『造反有理  精神医療現代史へ』

立岩真也著 『造反有理  精神医療現代史へ』





サブタイトルが「精神医療現代史」ではなく、「精神医療現代史へ」となっているように、本書は(著者自身も進んで認めているように)見切り発車的なものとなっている。精神医療現代史の体系的、網羅的なものではないし、また一つの事件、事象に焦点を合わせて詳述したものでもない。
そもそも「造反派」の歴史は断片的な回想等はあっても、体系的、網羅的に概観されたものがなく、「かつてあって不毛のまま終息したとされる争い」という、造反派 からすると矮小化された形で記憶されようとしている。そのような「常識」が固定化しないよう、研究としては未完成であることを承知のうえで、叩き台として提示したものとしていいのだろう。

見ようによっては散漫とも映るかもしれないし、また決定的な結論に到達するわけではないので、読後感というものもすっきりしない。しかしこのような欠点ともできる部分は、著者の誠実さとすることもできよう。タイトルの通り著者は造反派にシンパシーを持っているが、しかし手放しで礼賛するのではない。少なからぬ造反派が敗北感にまみれようとも、肯定的な足跡を残したという事実を確認しようとしつつ、白黒はっきりつけられない、グレーの部分も多く残る。しかしこの迷いや惑いこそが、とりわけ精神医療という分野について考えるうえで重要なものかもしれない。


東大安田講堂攻防戦で「防衛隊長」を務めたのは今井澄であった。本書には今井の刑が確定し服役する際に、勤務していた諏訪中央病院の患者たちなどから拍手で送り出されたというエピソードがある。また徳田虎雄の名前も数箇所登場するが、徳田は政治的には左翼どころかその真逆であろうが、徳洲会病院は政治的理由などで大学などを追われた医師の受け皿にもなっていた。このように「左傾」した医師や医学生などがその後、「地域医療」に取組むというケースもよく見られた。

1960年代の政治の季節において、精神医療という分野で「造反派」の活動が目立ったのは、精神医療というその性格を考えると当然のことかもしれない。造反された側(体制側)からすると、造反派とは「反精神医学」であり、政治的世迷いごとによって医療の理論、現場をいたずらに混乱させただけだ、という切り捨てられ方をすることも多い。著者が再三指摘するように、実際には造反派は素朴に精神病など存在しない、全ては社会的要因なのだという単純な主張をしたのではない。今日的に医学の観点から見れば批判的にならざるをえない部分があることも確かであろう。しかしだからといって、造反派の存在がひたすらに無意味なものであったとすることもまた早計ではないだろうか。

1960年代まで広く行われていたインシュリン療法、電撃療法、ロボトミーについて一章が割かれている。これらの、現在から見るとおそろしく非人道的な「治療法」が下火になっていったのは、一つには薬の開発やその投与方法といった医学の「進歩」による改善もあるだろう。しかしまた、精神病院のあまりに悲惨な状況の改善を目指した造反派や、当事者たちが声をあげたことが、まったく無関係であったとすることもできないだろう。


突き詰めて考えるならばあらゆる医療がそうであるのかもしれないが、とりわけ精神医療という分野は、はっきりとした「線」を引きにくいものである。あらゆる患者にあてはまる完璧な治療法が確立されることはない。そもそもいったいどのような人が「患者」なのか、「患者」であるべきなのか、「患者」とすべきでないのかといったことですら、明確な線を引くことはできない。

また造反派も当然ながら一枚岩ではなく、そして造反派から批判された側もまた一枚岩ではない。本書に登場する中で最も一般的知名度が高いであろう中井久夫は、造反派に一定のシンパシーを示しつつも、その政治性からは距離を置いた。

