アンネとオードリー

バリー・パリス著 『オードリー・ヘップバーン物語』




オードリー・ヘップバーンがナチスドイツ占領下のオランダで、レジスタンスの資金集めのためにバレエを踊っていたのは有名なエピソードである。そしてオードリーは戦争の終わりころには「食料不足で体力が弱って、踊ることはおろか歩くのさえやっと」という状況にまでなってしまう。

オードリーは後年、「深い感慨をこめて、その生活が「自分の生活と酷似していた」アンネ・フランクとの一体感を語っている」。

「〔アンネ・フランクとわたしは〕同じ年に生まれ、同じ国に住み、同じ戦争を体験した。ただ、彼女は家のなかに閉じこもり、わたしは外にいた点だけが異なっていた。〔彼女の日記を読むことは〕わたし自身の体験を彼女の観点から読むことに似ている。わたしの胸はそれを読むことによって引き裂かれた。二つの部屋から一歩も外へでられず、日記を書くことしか自己を表現する手段を持たなかった思春期の少女。彼女が季節のうつろいを知る方法は、屋根裏の窓から一本の木をのぞき見ることだけだった。/ 住んでいたところこそ同じオランダの違う町だったが、わたしが体験したすべての出来事が彼女の手で信じられないほど正確に描かれていた――外の世界で起きていたことだけでなく、大人になりかかった若い娘の心の動きまで。彼女は閉所恐怖症だったが、自然への愛、人間性の認識と、生命への愛――深い愛――によってそれを乗り越えている」(上 pp.58-59)。


前にフィリップ・ロスの『ゴースト・ライター』についてちょっと書いたが(こちら)、ここでロスはアンネが生きのびていたらという可能性(というか妄想)を導入している。この小説によって第二次大戦後時間がたってから生まれた人間がはっとさせられるのは、アンネ・フランクというのは「大昔」に悲劇的な死を迎えた人ではないのだということだ。オードリーとアンネの生年月日はわずか一ヶ月ほどの違いしかない。しかもオードリーとアンネは、同じ時を同じ国で過ごしていた。

アンネの感じていた恐怖心とは比べることはできないのかもしれないが、イギリス国籍を持ちキギリスで教育を受けていたオードリーもナチス占領下のオランダではどのような目に合うかは油断できたものではなく、母親は人前で決して英語を話さないように言い含めていた。

オードリーは自分よりもさらに英雄的な活動をしていた人たちについて触れている。それは「レ・グウ(浮浪者)」と呼ばれていた大学生のグループで、何人ものメンバーがドイツ軍に捕まり処刑されながらも、ドイツ兵の暗殺を実行し続けたのであった。「彼らこそ記念碑と勲章に価する人たちである」と語っている。

十代の半ばを、オードリーはこのような環境下で過ごしていた。『アンネの日記』の次の一節を好きで暗誦していたということも、決して甘いロマンティシズムではないだろう。この一節は「アンネ・フランクが死の収容所に送りこまれるわずか六ヶ月前の一九四四年に書かれた」。

「わたしは屋根裏へ行って、床のお気に入りの場所から、青い空を、枝にくっついた小さな雨粒が銀色に輝いている葉の落ちたクリの木を見あげる。カモメやほかの鳥たちが風に乗って滑空するのが見える。これがあるかぎり、わたしは生きてそれを見ることができる。この日光と雲ひとつない青空が続くかぎり、わたしは不幸になれない……是があるかぎり、そしてそれはいつまでも続くだろう、すべての雀たちに慰めがあることをわたしは知っている」(上 p.59)。


オードリーは一九四七年にオランダ語でのゲラ刷りの段階で『アンネの日記』を読んでおり、その時のことを「涙が洪水のように流れた。わたしは半狂乱状態だった」とふり返っている。

ジョージ・スティーヴンス監督による映画化の際にオードリーにアンネ役の出演依頼が来ることは必然であったといえよう(スティーヴンスは強制収容所を直に撮影した監督でもあった。これについてゴダールが『映画史』でいかに解釈したかについては以前にこちらでちょっと触れた)。しかし彼女はそれを引き受けることはなかった。
「オードリーはフランク一家が隠れていたプリセングラフトの建物を最初に訪れた人々の一人だった。しかしアンネの物語はオードリー自身と重なる部分があまりにも多く、アンネを死に追いやった占領期間を生きのびた記憶が、さまざまなプレッシャーがあったにもかかわらず、その役を演じることを不可能にした。ジョージ・スティーヴンスの頼みで、アンネの父親のオットー・フランクが、オードリーを説得してアンネの役を引き受けてもらうべく、チューリッヒの自宅からビュルゲンシュトックへやってきた」(上 p.196)。

