『チャールズ・ディケンズ伝』

クレア・トマリン著 『チャールズ・ディケンズ伝』





超のつく有名人だとあれこれ調べなくてもつい知ってる気分になってしまうことがあるものだが、ディケンズも小説の解説や英文学関係の本などでその生涯についてそれなりに知っている気になっていたものの、考えてみるときちんとした伝記を読むのは始めてかもしれない。

ということで本書で初めて知ったことも多かったのだが、その一つが催眠療法についてである。ディケンズは催眠術に関心を寄せていて、そればかりか催眠療法まで行っていた。「人前では魅力的で活発に見えた」知り合いの女性が、「三叉神経チック、頭痛、不眠症、時おりの痙攣、強硬症」などの神経症に苦しんでいた。「まさしく十九世紀」的な症状であり、「そうした患者は少しのちに、シャルコー医師やフロイトの診療所にやってきて、ヒステリーと診断された」であろう(p.182)。
ディケンズはその女性に催眠術を施し、「彼女を眠っているような忘我状態にし、彼女のさまざまな経験と幻想について質問」したそうだが、これなど約50年後に精神分析理論を生み出す直前のフロイトがシャルコーの影響のもとに行っていた催眠療法のようだ(まあ著者もおそらくはそれを意識したうえでこの描写をしているのだろうが)。

ディケンズはヴィクトル・ユゴーと親しかったが、その次女についてこんなことを書いている。「腰から上にはほとんど何も着ずに現れた娘」は、「短剣をコルセットに忍ばせていると思ってしまうでしょう。コルセットはしていないように見えたのを別にすれば」(p.213)。
この次女とはトリュフォーの『アデルの恋の物語』で有名になった、あのアデルのことである。さすがにディケンズはアデルに対して催眠療法は試みなかったようだが、もしもディケンズがアデルを治療していたら、あるいはそれを試みた結果アデルがディケンズに対して「転移」してしまっていたら……なんてことを想像してしまった。


本書はディケンズの家系から始まり誕生、小説家としてのキャリアから私生活、死、そして残された者たちまで、バランスよく扱われている。

「プロローグ」はある裁判から始まる。妊娠していた女中が仕事中に産気づき、赤ん坊は生まれたもののそのまま死んでしまう。困った女中は遺体を隠してしまったのだが、女主人はそれに気づくと、無情にも救貧院の病院に送り、その女中は殺人と死体遺棄で逮捕されてしまったのである。
この裁判にはある陪審員が途中から加わり、この人物は哀れなる被告が重い刑罰を科されないように、「彼女が子供殺しで有罪だとすでに思っている者と対決する覚悟を」決めていた。この陪審員こそ、すでに小説家として成功していたディケンズその人だった。金持ちの家に奉公に出ている貧しくそれゆえに無知で、また休みをとることもできない女性を冷たく刑務所送りにすることなどできようか。ディケンズにとってこの被告は特別な存在だったのではない。彼はいつでも貧しき者、弱き者の味方だった。

作者とその作品とをイコールで結ぶことはあまりに単純素朴な解釈の仕方である。しかしディケンズの場合、彼の生涯こそまさにディケンズ的なものとなっているかのようでもある。

浪費家であった父親が借金の返済に行き詰まり、債務監獄に入れられ、それがチャールズ少年の心を大きく傷つけたことは有名なエピソードである。それだけではなく、ディケンズは12歳で工場に働きに出され、その後復帰した教育も15歳で終えなくてはならなくなる。独学で速記を学び、ジャーナリストとして職を得、スケッチから小説へと瞬く間に活躍の場を広げていったように、ディケンズの知的能力は極めて高かったのだろう。それだけに、両親が教育の機会を奪ったばかりかそれを悔いてさえいないことを許すことはなかった。しかしディケンズは大きな成功を収めた後も縁を切ることなどはせずに、両親をはじめ一族の面倒を律儀に見る。

ディケンズというと現在に至るまで一般読者の強い支持を集め続けているが、一時は批評家筋からは低く見られがちでもあった。そのご都合主義的な部分や、お涙頂戴の俗情に媚びるかのような展開は否定的に評価されることもあった。しかしドストエフスキーやトルストイがディケンズの熱心な読者であったように、ディケンズの作品は19世紀のロンドンの実態を広く描いているのみならず、嫉妬や暴力的衝動などにより不合理な悪の力に引き込まれてしまう人間の姿など、その後の小説の人物造形に大きな影響を与えてもいる。『クリスマス・キャロル』のように道徳的な目的を持って書かれ、それが明瞭なものもあるが、ただそれだけの小説家ならばこれほど読み継がれることはなかっただろう。
わかりやすいようで一筋縄ではいかないのもまたディケンズの小説世界であり、またディケンズその人でもあった。

