『エラスムスの勝利と悲劇』

シュテファン・ツヴァイク著 『エラスムスの勝利と悲劇』




このエラスムスの評伝は1934年12月に刊行されている。この時代がいかなるもので、ユダヤ人であるツヴァイクがどのような状況に置かれていたかをふまえないことには、ツヴァイクがなぜこの本を書いたのかは理解できないであろう。
この年、ツヴァイクのウィーンの自宅は武器を保管しているという容疑で捜索を受ける。平和主義者にして「非政治的」な人間であったツヴァイクが武器を隠し持っているわけもなく、明らかに嫌がらせとして仕組まれたものだった。この事件によってツヴァイクはロンドンへの亡命を決意し、そして本書が出版されることになる。


エラスムスは「西欧のすべての著作家や創作家のなかで最初の自覚したヨーロッパ人、最初の戦闘的な平和愛好者であり、人道主義的な理想、世界と精神を友とする理想のための最も雄弁な代言者であった」(p.8)。

「エラスムスは、われわれがいま愛している多くのものを愛していた――詩歌と哲学を、書物と芸術作品を、諸言語と諸民族を、またそれらすべてのあいだの差別を問わず全人類を、より高い人倫化という課題のために愛していた。そして彼は地上のただ一つのものを、理性の仇敵として心から憎んでいた――狂信である。みずからすべての人間のなかで最も非狂信的であり、おそらく最高位とは言えないとしても最も広い知識を持つ精神であり、文字どおり人を酔わせる慈善ではないにしても誠実な善意の心情であったエラスムスは、あらゆる形式の不寛容な志向のうちに、われわれの世界の禍根を見ていた」(p.8)。

「エラスムスおよびその仲間たちは、啓蒙による人類の進歩を可能と見なし、教養、文学、研究、そして書物がさらに一般に普及すれば、個人ならびに全員の教化も可能であると期待していた。これら初期の理想主義者たちは、学習と読書を辛抱づよく育成するっことによって、人間の天性は陶冶しうるということに、涙ぐましい、ほとんど宗教的な信頼を抱いていた」(p.12)。


このあたりの、エラスムスによってすでに体現されていたヨーロッパの理想と進歩への信念は若きツヴァイクが持っていたものでもあったことだろう。ツヴァイクは明らかに自らとエラスムスとを重ねている。しかし、ナチスが猛威をふるい始めた時代には、エラスムスの生涯は必ずしも肯定的にのみ捉えることはできない、ツヴァイクはそう感じざるをえない状況に追い込まれることになった。つまり、なぜエラスムスの理想は破れ、未だに実現していないのかを考えなければならなかった。


「精神的和解という高邁で人道的な理想が、なぜあの「エラスムス流」が、今ではとうにすべての敵意の背理を教えられているはずの人類のうちに、あいも変らずかくも現実的な力を持てないでいるのだろうか。残念ながらわれわれははっきりと認識し、告白しなければならない――ひたすら普遍的な福祉しか眼中に置いていないような理想は、およそ広範な大衆を完全に満足させることはないのである。平均値的な天性の持主たちの場合、単なる愛情の暴力と並んで、憎悪もまたその陰湿な権利を要求し、個人のもつ利己心は、いかなる理想からも性急な個人的利得を欲するのである。大衆にとってはつねに具体的なもの、把捉しうるもののほうが、抽象的なものよりも受け入れやすいであろう。それゆえに、政治の世界で最もたやすく傾倒者を得るスローガンとは、理想のかわりに敵対関係を、他の階級、他の人種、他の宗教に逆らうようなたやすく把握できる手軽な対立を、宣言するものであるだろう。なぜなら、狂信がその無法な焔を最も燃えたたせることができるのは、憎悪によってだからである」(p.14)。

素晴らしい理想、しかしそれが実現しないことにも理由があったはずだ。エラスムスはそのことに頓着することはなかった。これこそが、エラスムスが最も否定した狂信に、結果として破れることになったということなのだろう。


エラスムスはローマ教会の側にも宗教改革の側にもつかない。「右にも過激、左にも過激があり、右にも狂信、左にも狂信がある以上、彼は不屈不変の反狂信的人間として、いずれの過激にも仕えようとはせず、ひたすら彼の永遠の節度である公正だけに仕えようとする。むだとは知りながら、彼は汎人間的なもの、共通の文化財をこの不和から救うために、仲介者としてその中間に、したがって最も危険な場所に身を置くのである」(p.18)。

「エラスムスのこの態度、彼のこの不決断、あるいはむしろ決断したがらぬ態度を、同時代および後世の人々はきわめて単純に臆病と呼び、この明晰に意識しつつためらう人を、なまぬるい日和見だと嘲った。事実エラスムスは、若竹のようにまっこうから世間に対して立ちはだかったことはない。このような怖れを知らない英雄的態度は、彼の流儀ではなかった。彼は葦にように用心ぶかく脇へ身をそらせ、愛想よく右へ左へと身を揺すぶりはしたが、それはひたすら折れないため、またくり返し立ちなおれるためであった」(p.19)。

