『戦場でワルツを』再訪

『戦場でワルツを』




映画監督のフォルマンは友人に呼び出される。その友人は26匹の犬に襲われる悪夢を2年半見続けていた。この友人はイスラエルがレバノンに侵攻しある村でパレスティナ・ゲリラの捜索をする際に、よそ者に吠える犬を始末させられたという経験をしていた。その時に殺した犬が26匹で、その記憶は今もありありと残っているという。一方フォルマンは、従軍したはずのレバノンでの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。サブラ・シャティーラの虐殺にも近くに居合わせたはずなのに、何一つ憶えていなかったのである。しかしこの日以降フォルマンにはフラッシュバックが起こる。レバノンとおぼしき場所だが、非現実的な光景が事実のように脳裏にこびりついて離れない。フォルマンはこのフラッシュバックに登場するかつての戦友を訪ねることにする……


『アクト・オブ・キリング』を見て見返してみたのだが、やはりこの二つの作品は比較したくなってくる。共に加害者側からの虐殺の記憶をめぐるドキュメンタリーであり、どちらもいささか特殊な手法がとられている(『アクト・オブ・キリング』は加害者が虐殺の再現映画を撮る模様に密着したものであり、『戦場でワルツを』はアニメ化されている)。

『アクト・オブ・キリング』でアンワルらが撮ろうとしている再現映画は、事情を知らなければコントのように思えてしまうようなシュールなものであるが、当事者であったアンワルがあれを受け入れてしまうのは虐殺の記憶がそうさせているのかもしれない。フォルアンが解離によって記憶を抑圧し、また記憶がうずき始めた後もあくまで虚構化しようという無意識の抵抗をなかなか振り切れなかったことも、似たような精神の作用であったのかもしれない。

『アクト・オブ・キリング』のオッペンハイマー監督はインドネシアの現状から加害者側から撮らざるを得なかったのだが、フォルマンは(当人は間接的な関わりとはいえ)監督が自らの過去を撮ることになる。「よく撮った」という評価も、「イスラエルに甘すぎる」という評価もあるように、「虐殺の告発」という観点から『戦場でワルツを』を評価しようとすると様々な意見があることだろう。もちろんこの二つの作品は過去の「告発」という側面も持ってはいるのだが、やはり虐殺の加害者の「記憶」をめぐる映画だと考えていくべきなのだろう。



プロフィール

佐藤太郎(仮)

Author:佐藤太郎(仮)
shopliftersunionあっとhotmail.co.jp

最新記事
月別アーカイブ
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
カテゴリ
twitter
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR