映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

原作の感想はこちらに書いたが、素晴らしい小説であっただけに評判の芳しくなかった映画をなかなか見る気が起きなかったのだがようやく。




映画の感想を一言でいうと「オスカーが可愛くない!!!」ということに尽きる。
なんじゃその感想はと思われるかもしれないが、これは映画の製作陣が原作のエッセンスを活かせたかどうかということを端的に表しているように感じる。

原作ではオスカーはこまっしゃくれているようでそれでいて非常に子どもっぽくもあり、それだけに痛々しさや切なさというものも一層増すことになる。しかし映画のほうではよくも悪くも幼さというものがなく、そのせいでただこまっしゃくれた感じのみという感じで、観客はもう一つ感情移入がしづらいことだろう。

致命的なのは、オスカーは9・11によって父親を失い、さらにその過程でのある出来事によって深く傷ついているのだが、映画では9・11以前と以後でオスカーの造形になんの変化もないのである。顔つきも言葉遣いもそのままという感じで、これでは単に手に余る子どもにしか映らない。オスカー役はクイズ番組に出演したところ目に留まった演技経験のない子なのだそうだが、これは子役の演技力の問題というよりは演出側の問題だろう。

長編小説を映画化するにあたって登場人物やエピソードを省略したり単純化するのは避けられなのだが、このあたりもバランスを欠いているように思える。
映画のみを見ている人には祖父母の存在はほとんど意味不明であったのではないだろうか(オスカー同様ただの変人にしか見えないかもしれない)。祖父母のパートを時間が限られた映画の中にうまく溶け込ますのは至難の業であったとは思うが、無理ならば中途半端にせずに思い切ってばっさりと切ってしまうという選択肢もあっただろう。

一方で原作では母親に男の「友だち」ができたことにオスカーはとまどい、憤るのであるが、映画ではこちらはばっさりカットされている。そのためオスカーがなぜ母親に辛くあたるのかというのがわからず、これもオスカーの好感度を下げる要因になっている。
そして「母親が実は……」というのは涙腺決壊ポイントであるのだが、原作ではきちんと複線がはってあるのだが、映画ではこの複線がないうえに母親が自分でべらべらしゃべるものだから効果が半減してしまっている。


とにかく残念であったのは、繰り返しになるが製作陣が原作をきちんと読んでいるようには思えなかったことだ(シノプシスを流し見ただけなのではないかとすら思いたくもなった)。特にオスカーを「アスペルガー(的)」だという設定にするというのはよりよい作品にしようという「野心」というよりは安易さの表れにしか思えない。この作品に限らずだが、こういった設定を安易に導入するのは本当に勘弁してほしい。


原作が素晴らしかっただけに、原作という予備知識なしで映画を見たらどう思うだろうかと想像するのが難しいものでより点が厳しくなっているかもしれないが、脚本にしても演出にしても、「やっつけ」感とでもいうものがにじみ出ているように感じられてしまった。



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佐藤太郎(仮)

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