エラスムスは「暴力衝動そのものはまだ世界を危うくするものではないことを認識していた。暴力は、ただそれだけでは息ぎれしやすいものである。盲目に狂犬のように殴りかかりはするが、その意思は目標を欠き、その思考の範囲は狭く、あれほど急速に爆発したあげくには、無力に崩れてしまう」。
「暴力衝動が或る理念に奉仕するか、この理念がそれを利用するかした場合にはじめて」、現実の秩序を脅かすのである。「狂信――或る一つの、しかも自分の、思想の独裁を唯一の許された信仰および生活の形式として、全世界にむり強いしようとするこの精神と暴力の私生児――によってはじめて、人間の共同体は敵か味方か、傾倒者か反対者か、英雄か犯罪者か、信者か異端かに分断される」(pp.97-98)。

「エラスムスは、どのような理念にも権利を認めると同時にそのどれに対しても独善への要求を許すことはない。愚昧さえも理解し賛美しようと試みた彼は、どのような理論または提言にも初めから敵対することはないが、他のものに暴力を加えようとする瞬間にはそのどれをも敵視する。博識の人であるこの人文学者が世界を愛するのは、ほかならぬその多様性のためであって、世界のさまざまな対立は、彼を脅かすことはない」(p.100)。


このあたりは、エラスムスについて極めて好ましい人物のような印象を与えることだろう。極端に流れることを嫌い、理性を保ちしなやかに状況に相対し、折れることなく努力を重ねる。世間からどう見られようとも、狂信に対抗すること、公正に仕えることだけを旨としている。ある時期までのツヴァイクもこのような信念を抱いていたことだろう。しかし、ナチスが登場し、ドイツのみならずオーストリアにもその支持者が広まりを見せる中、このような楽観的とも思える中立性は許されるものなのだろうか。そして、他ならぬヨーロッパにおいてナチスが猛威をふるっていることは、この「エラスムス流」にも責任の一端があったのではないか。


エラスムスらにとって「存在するのは二つの層、すなわち下層と上層とであって、下層には文明化されていない、粗野な、熱情的な大衆が、上層には教養ある人々、理解する人々、人道的な人々、文明化された人々の明澄な領域がある。そしてつねに多数部分を占める下層の非文化層を、上層の文化層に引きいれることさえ成功すれば、彼らには主な仕事はもはや済んだものと思われる」(pp.101-102)。

「エラスムスのうちに、一個の民主主義者あるいは自由主義の先駆者を見るようなことがあれば、これほど大きな誤りはないであろう。一瞬たりともエラスムスおよびその仲間たちは、あの無教養で未成年な――彼らからすれば、無教養人はすべて未成年者である――民衆に対して、ほんのわずかな権利を認めることさえ考えてもみない」(p.102)。

したがって「この高貴な理想主義的軍勢」は、「ルターとかツヴィンクリとかによる民衆革命の重厚な、土性骨のある突撃のまえに、美しくしかし無力に屈服するであろう」。
「ほかならぬこの民衆を無視する態度、この現実に対する無関心こそは、あらかじめエラスムスの帝国からあらゆる永続の可能性を、その処理念から直接に作用する力を奪いとっていた。人文主義の有機体としての根本的欠陥は、上から民衆を教えようとして、民衆を理解したり民衆から学んだりする試みをしなかった点にあった」(p.104)。


エラスムスはルターに一定の共感を寄せつつも、ルターとその支持者たちの振舞いは普遍教会から領邦教会への分裂、西欧の統一からドイツの離脱を意味するものだと映った。そして何よりも、そのあまりに過激な熱情や暴力性に同意を与えることはできなかった。しかしまた、この破局を回避できる人はエラスムスただ一人であったはずだった。
ヴォルムスの帝国議会を欠席しつつもエラスムスは選帝侯たちからルターを守ろとし、それは成功したかに思えたが、ルター側の拒絶に合ってしまう。

「エラスムスは、この時どこにいるのか。彼は――これが彼の悲劇的名責任である――世界史的な瞬間に不安に怯えつつ書斎にとどまっている。(……)彼ただ一人だけが、この期に及んでなお過酷な決定を食いとめることができたであろう。だが永遠に臆病な人である彼は、公然と人前にでることを怖れ、凶報に接してはじめて、失われた瞬間が二度ととりもどせないことを悟るのである――「もし私自身が居合わせていたら、力の及ぶかぎりこの悲劇を、節度ある処置によって葬るように務めただろうに。」だが世界史的な時間は、二度とはとり戻せはしない。悪いのはつねに不在者のほうである。エラスムスはこの世界的時間にあたってその本性、その実力、その現存のすべてを自分の核心に賭けることをしなかった。それゆえに彼のエラスムス流は敗れた。ルターは極度の勇気と、その勝利への意思の不屈な力をもって、自分を完全に賭けた。それゆえにこそ、彼の意思は行動となったのである」(pp.144-145)。


