『売女の人殺し』

ロベルト・ボラーニョ著 『売女の人殺し』




この短編集に収録されている作品の多くに共通するのは「居心地の悪さ」さかもしれない。自分がいるべきはずの場所にいることができず、自分がいるべきではない場所にいてしまう。しかしそもそも、「いるべき場所」などというのは存在しているのだろうか。

冒頭に置かれている「目玉のシルバ」はこの短編集全体の予告編になっているようでもある。
「目玉(エル・オホ)」というあだなをつけられたシルバはピノチェトによるクーデターによってチリを脱出した亡命チリ人である。抵抗運動に参加したことを過大に喧伝することもなく、「彼は当時メキシコに住んでいたチリ人の大半の連中とは異なっていた」。シルバは亡命チリ人たちから同性愛者だとの噂が、「悪意の吐け口」として流された。亡命チリ人の中には「少なくとも下半身のことについては当時チリを牛耳っていた右翼の連中とまったく同じように思考する左翼」もいたのである。シルバは自ら同性愛者であることを明かし、パリで長年夢見ていた仕事が見つかったためメキシコを離れる。その数年後にメキシコを離れ作家になっていた「僕」は、思わぬ場所でシルバと再会し、シルバがその後どのような経験をしたのかを知ることになる。

一人称の語り手がボラーニョを想起させるように、本書にはこの他にもボラーニョ自身の体験を反映させた作品が多い。
「訳者あとがき」ではボラーニョの生涯が詳しく紹介されている。親と共にチリからメキシコへ移住するがアジェンデ政権の誕生によって理想に燃え帰国。しかし1973年9月11日、ピノチェトがクーデターを起こす(『売女の人殺し』の原著はくしくも2001年9月に発売されている)。ボラーニョも身柄を拘束されるが、警察にかつての同級生がいたことから釈放されメキシコへと戻ることができた。

「目玉のシルバ」はこう書き出される。「奇妙なことに、マウリシオ・シルバ、通称目玉は、たとえ臆病者と見なされる危険を冒してでもつねに暴力から逃れようとしたが、暴力、真の暴力からは逃れられないものなのだ。少なくとも僕たち、一九五〇年代にラテンアメリカで生まれ、サルバドール・アジェンデが死んだとき二十歳前後だった者は」。

アジェンデ政権が誕生したその瞬間にはチリにいなかったし、またピノチェト政権によって命を奪われたのでもなく、政治亡命という形で国を追われたのでもなかった。ある種の引け目もあったのだろうし、一方で亡命チリ人には幻滅させられもした。また当時を生きていたことは現代チリ詩とも絡んでくる問題でもある。このあたりはまったく知識がないもので、「訳者あとがき」によってボラーニョがチリ文学においてどのような立場にいたのかという解説がないことには本書に登場する固有名詞やほのめかしなどの意味は掴めなかっただろう。ではこれが単なる内輪の話に終始しているのかというとそうではない。一度通読して「訳者あとがき」を読んでまたさらに戻ると見えてくる景色が変わってくるが、これは知識の多寡のみの問題ではなく、ボラーニョ作品の一つの特徴としていいだろう。この『売女の人殺し』には『2666』との関連人物も登場するが、ボラーニョ作品はこれのみに限らず人物や出来事が直接に、あるいはゆるやかにつながっている。『売女の人殺し』を読んで『2666』を読むと新たな発見があり、『2666』を読んで『売女の人殺し』を再読するとまたさらなる発見があるのだろう(「だろう」というのはさすがにまだ『2666』を再読していないため)。
『野生の探偵たち』や『2666』はその長さと複雑さから再読を強いる作品である。再読を重ねることによって作品の多面性や連関が浮かびあがるのはすべての文学作品に共通することでもあるが、とりわけボラーニョにはその傾向が過剰なほどある。


また「訳者あとがき」によると、ボラーニョは「自伝の執筆を「時間の無駄」と言い切り、当時刊行されたばかりのガルシア=マルケスによる自伝第一巻に関しては、「読んでいないし、内容を想像したけでぞっとする」とまで述べている」そうだ。
このコラムが書かれたのは2002年、つまり本書刊行直後であることをどう考えればいいのだろうか。エルロイの『わが母なる暗黒』は評価しているようなので、「自伝(的作品)」を全否定しているということではなのだろう。しかしまた、本作を(あるいはその他ののボラーニョ作品を)ボラーニョの伝記的事実にばかり引き付けてしまうのには慎重であるべきだろう。

本書には「自伝的作品」としたくなるものも多数含まれているが、同時に明確に虚構の世界を描いたものも並立させている。表題作がそうであるし、また死者が自分が屍姦されるところを目撃してしまうという、すごい「居心地の悪さ」を描いた作品もある。
ボラーニョはすでに90年代初めには「実質上の余命宣告」がされる状態であった。早すぎる「晩年」を長く生きたとすることもできるだろう。それを思うと上のボラーニョの言葉はさらに重く響くと共に、かなり直接的な自伝的作品と虚構とを並立させて一冊を編むことの意味についてもいろいろと考えたくもなる。



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佐藤太郎(仮)

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