『日本の医者』

中井久夫著 『日本の医者』




1963年から66年にかけて、中井久夫が「楡林達夫」というペンネームで書いたものに加え、中井による2010年に書かれた長めの「解説とあとがき」が付されている。

「解説とあとがき」で中井は「楡林達夫」というペンネームについて「東京の電話帳にないことを確かめてつけた。北杜夫の長編小説『楡家の人びと』より時期が先である」としているが、『楡家の人びと』は単行本の刊行は64年だが連載の開始は62年なのでこの言葉を信じていいものかは微妙な気もする。なにせ50年も昔の話であるし、この間ペンネームの由来については散々訊かれたことだろうし、意図的にごまかしているのでないにしても記憶が作られてしまったという可能性もなきにしもあらずということなのかもしれない。

本書は63年刊行の「楡林」らが編著をつとめた『日本の医者』から中井執筆部分、そして友人二人の自殺に直面して「パセティック」な文章ともなっている「抵抗的医師とは何か」、そして66年刊行のこれも「楡林」らの編著の『病気と人間』から中井執筆部分の三部構成になっている。

『日本の医者』は日本近代医療小史といった要素もあり、そして何よりも医局制度を痛烈に批判したものとなっている。僕は『白い巨塔』は未読でドラマも未見なのであるが、中井も触れているように『白い巨塔』などは「その「誤診」の内容は、医師ならばまず、「とても誤診とは言えない」と考えるようなもの」で、あくまでフィクションとするべきだろうが、小説、ドラマのファンは本書で扱われる医局制度の内実について興味深く読めるかもしれない。本書で中井が書く医局制度がもたらした誤診とその顛末の例は極めて陰惨なものである。
「解説とあとがき」で、当時この文章は「厚生省では歓迎されて回覧」されたという噂があり、「なるほど厚生省では医局制批判が歓迎されるのだなとわかった」とあることからも、病院、医学部をめぐるこの手の話がいかに複雑な思惑が交差しているものかが窺える。

また1968年には東大精神科で「病棟を占拠して立てこもる赤レンガ派と精神医療をもっぱら占拠されなかった外来で継続した外来派とに分かれて、二〇年続くことになる」事件が起こっている。「当時、青木病院の専任であった私は薄暗い廊下で占拠組の一人と会った。当時は医局長をなぐったなぐらぬの話題の人であった。私は辞退の旨を告げ、彼は私のペンネームを挙げて、楡林達夫を越えてみせると語り、私は「お手並みは意見」と言って立ち去った」という回想からは、若い医者や医学生が痛感させられたり、漠然と不安に思っていたであろうとことをストレートに書き綴ったこの文章がいかにインパクトを与えたかということがわかる。

これだけ反響を呼んだものを身近な人に隠しおおすのは無理な話で、「私が身を寄せた研究室の室長さん」は「ご機嫌斜めであり、もう二度と一切ものを書くなといわれた」のであった。しかしこの禁を破った結果、ある日下宿に「おいこら、約束破ったぞ」「自己批判せい。一切ものを書くなと約束しただろう」という電話がかかってくる。「途中で謝れば許してやるという仄めかし」を感じつつも、「しないと破門だぞ」という言葉に「どうぞご自由に」と返してしまったのであった。
数年後に、雨の中行われていたある葬儀で、その元指導者が人を介して会いたがっていると言ってきたが、中井はこれを断った。「とうとう、元指導者が傘も差さずに私のほうに雨しぶきの中をやってきた。彼は手を差し伸べ、「きみはぼくの弟子で出世頭だ。きみのことは誇りに思っているよ」と語った。私の手を抑えたのは「しゅっせがしら」の一言だった。「せんせい、あなたがそのことばをつかわれるとは。プラウダがとうとう核酸を認めたよと涙を流しておられたあなたはどこにいったのですか」。口には出さなかった。せんせいはしばらく出していた手を引っ込めて、雨の中を自分のテントに帰って行った。/先生の訃報が耳に入った。あまり月日がたっていなかった。私はかたくなに過ぎたのだろう。あの言葉をつかわれなければ、と私はわが狭量を棚に上げて呟く時がある」(p.299)。


『日本の医者』で激烈に表された状況は現在では大分変化しているのだろうが、では本書は時代的なもので、今ではすっかり古びてしまっているのかというとそういうわけではない。

『病気と人間』はさらに日本のみならず西洋医学史を概観しながら、66年の「現在」について批判的に考察したものだが、次の箇所などは現在書かれたものだとしてもあまり違和感はないだろう。

「日本の社会を動かしているパワー・エリートに属するあるひとは、かつて、筆者にこう語ったことがある。「公害などとさわぎたてて、われわれ生産性を向上させようとしているものの足をひっぱる奴がいる。隅田川が澄んでペンペン草が岸にはえるのは結構かもしれぬが、少々のことは我慢してもらわねば、わが国はやってゆけませんよ」と。/しかし、微量の物質や放射線の長期にわたる作用ほど、医学の方法論からみて太刀打ちしにくい相手はないのである。しかも、今日人体が接触する物質の圧倒的多数は、生命誕生以来、でくわしたことのない物質である。工業化という、それ自体不可避であろう過程は、医学的に十分管理されなければ、そのまま、われわれの住む地球を、知らぬ間に。地球とは違った星にかえてしまう“反生命化”の過程になるおそれがあるだろう。つまり、他の星に住むほどにも敵意にみちた環境から、身を守りながら生きることを余儀なくされるであろう。そうして注意すべきことは、細菌と人間との関係とちがって、生態学的バランスが成りたつ可能性がはるかに低いことである。人間があたらしくつくり出した物質によって、われわれの身体の、微妙で阻害されやすい酵素の活動や分化の過程に、思いがけない効果が出てくることは、先ごろのサリドマイド児の問題によって、あまりにも明らかに公衆に示されたのである」(p.202)。


