シュリーマン、その虚言癖と外国語習得法

デイヴィッド・トレイル著 『シュリーマン  黄金と偽りのトロイ』





誰しも自分の過去を潤色したり、あるいは都合の悪い事実に口をつぐんでしまうということはあるものだろう。また意図的なものでないとしても、記憶を都合よくねじまげてしまったりすっぽりと抜け落ちてしまうということもある。従って一般論としても「自伝」をそのまま鵜呑みにすることはできない。さらにシュリーマンの場合、一般に考えられる以上にその自伝には信用すべきでない部分が多々含まれており、それは「虚言癖」の域にまで達していると、著者はしている。

少年時代にトロイの実在を信じ、いつの日にかその発掘をすることを決意し、商人として成功した後に独学で考古学を学びついに夢を実現した、というシュリーマンの一番有名なエピソードからして後に自身によって創作されたものである可能性が極めて高く、少年時代にそのような夢を抱いてなどいなかったのだという。

トレイルはシュリーマンの自伝を含む著作と日記等の資料を突き合わせることによって、その「嘘」を暴いていく。この点では、現在でも少なからず残っているシュリーマンを聖人化しようとする人々にとっては本書は偶像破壊的なものと映るかもしれない。しかしシュリーマンなんぞ単なる山師で実際には何一つまともな業績など残してはいないなどという立場とも一線を画している。トレイルはシュリーマンの虚言を検証するとともに、その業績もまた評価もしている。

「虚言癖」とまで強い言葉が使われているが、確かにこの伝記を読むとそうとしか考えられない部分も多い。
シュリーマンはアメリカの市民権を獲得しようとした時に、実際にはヨーロッパにいたにもかかわらず五年間アメリカに滞在していたという虚偽の証人を立てている。ここで注目すべきは、「彼が詐称によって市民権を得たという事実そのものではなく、ありのままを書けばよいはずの日記においてさえも、彼が事実を隠蔽しようとしていることである。私たちは、そこで彼が犯している法律違反が些細なものだけに、なおさらこの独特の偽善行為を目にして困惑せずにはいられない」(p.101-102)。

トレイルは「シュリーマンが書いている日記というものは、自分のための備忘録などではなく、読み手に強い印象を与えることを意図した作品だったのだ」としている(p.102)。
シュリーマンはこのアメリカ市民権獲得と前後して考古学の世界に乗り出しており、後に伝記等が書かれることを意識したうえでこのような「作品」を書いていたというのならまだ理解はできよう。しかしこのような日記の創作は、シュリーマンがまったくの無名時代にすでに始まっている。シュリーマンは新聞記事で目にしたものをあたかも自分で体験したかのごとく日記に書いている。しかも辻褄を合わせるために日付を改変し、その結果シュリーマンが得体の知れない不可解な行動を取ったことになってしまっているのだが、このあたりはあまり気にしていないようだ。こういったある部分での整合性にこだわるあまり別の部分で不合理に陥っていることに気がつかないというのは「虚言癖」のある人物独特のものかもしれない。

またシュリーマンの著作には愛読していたガイドブックなどからほぼそのまま引き写し、それを自分の体験であるかのようにしてしまっているところがあるが、もし当時本人に問い詰めたならば、すっとぼけるのではなく本気で自分はそのような体験をしたのだと主張したのではないかとまで思えてくる。

「考古学者としてのシュリーマンの経歴を考えるときにもっとも重要なのは、もちろん彼の虚偽とペテンである。シュリーマンの著書にはいたるところに虚偽の記述があり、それらの特徴は、彼の虚言癖が病的な域にまで達していたことを示している」と、トレイルは厳しく書いている(pp.429-430)。
シュリーマンの名誉のために付け加えておくと、批判的に検証してもやはり評価すべき業績もあるとしてあり、また「シュリーマンの振舞いは年齢とともに正常になっていった」。

「シュリーマンは非凡な人間だった。彼の生涯とその人格には、褒められるべき点も非難されるべき点も数多くある。彼について一貫した評価を下すことは困難であり、かえって誤解を招くことになるかもしれない。彼の自己中心癖、虚言症、そしてしばしば見せる冷笑的な振舞いは、およそ私たちの共感を誘うものではない。しかし彼の不遇な少年時代のことを考えると、こうした欠点も理解できるし、一生懸命働くことによって自分を向上させよとした不屈の意思には賞賛を禁じることができないだろう」(p.433)。

この「不遇な少年時代」というのはこうだ。牧師であった父親が愛人を小間使いという名目で雇い入れ、そのことが発覚し教区民から不興を買い、愛人は当然ながら妻に追い出される。しかし妻の死後にこの愛人を再び家政婦として雇ったことから教区民の怒りが爆発し排斥運動が起こり、父親は牧師の職を失い一家は経済的に行き詰るというものである。多感な時期にこういう体験をしちゃうとねえ、という気にもなってしまうところでもある。


結局シュリーマンは高等教育は受けられずに実科学校に通い、雑貨店の見習いからそのキャリアを始め、商人として成功を収めていくことになる。彼の成功を支えたのはなんといってもその語学力である。

「シュリーマンの一生とその功績を理解するための鍵の一つは、彼の驚異的な外国語習得能力にある。彼は母語のドイツ語の他に、オランダ語、英語、デンマーク語、スウェーデン語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ロシア語、ポーランド語、古代ギリシア語、現代ギリシア語、ラテン語、アラビア語を自在にこなし、完全ではないながらトルコ語とヘブライ語も操ることができた。晩年の一○年間には、まるで現代語であるかのように古代ギリシア語を使うようになり、手紙や日記も古代ギリシア語で書いたばかりか、古代ギリシア語を使ってみようとする学者とはこの言語で会話までしたほどだった」(p.428)。

