『第三の警官』

フラン・オブライエン著 『第三の警官』




「フィリップ・メイザーズ老人を殺したのはぼくなのです」。
この小説はいきなり語り手の殺人の告白から始まる。まず「ぼく」の生い立ちが語られる。自作農で土地の有力者だった父、居酒屋を経営していた母。しかし両親は相次いで亡くなり、「ぼく」は名門の寄宿学校に入ることになる。そこで物理学者にして哲学者のド・セルヴィの書いた稀覯本を盗むという体験をする。学業を終えた「ぼく」は、ディヴィニィという男に管理をまかせていた地所に戻る。ディヴィニィは粗野にしてなまくら者で、明らかに不正を働いているのだが、次第に「ぼく」はディヴィニィと一体感を覚えるようにまでなる。そしてド・セルヴィの研究を続けていた「ぼく」に、ディヴィニィはその研究をなぜ出版しないのか、資金が必要ならその手段はあると、金持ちの老人を殺して金を奪う計画を持ちかけるのであった。


と、ここまでの展開はドストエフスキーの『罪と罰』を連想させなくもない。しかし読み進むにつれこの物語はドストエフスキー的世界を描いたものではなく、大いなる奇想の世界であることが明らかとなっていく。訳者あとがきでも触れられているように、不可解な警察署と警官などからはカフカの『審判』などが浮かぶし、その他にも「『第三の警官』の語り手の地下世界めぐりにダイダロスの迷宮神話、ダンテの『神曲』、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』などの影響を認めることは容易である」。またその他にもドッペルゲンガー風な解釈も可能な点や「邪悪な家」の存在はポー的でもある。

『第三の警官』はなによりもアイルランド的物語となっており、十全に理解するためにはアイルランド神話、歴史、執筆時の社会情勢、そしてオブライエンの置かれていた立場などもふまえなくてはならないのだろう。しかしこれらに通じていない人(僕もそうである)にとっても、アイルランドつながりで何かと比較可能なジョイスの『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』のような読み通すのに困難を感じるほどの前衛的な作品とは違い、奇想物語として楽しんで読むことができるだろう。

少し宮沢賢治っぽい雰囲気の部分もあり、またその奇想世界は村上春樹的というよりは円城塔に近いかもしれない。人間の「自転車化」や思わぬ罪に語り手が追い詰められていくなど、そこに文明批評やイギリスとアイルランドとの関係など時代の空気を読みとることも可能だが、またSFやファンタジーとしても堪能できる。


オブライエンはこの小説を1940年に脱稿したが出版を拒否され、結局死後の67年に刊行されることになる。こういう例は文学史には数多くあるが、確かに現在読むと「普通」に面白いと感じるのだが、ではもし自分が1940年に編集者であったなら、この小説の価値に気がついたのだろうかと考えると不安になるところでもある。

『第三の警官』にはすっとんきょうなユーモアを感じさせるような部分もあり、一人称でありながら注が付されるなど、スターンの『トリストラム・シャンディ』風の脱線をも思わせなくもない(もっとも『第三の警官』の場合脱線風の注に作品を読み解く鍵が隠されてもおり、その点はやや様相を異にするところでもあろうが)。このようにオブライエンはユーモリストでもあったが、1966年4月1日、つまりエイプリル・フールに、酒の飲み過ぎもたたったのであろうか、「あっけなくこの世を去った」のである。
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佐藤太郎(仮)

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