上の引用で時代を感じさせるものとしては「パワー・エリート」という言葉だろう。これはもちろんライト・ミルズの『パワー・エリート』からきている。「あまりにも有名なこの著作は、一九四〇年代における社会の変貌に、かれ独特のやり方で切り込んだものであり、「何年かおくれてアメリカのパターンを追いかけている」といわれるわが国の現在の社会的変動に示唆を与えることが少なくないと思われる」とある(p.274)。
僕は社会学には疎いものでわからないのだが、現在ライト・ミルズは大学などでは読まれているのだろうか。一世を風靡したものは、その分だけ一度忘れられ始めるとその勢いは止まらなくなってしまうものだが、ライト・ミルズの現在の扱いはどうなのだろう。
また「「何年かおくれてアメリカのパターンを追いかけている」といわれるわが国」という言い方が1966年の時点で、この書き方によると人口に膾炙していたであろうというのにも目がいく。この手の言い回しというのは現在でも使われているが、これはいつごろから言われるようになったのだろうか。


本書を手にしたのは『造反有理』(立岩真也著)で言及があったためだが、同じ箇所を引用してみよう。
「医療は社会を根本的にかえる主要な側面ではないが、革命家のおちいる一つの初歩的な誤ちに、自分たちのたたかっている局面を変革の主要な側面と錯覚しがちなことがあります。そういうあなたたちの苛立ちははっきり言ってわれわれのたたかいに有害です。そうして局所的な戦いは、しばしば収拾が重要であり、壮大なキャンペーンを組んでそこに含まれている問題の一切を、オモチャ箱をひっくり返すように一切合財くりひろげてみせたい誘惑とたたかう自制心が必要です。この自制心がなかったため、キャンペーンの火元のその後の運命はしばしば前にまさって悲惨であり、それが革新陣営への公衆の不信のみなもとの一つとなっていることを忘れないでください」(「抵抗的医師とは何か」 『日本の医者」 p.126)。

政治性の強い「造反派」への批判であるが、中井は「解説とあとがき」でこう書いている。「私は敗戦の時のショック以来、一切の党派に属さない決意をしていたのであった。ショックとは、敗戦ではなく、それは予期していて、ただ終わり方がわからなかったのだが、人々の一変ぶりに驚嘆した。私はそう器用にはゆかない。私は神戸港に行って、第三突堤に屯している掃海艇を眺めたりした。占領かに日本の船舶は日の丸ではなくスカジャップ旗を掲げて航行していたが、掃海艇は軍艦旗を掲げていたと記憶する。間違いかもしれないが……」(p.304)。

「解説とあとがき」ではまた「DNAの二重鎖のワトソン」が訪れてきたことなどウィルス研究所時代の回想もしている。「次々に一流の外国人が来て、接待費に給与が消えるのは、大きな見込み違いだった。二流以下のほうがゲイシャパーティが特に大変だった。細菌戦研究者をスカウトにきているのではないかと疑いたくなる人もいた。そして研究所では、まだ「石井閣下は偉かった」というひそひそ声さえきこえないでもなかった」とある(p.290)。
731部隊の石井四郎を擁護する声が戦後も根強くあり、またその情報によだれを垂らす勢力がいたである。

『病気と人間』にはすでに引用したように薬害についての言及があり、またポリオのワクチンをめぐって製薬会社の力の強大さゆえに政策が歪められたのではないかという疑念も示されている(731部隊と戦後の製薬会社には深いつながりがあることも想起させる)。
「医師の無責任さ」について、中井はこう書いている。「個々の医師の人格の責任ではない。システムの問題である。丸山真男氏は政治機構としての天皇制を「極度の責任集中によってぼう大な無責任の体系と化した政治制度」と呼んだが、この意味での無責任性は、わが国の医師団のなかに、制度的に、ひそかに浸潤していないとはいえないのである。/そのなかでわが国の医師は、精神的に孤立し、しばしば孤独な、無力な存在と化している。すくなくとも矛盾の中にふかく落ち込み、孤独と無力感にさいなまれることは医師として生きてゆくうちにいく度かはおこることである。われわれはその度に“わけ知り”になり、若年寄のような性格になっていく」(p.264)。

中井は丸山のこの言葉を数度に渡って繰り返し引用している。敗戦直後に中井が「驚嘆」した「人々の一変ぶり」は丸山の分析した「無責任の体系」とコインの裏表の関係であろう。こういった面はいまだに日本社会に根深くあるものであり、その点からも、(残念ながらとするべきかもしれないが)本書はまだ読まれる価値があるのだろう。



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