ディケンズは自分の才覚一つで階層を上昇した人間にありがちな、社会の底辺にいる人々を見下すような人物にはならなかった。権力や金持ちの欺瞞を告発し、常に貧しい者たちを気にかけ、経済的に成功を収めた後は実践活動も行う。
「ホームレスのためのホーム」を設立し、貧しさから売春をせざるを得ない人々の生活を立て直し、自立するための支援を行った。共同設立者の女性は支給する服は地味なものがいいと考えたが、ディケンズは「女たちは着るのを楽しめるような明るい色の衣服を持つべきだと主張した」。このように、ディケンズはピューリタン的熱情にかられていたのではなく、また売春そのものを否定しようとも考えてはいなかった。集団生活になじめずにまた不品行な振る舞いを繰返す女性についてはホームを追放することを厭わなかった。それでいて、次第にそのような不品行な女性に魅了されるようにもなっていった。

お人好しの散財家ではなく、金銭面ではシビアな一面も持っており、ビジネス面では倫理的にいかがなものかという行動を取ることもあった。アメリカの奴隷解放論者からは同志として歓迎され、まだ恐怖政治の記憶も生々しかったであろうフランス革命を支持してもいて、数度に渡って国会議員に立候補するように求められたが、自分がその地位につくには「急進的」過ぎると考えていた。しかしそれはまた、家族を養うための莫大な収入を失うことを恐れていたせいでもあった。家族の面倒をみていた一方で、自立できず浪費癖から貧困に陥った弟との交際をほぼ断ったように、一度見限ると極めて冷淡な対応を取ることもあった。公開処刑に反対しつつもそれを見に行ってしまうように、矛盾しているといわれればそうでもあるのだが、人間というものはそう綺麗に割り切れるものではないのである。

妻を絶え間なく妊娠させていたものの、夫婦関係は冷えていき、ついには別居をしたうえに若い愛人を作り、著者の推測ではおそらくは子どもまでもうけていた。若い頃から明るい性格で周囲の人々を楽しませていたことを思うと、晩年に自作の朗読会が人気を博し、ディケンズ自身も有料朗読会を好んで開いたのも納得のいくことである。これはまた、金銭的においしいものであったばかりでなく、私生活でスキャンダルを引き起こしたディケンズにとって賞賛を直に浴びるという癒しのためでもあった。

たくさんいる子どもたち、とりわけ息子たちを自立させようと教育したが、型にはめようとしたそのやり方はむしろ逆効果だったようだ。多くの息子たちはまるでディケンズの父親のように怠惰であったり浪費家になってしまうが、これは隔世遺伝というよりもディケンズの父親としてのあり方の失敗だったのだろう。長男には翻訳などの文学的才能があった可能性があるが、ディケンズはこの面には目を向けずに商業で身を立てて欲しいと願いそのためのレールを敷き、その結果ディケンズの願いとは真逆の人間へと成長してしまうことになる。

そして家庭生活が荒んでいくにつれて、社会に対する姿勢も変化していく。一時は死刑に反対していたが賛成に転じ、またインドなどで起った反乱では強硬な政策を支持するようになっていく。しかし徹底して反動化したのかというとそこまではいかずに、貧しき者へのシンパシーも持ち続け、他人の子どもに対しては優しさを発揮してもいたのであった。

ドストエフスキーも早世した兄の家族などの面倒を見なくてはならず、また若き日の革命思想への傾倒から一転して反動化していった。このあたりはディケンズとドストエフスキーは重なるところもなくはないが、ディケンズの方がより中庸にとどまったのはイギリスとロシアの国民性の違いなのかもしれない、とまでしてしまうのは安易ではあろうが、約十歳という年の差からくるのかもしれない時代感覚への少なからぬ差異も含めて、こういったあたりも面白いところでもある。


ディケンズとドストエフスキーというと、本書及びその書評においてちょっとした騒動があった。トマリンを含む何人かの伝記作家やミチコ・カクタニなどの高名な書評家が「ドストエフスキーは1862年にディケンズを訪問していた」というhoaxに見事ひっかかってしまったのである。
これについてはそのものずばりのThe Historic Meeting Between Dickens and Dostoevsky Revealed as a Great Literary Hoaxや、これを入口にさらに論を展開するWhen Dickens met Dostoevskyを参照。

ドストエフスキーが1862年にロンドンを訪れたのは事実であるし、ならば大ファンであったディケンズに会おうとしたのではないか、というのは魅力的な想像ではあるが、冷静に考えるともし二人が出会っていたとしたらこれが歴史の片隅に埋もれてしまうことはないだろう。ついつい飛びつきたくなる気持ちはわからないではないが。

本書を読み終えた後でこのことを知ったのだが、正直に言うとそれほど丁寧に読んだわけではないので読み落としがあるかもしれないが、この訳書にはドストエフスキーとのこのエピソードは含まれていなかったと思う。「訳者あとがき」に「翻訳に当たっては、著者の意向によりペーパーバック版を使用した」とあるが、これはハードカバー版を修正したためだろう。


あと、ディケンズの父親は海軍経理局で働いていたことがあったので、つい『ピープス氏の日記』のピープスを思い起こしてしまったのだが、本書の注によるとディケンズの蔵書の中にはピープスの五巻本の日記もあったとのことである。ピープス氏は浪費的傾向がなきにしもあらずではあったが自らを律することができ、順調に出世していったのだが、ディケンズはどんな思いでピープスの日記を読んでいたのだろうか。

なおトマリンはピープスについての著作もありますね。




プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR