『疎外と叛逆  ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサとの対話』

『疎外と叛逆  ガルシア・マルケスとバルガス・ジョサとの対話』




本書は1967年に行われたマルケスとジョサとの対話、1967年に発表されたジョサによる『百年の孤独』評、1965年に行われたジョサへのインタビューから成っている。


マルケスとジョサとの関係については寺尾隆吉による「訳者あとがき――ガルシア・マリケスとバルガス・ジョサ、失われた友情」で詳述されている。
1976年に有名な出来事が起こる。メキシコシティでの映画の試写会でマルケスとジョサは久しぶりに顔を合わせた。抱擁をかわそうと両手を広げて近寄ってきたマルケスに対し、ジョサは顔面にパンチを見舞ったのであった。かつて親友であった二人の間に何があったのか。亀裂が入るきっかけとなったと見られているのが、1971年にキューバで起こった「パディージャ事件」であった。革命政府を挑発したともとれる詩を発表したパディージャが公開の場で自己批判を強制されたことに対し、ジョサやフエンテスはカストロ政権を批判をし、マルケスやコルタサルは擁護にまわり、ラテンアメリカの作家たちの対応は分かれた。さらに1973年にチリの外交官で作家のホルヘ・エドワーズがキューバの内情を暴露した『ペルソナ・ノン・グラータ』を発表すると、その対立は完全に表面化することになる。

自由主義、民主主義を重んじるジョサからすると、右派独裁政権に対しては厳しく糾弾するもののカストロ政権に対しては「寛容」であるマルケスの態度は受け入れがたいもので、「幼稚な発想」「無責任な態度」と批判することになる。マルケスのこのような政治的態度については他のラテンアメリカの作家の中にも同様の感情を抱く者は少ないという。

しかし政治的対立によって二人の友情が終わりを告げたのかというと、そうとまでは言い切れないようでもある。これには様々な憶測が飛び交うが、現在に至るまで真相は不明である。
本書に収録されたものはまだ二人が決裂する前のものであり、親しげな雰囲気も感じ取れるものの、寺尾も指摘しているように後に二人の関係がどうなるのかを知った上で読むと、この時点で少なからぬ齟齬がすでに生じていたようにも見えてくる。



なんといっても注目は二人の「対話」であるが、これはちょうど『百年の孤独』が世界的注目を浴び、マルケスが次作の『族長の秋』に取り掛かっていた時期に行われている。マルケス自身によるマルケス入門としても読め、とりわけ『百年の孤独』と『族長の秋』について興味深い話が展開されている。この対話は基本的にはジョサが聞き手という立場なせいもあって、理論派のジョサと奔放な(あるいは「無責任」な)マルケスという対照的な二人のようにも見えてくる。


ジョサが「作家が何の役に立つと思いますか?」と訊くと、マルケスはあっさりと「私の場合、作家を目指し始めたのは、それが何の役にも立たないと気づいたときだったような気がしますね」と答えている(p.18)。

このやりとりにマルケスとジョサの作家というものへの考え方の違いは集約されているのかもしれない。

ある批評家が、「私〔マルケス〕の作品に登場する女性たちは、安定と良識を体現し、一家の伝統と秩序を支えるのに対し、男たちは、戦争に行くやら旅に出るやら町を作るやら、とにかくあらゆる冒険を繰り返した挙句、いつも挫折に打ちのめされる、つまり、女性が言えでしきたりや生活規範を守ってくれているおかげで、男たちは戦争や町作りやアメリカ大陸征服に乗り出すことができる、というわけです」という趣旨の論文を書き、マルケスは『百年の孤独』を書いていたときにこれを知ってしまい、『百年の孤独』もそのとおりだったもので「私はあの批評家を恨みましたよ」としている(pp.23-24)。

ここで冗談めかして言ってはいるが、作品を過剰に、あるいはきれいに解釈しようとする批評家に対してマルケスは否定的であることを、この対話をとおして繰り返しているようでもある。

