。我々は、「積極的にであれ消極的であれ、犠牲者との同一化、犠牲者としての同一化を維持」してしまうのである。
レーヴィはこう記している。このことは「今日存在し、年ごとに広がっている亀裂をよく表しているように思える。それは「あの場で」事物がどうであったかということと、今日の想像力でそれがどうとらえられるか、ということの亀裂である。それは不正確な内容の本、映画、神話によってますます大きくなっている。〔……〕私はここでこの横滑りに防壁を設けたいと思う」(p.29)。

レーヴィのような経験をした人にとっては、「これはたんなる他者の精神に関する認識論的問題ではなく、倫理の問題なのである」。「同一化は何であれ意味のある形では起こりえない〔……〕と同時に、起こってはならないものなのだ」。「同一化のプロセスを通じて、こうした理解不能な出来事は一見して理解可能になり、そして――歴史記述に関する同種の論争からの用語を借りれば――標準化され、経験の一部」となってしまう(p.30)。

これはまさしく「難問(アポリア)」であろう。無論帰還者たちは「同一化」を防ぐために沈黙し、我々は「証言」に耳をふさげばいいというのではない。しかし、「証言」は、「物語」と同じように我々に「同一化」を生じさせてしまう効果を持つ。そしてその「同一化」によって、ホロコーストは「理解可能」なものとして一般化され、相対化され、矮小化されてしまう。レーヴィの言うように、そこには「防壁」を設けなくてはならない。そうでなければ、あの出来事があの出来事として引き継がれることはない。「そこに「防壁を設ける」ためには、あるいは少なくとも何が起こっているのかを理解するためには、同一化をたんなる「子供っぽい素朴さ」として退けるのではなく、同一化のプロセスを探求することが必要になる」(p.31)。

イーグルストンはマイケル・バーナード=ドナルズとリチャード・グレイザーのBetween Witness and Testimony: The Holocaust and the Limits of Representationに依拠しつつこう記している。
「アブラハム・レビンの日記〔邦訳『涙の杯――ワルシャワ・ゲットーの日記』、影書房〕のような、ホロコーストに由来する、もしくはホロコーストに関する作品は、出来事それ自体に光を投げかけることはないが、むしろ「私たちが思い描きがちな世界をむりやり押し開け」て、「人間精神にはできることとできないことがあるということに直面させる。しかしながら、こうしたテクストが作り出すのは同一化の完全な不可能性にほかならず、まさにそうした「非知」こそが、テクストを「贖い」のようなものにする。テクストが「言うことができない」物事に「私たちは災厄を見る。私たちひとりひとりの心が動かされ、私たちの「自己」とショアーという名との双方を包含すべく私たちが作り上げた物語や記憶が破壊されるという災厄を」。「贖い」の瞬間、「神の閃光と人間の倫理的・創造的活動が放たれるプロセス」は、同一化の絶対不可能性の崇高とも見える瞬間に生起する。したがって、「ホロコーストが刻み込まれた精神にとって」ガスとはつねにあのガスではなく、シャワーとはあのシャワーではないがゆえにこそ、「贖い」が可能になるということになる」(pp.48-49)。

レーヴィの作品では「収容所内の人々と外の人々との間には、壁が築かれている」。
「私たちは犠牲者ではなく、言葉を記憶するように求められている」。「私たちは犠牲者と同一化することはできず、犠牲者とともに目撃することはできない」のである(p.55)。


