『ルイス・ブニュエル』

四方田犬彦著 『ルイス・ブニュエル』




監督デビュー作である『アンダルシアの犬』から遺作である『欲望の曖昧な対象』まで、テーマごとに整理しつつ映画監督ブニュエルを網羅的に論じ、その全体像が見渡せるようになっている。

ブニュエルというとなんといっても『アンダルシアの犬』にイメージがあまりに強烈であり、またメキシコ時代は『エル』など一部の作品、あるいはフランス資本で撮ることになる『昼顔』などが中心的に論じられることが多い映画監督であるが、本書の最大の特徴はこれまであまり取り上げられることのなかった仕事も積極的に評価していることだろう。

『糧なき土地』以降の十数年は映画を撮ることができなかった不幸な時代として認識されがちであるが、ブニュエルが渡米し学んだハリウッド流のスタジオシステムをスペイン映画界に導入しようとしていたという見方がされている。スペイン内戦が勃発することがなければこれはきちんとした形になり、ブニュエルはハリウッドの伝説的プロデューサーと同じような記憶のされ方をされることになっていたのかもしれない。また共和派の敗北により亡命を余儀なくされメキシコに渡るが、『忘れられた人々』や『エル』などの一部の作品以外はカネのために撮らざるを得なかったと見なされてしまうことが多いが、この時期の仕事も積極的に評価しようとしている。
このあたりの著者の見立てがどうなのかというのは、なにせ未見の作品ばかりなもので僕には判断できないが、キャリア全体よりも瞬間的なものを切り取って語られがちな監督であるだけに、こういった評価は興味深い。


とはいえやはり『アンダルシアの犬』について。あの眼球切り裂き場面について、ブニュエル自身が演じているカミソリを研ぐ男と女の左眼を押さえている男は「明らかに別人である」のは「注意深い観客ならばおそらく気付く」ように撮られている。「後者は前者にはないネクタイを着用し、左手に腕時計が欠けている」のである(p.39)。
僕は注意欠陥気味の観客ゆえこの指摘を読むまで気付かなかったのだが、単なるケアレスミスか否かは置いといて、見返してみるとフィルムに残されているのは間違いなくそうなのである。

これについては気づいていたという人も多いのかもしれないが、このように既に見ていた作品についても示唆してくれるものが多い。また初期のブニュエルというとダリとの共同作業と決別に目が行きがちであるが、「学生館」での親友グループの一人だったガルシア・ロルカについても、ブニュエル、そしてダリとの微妙にして複雑な三角関係を含め検討されている。このあたりのなんとなく知っているつもりでいることについても、様々な可能性も示唆してくれている。


また日本とブニュエルとの関係についても面白い。「若き日のブニュエルもまた、モネやプルーストがそうであったように、神秘と驚異に満ちた日本的なるものに魅惑されていたのであ」り、それは映画を撮り始める前に書いた詩にジャポニズム的イメージがあることからも窺える。しかしまた、晩年の自伝『わが末期の吐息」では「わたしは砂漠、砂、アラブ、インドの文明、とりわけ日本の文明が嫌いだ」とまでいっている。
『昼顔』には「力士かプロレスラーのように肥満した日本人中年男が出現」する。「誰にも理解できない言葉を口にしながら景気よくチップを払い、主人公の客とな」り、「奇妙な小箱」から何かを取り出しては「異様な電気音」をさせ、行為が終わった後の主人公の放心状態から「謎の日本人が性技と絶倫ぶりにかけて、途方もない存在であったことが推測される」。
「ブニュエルは機会があるたびに日本への嫌悪を表明し、スクリーンのなかで日本人にグロテスクで不可解な役割しか与えてこ」なかった。