ローマ教会とルター派との対決が先鋭化していく中で火の粉はエラスムスにも降りかかるが、エラスムスはなんとか両者の間を取り持とうとする。一方でこんな出来事もあった。エラスムスが目をかけており、また彼を師としたっていたウルリヒ・フォン・フッテンはルターの側についていた。追われる身となったフッテンはエラスムスの下に向かい助けを求めたが、「エラスムスは沈黙し、心にやましさを覚えながらも拒否している。彼はおどおどと自分の家に潜んでいる」のであった。フッテンはエラスムスを激しく批判する出版物を出す。エラスムスはこれに強力かつ明瞭な反論を用意するが、これが印刷される頃にはフッテンはすでに命を落としていたのであった。

しかしもう一度チャンスがめぐってくる。
「今もし高い道徳的権威を担った一人の男、内面に情熱的な平和への意思を秘めた一人の男が、この場にいあわせて、その仲介的な雄弁に全力、その論理の技巧、その話術の練達を投入するならば、おそらく彼は、自分が一方には共感によって他方には忠節によってともに親しく結ばれている、プロテスタント派とカトリック派とを、この最後の時間になお統合させることができるであろう。そしてヨーロッパ的思想は、立派に救われることであろう」(pp.196-197)。

そのただ一人の男とは、もちろんエラスムスである。皇帝カールも彼を帝国議会に招待した。しかし「例のエラスムス流な運命の形式は、悲劇的にくり返される。すなわち予見はしても、けっして前進を敢えてしないこの男の天命はただ、世界史的な瞬間を他の誰よりも認識しながらも、個人的な弱さ、救いがたい無気力のために、決断を怠ることにあった。ここに彼の歴史的な責任があらためて発生する。ヴォルムスの帝国議会の場合とまったく同じように、エラスムスはアウクスブルクの帝国議会にも欠席するのである」(p.197)。

エラスムスは多数の,説得力のある書簡を送ったが、「緊張した運命の時間には、書かれた言葉が血のかよう生きた呼びかけの力を持つことはけっしてない」。

「この日、自分の「エラスムス流」の理念が最後の決定的な敗北に見舞われてからというもの、フライブルクの書物の殻にこもるこの老人は、もはや無用な存在にすぎず、かつての名声の色あせた影にすぎな」くなった(p.198)。


ナチスの勃興を前に、ツヴァイクは自問したことだろう。自分は本当に正しかったのか、と。ツヴァイクは平和主義者であり、またコスモポリタンであった。そして何よりもイデオロギーを嫌い、そのせいもあって「非政治的」な人間と見なされてもいた。裕福な家庭に生まれ高い教育を受けたツヴァイクは、エラスムスと同じように大衆の姿は目に入っていなかったのかもしれない。またそれゆえに、ナチズムやファシズムといざ対決しようにも、あまりにも無力であることを思い知らされたのかもしれない。

ツヴァイクは1942年に亡命先のブラジルで自ら命を絶つ。痛ましいと同時に、酷な言い方になるが、ナチスと正面から対決することを避け、逃げたという見方もできなくもない。ツヴァイクはエラスムスの生涯を追うことでヨーロッパの理想という可能性にもう一度光をあてようとした。そしてその理想がなぜ叶わなかったのか、エラスムスの過ちを批判的に考察しようともした。しかし、その後ツヴァイクが味わった運命は、ヨーロッパの理想を信じ続けるにはあまりに過酷なもので、ツヴァイクにはもう耐えることはできなかった。

本書はこのように書き出される。
「ロッテルダムのエラスムスと言えば、かつてはその世紀のもっとも偉大で最も輝かしい名声の持ち主であったのに、今日ではもはやほとんど一つの名前以上のものではない」。

これはあたかもツヴァイクが、自らが死後どのように扱われたかの予言になっているようでもある。エラスムスやツヴァイクの「ヌルさ」といったものが、忘却されることを加速させたであろうことは想像に難くない。エラスムスの、そしてツヴァイクの姿は、イデオロギーに振り回された世紀の後から見ると極めて穏健であるように映る。その「正しさ」に反駁することは難しいだろう。しかしその「正しさ」は、必ずしも破局的結果を回避することには直結せず、そこに限界が確かに存在していたこともまた間違いない。
現在は理想というものがすっかり色あせ、世界から可能性が奪われていくかのようでもある。ツヴァイクがエラスムスの中に可能性と限界を見出したが、今度はツヴァイクの限界を見定めつつ、その可能性というものに光をあてることもまた必要なのだろう。




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佐藤太郎(仮)

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