一気に飛んで第十二章の締めくくりを長く引用したい。

「けれども、人間の可能性を受け入れると同時にその失敗と限界にも開かれている、この二重の運動こそがポストモダン的応答を形作るものである。この運動は自らの意味を、動物における本質でも、社会的なもの・人間的なものにでもなく、その両者の相互作用に見出す。最も重要なことは、人間の内部にではなく、人間たちの相互作用にある。だから最も広い意味での文化がかくも重要なのである。同一化の過程が否応なく起こるのは文化においてであり、それも固有の変動が起こるような文化においてである。この過程自体は空を見上げるのと同じように道徳的に中立であるかもしれないが、それは、人間の連帯を築き上げる試みと、人種に基づいた対立と憎悪を醸成する試みの双方の底流をなしている。おそらく、「ポストモダン・ヒューマニズム」の一つの役割とは、自らの脆弱さと潜在的偽善性に震え上がるほど恐ろしいまなざしを向けながら、自らを絶えず監視することである。その一部として含まれるのが、この過程が何なのか詳細に考察し分析すること、そして個別的、普遍的機構が、それぞれの例においてどのように動くのかを見ようとすることであろう。もう一つの役割は、これも同一化の過程を意識したものだが、世界のいや増す人間化、デリダが「メシア的テレポエシス」と名づけたものにある。ギルロイは書いている、私たちの「課題は今や、惑星的人間性の一層力強いヴィジョンを未来から現在へもたらし、それを民主主義的、世界市民主義的伝統と再結合することであるはずだ」。それは、遠い未来を現実化し、戦争の対立物ではなく戦争を超えたもの、つまり平和の希望をもたらそうとする試みである」(p.472)。


「文化」が「空を見上げるのと同じように道徳的に中立であるかもしれないが、それは、人間の連帯を築き上げる試みと、人種に基づいた対立と憎悪を醸成する試みの双方の底流をなして」おり、「「ポストモダン・ヒューマニズム」の一つの役割とは、自らの脆弱さと潜在的偽善性に震え上がるほど恐ろしいまなざしを向けながら、自らを絶えず監視することである」というのは、僕の中にあるポストモダニズムへのシンパシーを端的に代弁してくれているように思えた。
前にも書いたが、一方でイーグルストンの本を読んでいると、はたしてポストモダンへのシンパシーを一切有しない人に伝わるものなのかというと、心持たなく思えてしまうのも偽らざる気持ちでもある。

ポストモダニズムについて考えると、僕はヴォネガットの『スローターハウス5』のあの有名な一節を思い出してしまう。「人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。そしてこうつけ加えた、「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」。
「SFが大いに役に立った」という文脈で哀れなるエリオット・ローズウォーターが発するこの言葉は、モダニズムの限界を示す、ポストモダン的なものであるすることもできよう。

永遠に生成を続けるがゆえにその「強度」を持つポストモダンは、その宿命的な不完全性ゆえに恣意的な暴走を許してしまうことにもなる。イーグルストンがポストモダンは歴史修正主義と親和性があるどころかむしろ対極にあると主張するように、ポストモダンの安易な利用はポストモダン思想とは相容れないものではあるのだが、そのような暴走を許す下地を作り上げたことこそが「ポストモダン的」なのであるという批判もまた召喚してしまう。デリダは「毒」という意味とともに「薬」という意味を持つ古代ギリシャの「パルマコン」について考察したが、この「決定不可能性」は、「薬」が「毒」に転化してしまう可能性をも意味していることを思うと、イーグルストンの立場がポストモダンにとって「正統的」(という言い方ほどポストモダンに似合わないものもないが)なのだとすることも難しいだろう。

歴史家がポストモダンに疑念を抱くのは、ポストモダンの隆盛と歴史修正主義の跋扈とが同時期に起こったと見なされるがゆえの間違ったアナロジーのせいのだろうか。残念ながらポストモダンという武器によって歴史修正主義を一掃することができていないばかりか、それが「間違った使用法」であったとしても、ポストモダン的発想を掠め取ることによって歴史修正主義が膨張したことも否定しがたくも思えてしまう。この現実を突きつけられると、僕はポストモダンに大いに負債があることを進んで認めるし、イーグルストンの試みにシンパシーを抱きつつもまた、「 だけどもう、それだけじゃ足りないんだ」とも思ってしまうのである。



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