シュリーマンは職を求めオランダに渡り、そこで商社の面接を受ける。ドイツ語の他に英仏語も使いこなせ、オランダ語の習得もすぐにできるとアピールしたが、実際には英仏語は仕事に使えるほどではなく、オランダ語も初歩レベルだった。ここだけを見ると虚言癖を発揮したようにも映る。しかし雑用係りとして採用されると、シュリーマンは英仏語のブラッシュアップにとりかかりこれを完全にマスターし、またオランダ語も間もなく身につける。ロシア語話者の需要があるとみるとこれも学習して身につけ、ギリシア語などもこのような実用的見地から習得していったのである。


ここで気になるのが、「この驚異的な能力を、彼はどうやって身につけたのだろうか」ということだ。
トレイルは「多くの読者にとっては、シュリーマンがおよそ十五の言語を流暢に使いこなすことのほうが、考古学における業績よりも関心の高いことかと思われる」として、シュリーマンの『イリオス』の記述に触れている。孫引きになるが引用しておこう。

「私は、英語を習得するために並々ならぬ努力をした。しかし必要に迫られていた私は、やすやすと言語を習得する方法を発見した。その方法とは、たくさんの本を翻訳しないでまずは音読する、毎日練習する、関心のある問題についてその言語で毎日作文する、こうして書いた文章を先生の指導のもとで直す、そしてそれらを暗記する、次のレッスンで前日直されたところを繰り返し覚える、ということである」(pp.43-44)。

え~と、これのどこが「やすやすと言語を習得する方法」なのでせうか……という感じで、辛抱強い努力を要する方法なのでありました。「努力ができるのも才能の一つ」というが、シュリーマンはこういう地道な努力を重ねることが苦ではなかったのだろう。

シュリーマンはさらにこう続けている。

「よい発音を早く身につけるために、私は毎週日曜日に英国教会の礼拝に二度ずつ行って、牧師の説教を一言一句小さい声で繰り返した。私は雨の日に使いに行くときでも、本を片手に何かしら暗記しながら出かけた。また郵便局で待っているときには、本を読まずに待っていることはなかった。この方法で記憶力を徐々に向上させることができたので、三か月も経った頃には、毎日の授業で二〇頁分の文章を一言一言三回注意深く読んだだけで、テイラー先生の前で暗誦することができるまでになった。この方法で、私はゴールドスミスの『ウェイクフィールドの牧師』とウォルター・スコットの『アイヴァンホー』の全文を暗記した。興奮のために熟睡できずに夜中に目が冴えてしまったときには、心のなかでその晩に読んだ本の内容を繰り返し暗誦していた。昼間よりも夜のほうが集中できたので、このように夜に暗誦することには大きな効果がある。こうして私は英語を完璧にマスターすることができた。
 次に、同じ方法を使ってフランス語も習得しようと考えて勉強に励み、マスターするのに同じく六か月かかった。フランス語の本では、フェヌロンの『テレマックの冒険』やベルナルダン・ド・サン・ピエールの『ポールとヴィルジニー』を全文暗記した。このように一年間みっちりと勉強して記憶力がかなり向上したので、その後に学びはじめたオランダ語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語はとても簡単に感じられ、これらの言語を流暢に書いたり読んだりするまでには、六週間もかからなかった」。

トレイルも「ここまですれば、どんな言語でもマスターできるに違いない。問題は、どうすればこのような方法を根気強く実行することができるかである」としているように、「全文暗記した」なんてことをさらっと書いているが、それをすることが大変なんだよ!という感じである。

あと「牧師の説教を一言一句小さい声で繰り返した」とあるが、これは現在では「シャドーイング」と呼ばれる学習方法と重なる。
さらに書店の外国語学習コーナーに行くと、「英語で日記を書いてみよう」といった類の本がよくあるが、これもシュリーマンが実践していたことでもある。
シュリーマンはエジプトに三か月ほど滞在していた時期があるが、「ここでアラビア語を学んだ彼は、エジプト滞在中の一〇〇頁ほどの日記を、ほとんどアラビア語で書いている」(p.52)。
イタリアを旅行した際には「一か月をかけて案内書で推奨されているローマのほとんどありとあらゆる教会や美術館、博物館そして記念碑や遺跡を訪ね歩いた」が、シュリーマンはこの模様についてイタリア語で日記をつけていた(p.64)。
またある年には妻への手紙で「目下のところトルコ語の勉強に取り組んでいる」とし、「それを裏づけるかのように、彼の日記の六二頁分はトルコ語で書かれ、そのあとはアラビア語で書かれている」(p.136)のだそうだ。


今ちょっと検索してみたら「外国語学習はシュリーマンに学べ」的なものをいくつか見かけたが、このような本がベストセラーになったことはあったのだろうか。結論としては「地道に努力を重ねましょう」ということなので、「んなこと言われなくたってわかってるわい!」ということになってしまのだろうし、あまり売れそうにないかなあ。

こんな本があるけど、どんな内容なんでしょう。



シュリーマンは日本にも来たことがあるが、こちらはまだ未読。こういうのを読んだ後だといろいろと疑ってかかってしまいたくなるがどうなんだろう。






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