中井はかつて「楡林達夫」というペンネームでこんな「異色」の文章を書いているという。
「医療は社会を根本的にかえる主要な側面ではないが、革命家のおちいる一つの初歩的な誤ちに、自分たちのたたかっている局面を変革の主要な側面と錯覚しがちなことがあります。そういうあなたたちの苛立ちははっきり言ってわれわれのたたかいに有害です。そうして局所的な戦いは、しばしば収拾が重要であり、壮大なキャンペーンを組んでそこに含まれている問題の一切を、オモチャ箱をひっくり返すように一切合財くりひろげてみせたい誘惑とたたかう自制心が必要です。この自制心がなかったため、キャンペーンの火元のその後の運命はしばしば前にまさって悲惨であり、それが革新陣営への公衆の不信のみなもとの一つとなっていることを忘れないでください」(『日本の医者』)。

このような漸進主義的発想は現在ではしごく穏当なものと見なされるであろうが、当時においては反動勢力を利するものだと見なされたかもしれない。また中井(であることはふせられていた)の政治的見解(あるいは政治から距離を置くこと)は議論を呼ぶものだったかもしれないが、医療においてもまた中井への相反する見解が紹介されている。投薬の多い治療法(「正統的」ともいえるだろう)に失望を覚えた者もいれば、その異端ぶりをあげつらう声も紹介されている。

中井について触れられた部分はそう多くなく、本書に登場する人物は世間的には多くが無名とされるであろう医師たちだ。そして「無名」な人々は、中井のかつての文章が再刊されたように発掘されることなく、忘れさられてしまう可能性が高い。忘れ去られる人々は忘れ去られるべくしてそうなってしまったのであろうか。中井にすら相反する評価があるように、この「無名」の人々の行ってきたこと、語ってきたことの中にも、忘れ去るべきではないものがあるはずだろう。とりわけ精神医療という、明確な線を引くのが困難な領域においては、常に問いかける姿勢が必要であり、そのためにはこのような人々の記録も残され、記憶されるべきだろう。

「私自身はまったく無知という他ない「精神医療(改革)」について書くことになったのは、その領域に起こってきたことが一つにこのことを巡ってあるかると考えるからだ。それでいくつかのできごとを列挙する。ひとまず知っておいてよいだろうことが、限られた人たちの記憶や今はほぼ顧みられない文章の中にしかないといったことになってしまっているからだ。あるいはその領域の教科書に書かれていることであっても、それは滑らかで単純で(そして間違った――と私は思う)筋の物語の中に収まってしまって、それきりになっているように思うからだ」(p.192)。

文脈を無視して引用してしまったが、著者が見切り発車とも見える本書をこうして上梓した意図はここにあるのだろう。


こういった内容の本であるので予想していたが、中井久夫ほどではなくとも精神科医としてはかなり知名度の高い部類に入るであろう、日本初の解放病棟である三枚橋病院を開設した石川信義も登場している。

石川信義さんはご存知の通りライムスター宇多丸さんのご尊父であられます。「東京大学経済学部卒。会社勤務ののち、一九六二年、東京大学を卒業して精神科医となる」という略歴が紹介されているが、こういう方を父親に持つというのもなかなか大変なものがあるのだろうなあ。

広田伊蘇夫氏の回想が引用されている。「あらためて記すまでもなく、島は日本における戦後、唯一の政治闘争の指導者だった。しかし、私にとっての島は、砂川基地反対闘争以来、心の奥底に居座り続けた信頼の星だった。年月を経て、精神病院の開放運動に一石を投じ続けた私の朋友、石川信義と共に、当時、砂川小学校の講堂に寝泊りし、降り続く雨の中、デモ隊の一員として国家権力に対峙し、反安保闘争の前哨戦として、一九五九年十一月の国会突入時には、これも石川と共に国会の横柵を越え、正門の鉄扉を叩きつづけた。いずれも島の信条に共感した行動であった。論理を超え、自らの行動をもって、亡びゆかんとする人間的情念を呼び起こす魔性こそ、島成郎の本質だった」(p.76)。

このあたりの話も含めて親子対談とか聞いてみたい気もするが、当人たちからすれば勘弁してよ、というところなのかもしれませんが。


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佐藤太郎(仮)

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