「「わたしはとりわけ日本の文明が嫌いだ」というブニュエルの発言の真意がどこにあったかは、今日では確かめようもない。だが『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』でミランダ大使ラファエルにパーティの席で次々と話しかけてくるフランス人ブルジョワのように、ステレオタイプを越えて日本そのものを他者として認識することは絶えてなかった。逆にブニュエルはこのステレオタイプを意図的に引用し、そのコラージュを通じて、外国人を既得観念の内側でしか認識できない欧米社会のパノラマを、戯画的に描いてみせたともいえなくもない。この問題は、『熱狂はエル・パオに達す』におけるラテン・アメリカ人や『若い娘』における黒人の表象のあり方とも無関係ではなく、ブニュエルにおけるステレオタイプの援用をめぐる問題として提起されなければならない」(p.617)。


日本におけるブニュエル作品の受容についても取り上げられている。
瀧口修造は原著刊行からわずか二年後の一九三〇年にブルトンの大著『超現実主義と絵画』を訳出刊行しており、「シュルレアリスムをめぐる知的時間差の短さには驚かされるものがある」としている。しかしその瀧口はまた、ブニュエルへの言及は稀であり、さらには一九五〇年代前半まで「その名を日本語でどう表記すべきかに迷っていた形跡がある」。
瀧口は一九三三年には「ルイス・ブニュエル」とスペイン語読みで表記していたのに、一九三五年や六年に書かれたものでは「リユイ・ビュニュエル」「リュイ・ビュニュエル」と「強引にフランス語読み」して表記している。

「ちなみに瀧口が『アンダルシアの犬』をようやく観ることができたのは、一九五八年に私費でヴェネツィア・ビエンナーレを訪れた後、ブルトンに会いに短期滞在したパリのシネマテークであった」そうだ。瀧口がブニュエルに対してあまり関心を寄せなかったせいもあるが、そもそも日本ではいくら観たくとも物理的に『アンダルシアの犬』を観ることは叶わなかったのである。

一九三六年には東京でフランス前衛映画が一気に上映されたが、『アンダルシアの犬』は日本に持ち込まれることはなかった。「にも関わらず当時の映画青年の間でこのフィルムの存在は知られ、つとに伝説化されることになった。河出書房が刊行していた『シナリオ文学全集』の最終巻である第六巻が『前衛シナリオ集』として翌一九三七年に刊行され、そこに『アンダルシアの犬』の採録「シナリオ」が訳出されていたためである」。
「一九六五年にシネマテック・フランセーズのアンリ・ラングロワが来日し、それを記念して近代美術館で百本ほどの欧米の前衛フィルムが、きわめて限定された観客を前に上映された」のが、『アンダルシアの犬』が日本で初公開された時であった。

「一九六〇年代の前衛映画運動においてもっとも重要な人物の一人である松本俊夫」は、「すでに一九五八年の時点で、ブニュエルとダリの訣別までの軌跡」について論じている。これは「二十六歳の映像作家による、驚くべくも透徹した論理の文章である。しかもさらに驚嘆すべきなのは、この文章を執筆した時点で、松本はおろかほとんどの日本人が、ここに言及されている『アンダルシアの犬』や『糧なき土地』を、実際に観るという体験をもちあわせていなかったという事実だ。松本は当時入手できるかぎりの欧米の文献に目を通し、戦前に翻訳された脚本を熟考したうえで、それを手掛かりにこの論考を書き上げた。そこには強烈に夢見られたブニュエルが存在していた。現実のフィルム体験が遅れて到来したとき、松本はこの文章の論旨に何ら訂正をする必要がなかった」(p.627)。

古本屋で昔の映画雑誌などを手にすると、監督特集などにはたいていシナリオの採録があることに気付かされるが、当時はこうして脚本を読んだりスチール写真から想像するより他なかった作品が非常に多かった。家庭用ビデオの普及、さらにはインターネットの登場によって映画視聴環境というのは考えられないほど変化し、もちろん映画批評はその巨大な恩恵にあずかっているのだけれど、こういうエピソードを読むとこれによって失われたものもまたあるのだという気もしてきてしまう。このあたりは映画批評のみならず、いろんなジャンルでも起こっているのだろうが。



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