オードリーはその時の模様をこうふり返っている。「彼は昼食にやってきて夕食時までいた」。「わたしたちはとてもすばらしい一日を過ごした。彼は〔ホロコーストで〕夫と子供たちを失くした新しい奥さんと一緒にやってきた。二人とも腕に数字のいれずみがあった。彼はとても美しい、繊細な、ある種透明感のある顔の持ち主で、じつに感受性豊かな人だった。アンネのことを話すときは、感情が激してくるのを避けられないようだった。彼が話さずにいられないので、わたしのほうからはなにも質問する必要はなかった。彼は火で浄められた人という印象を与えた。彼の顔には深く精神的ななにかがあった。彼はあの世から戻ってきたのだった」。

オードリーはこの時撮った写真をお守りとして『アンネの日記』にはさむほど心を揺さぶられる体験であったのだが、それでもアンネを演じることはできなかった。「彼女の一生と死を自分の利益にする――出演料をもらい、おそらく映画でほめられるために利用する気にはなれなかった」のである(上 p.297)。

もっとも彼女の友人のドリス・ブリンナーはまた「実際的な問題」も指摘している。「彼女は十五歳の少女の役をやるのは無理なことを知っていた」。
『アンネの日記』が公開されたの一九五九年、オードリーはすでに三十歳になろうとしており、結局アンネ役は約十歳年下のミリー・パーキンスが演じた。

もちろん年齢のこともあったのだろうが、それ以上に、すでにパブリックイメージを確立していたオードリーが演じてしまうことによって、アンネ=オードリーというイメージが固定化してしまうことをおそれたということもあるのかもしれない。世の中の多くの人がアンネ・フランクと聞いてオードリー・ヘップバーンの顔を思い浮かべてしまうようなことになれば、様々な意味でオードリーにとっては耐えがたかったであろう。


一九九一年、オードリーはユニセフにチャリテイーのために『アンネの日記』を朗読することを決意する。「彼女の感情的抵抗は、上演形式と彼女自身の心理的アプローチの変化によって克服された」のであった。オードリーはこう語っている。「今度は、わたしはアンネ・フランクを“演じる”のではなく、彼女の考えを伝えるだけという違いがあります。わたしは読むだけなのです。今でも彼女を演じようとは思いません。それはあの戦争の恐怖のなかへ自分を押し戻すことだからです」。
「ただ朗読するだけでも苦痛はつきまとったが、彼女はやる気になっていた」(下 pp.258-259)

音楽を担当したマイケル・ティルソン・トーマスは「それは驚くべき内面の演技だった」と言っている。「聴衆に向かって“演じる”というよりは、あたかも言葉によって表される思考の流れを心に思いうかべているかのようだった」。
すべてのリハーサルと公演で一緒だったオードリーのパートナーのロブ・ウォルダースは「わたしの考えでは、彼女は単に声だけでなく、感情表現でも身のこなしでも、ほとんど意に反してアンネ・フランクになりきっていた。ヴィデオテープが残っていないのが残念でならない」とふり返っている(下 p.261)。この模様は海賊版の音声は残っているが、正式には録音されることはなかった。オードリーはまだ自信が持てずにいたし、他のスタッフは「これはまだ進行中の仕事だ」と考えていたのであったが、この時にはすでにオードリーの体内ではガンが広がっていたのである。


オードリーの伝記では彼女が拒食症などの摂食障害であったと断言、あるいは示唆するものが多い。著者はそれを否定する証言を数多く紹介し、著者自身もそのような見方に否定的であることを強くにじませている。しかしこれはやや矛盾しているようにも思えるが、オードリーの食習慣のいくつかはナチス占領下の貧窮状態によって形成されたということもまた示唆されており、食欲への強い抑制心とそれに相反するような甘いものへの歯止めのきかなくなるほどの欲望などは、摂食障害を連想させるものでもある。

そんなのお前の好みなだけだろうといわれてしまうとそうではあるが、二十代の頃のオードリーは本当に綺麗でチャーミングだと思うのだが、三十代前後以降はちょっと痩せすぎという印象が強く、世代的に晩年のイメージから入ってしまった人間にとっては少々痛々しくも思えてしまう。もしもこれが占領下の過酷な体験の影響であったとしたら、と考えるとなおさらである。本書には写真も多数収録されているが、幼少期から晩年までを一気に見ると、やはりつらさというのが先に立ってしまう。


「アンネ・フランクの思い出が現在も将来も永遠にわたしたちとともにあるのは、彼女が死んだからではなく、希望と、愛と、とりわけすべての許しの不滅のメッセージをわたしたちに残すのに充分な時間を生きたからなのです」(下 p.265)。

このオードリーの言葉は、彼女が戦時中に何を見て何を感じていたのかという文脈抜きに安易に受けとるべきではなく、そのような体験を経た人による言葉であるからこそ重く感じられるのである。







プロフィール

Author:佐藤太郎(仮)
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