『百年の孤独』でもっとも印象深い、レメディオスが庭でシーツを畳んでいるうちに天上へ上っていく場面について、「まったく同じ容姿の娘が町にいて、実は男と駆け落ちしたのですが、家族はそんな屈辱に耐えられず、落ち着き払った口ぶりで、「ああ、あの娘ならシーツを畳んでいるちに空へ上ってしまったよ……」とか言っていたのです。小説を書くとなれば、男との駆け落ちなどという、何の面白みもない陳腐な話より、対面を保つために家族がこしらえた話のほうがいいでしょう」としている(pp.31-32)。

もちろんこれが「真相」なのかどうかはまた別問題であるが、マルケスは批評家に対する批判としてこのエピソードを持ち出しているようにも読める。

マルケスは毒見用の振り子を発明したり、災いを避けるために街灯にすべて赤い紙をかけるといった奇妙な行動に及んだ実在のラテンアメリカの独裁者に触れ、これを作家たちが「そんなことはありえない、狂気の沙汰だ」と「合理的」な説明をつけてしまうことを批判している。「合理的な説明が始まった瞬間から、ラテンアメリカの現実は歪められていきます。我々の取るべき態度は、むしろこの現実を正面から受け入れ、その現実によって世界文学に刷新をもたらすことだと思います」(p.34)。


ジョサが『百年の孤独』には同じ名前の登場人物が何人も、何度も出てくることについて、「これはなぜなのです? 意図的にやったことなのですか、それとも自然にそうなったのですか?」と質問するとマルケスは、「父と同じ名前の人なんて、ここにだっていくらでもいるでしょう」と返す(p.34)。

マルケスの弟も同じガブリエルという名前を持つことについて、マルケスは十二歳で家を出て大学に入るまで戻らなかったため、その間に生まれた弟に「最初のガブリエルはもう出て行ってしまったし、やはりこの家には誰かガブリエルがいないと……」ということで同じ名が付けられたのであった。

思わず笑ってしまうすっとぼけた回答だが、「物事は説明なしにそのまま受け入れないと」という姿勢は一貫している。


またボルヘスに対する評価についても、二人の間には微妙なズレが生じている。

マルケスはコルタサルをラテンアメリカ作家ではないとする一般の意見に留保つきながら同意していたが、ブエノスアイレスを訪れてそれを完全に改めたとしている。「あの大きなヨーロッパ風都市ブエノスアイレスにいると、まるでコルタサルの小説に取り込まれたような気分になります」としている。一方で「コルタサルが実はラテンアメリカ的な作家だということには合点がいったのですが、ボルヘスについては印象が違います……」としている(p.55)。

マルケスはボルヘスをこう評する。「傑出した言語能力を備えている」、「書き方を教えてくれる作家」ではあるが、「逃避の文学」であり「まったく好きではない」(p.55)。

ジョサは、ボルヘス個人の政治的反動性を認めつつも、「私の考えでは、あらゆる優れた文学は、作者の意図に関わらず、避けがたく進歩的性格を持つものです」とし、その作品には「ファシズムとか帝国主義とか、彼が称賛するイデオロギーを肯定するものは見当たらないでしょう」としている。

マルケスはこう語っている。『百年の孤独』のバナナ農園の悲劇では自分は労働者側に立っているし、それは自分の信条でもあるとしている。「一市民としてなら、作家は特定の政治思想に与してかまわない、というか、与するべきです。作家にはそれなりの影響力があるのだから、それを行使して政治的役割を果たすのは当然です」(p.64)。
ここではジョサと意見を共にしているようでもあるが、一方でジョサが『百年の孤独』がマルケスの頭から長く離れなかったのは、政治的信条によるものなのか、あるいは殺戮や貧困といったドラマを書きたかったのか、特定の挿話や幻想的事件を描きたかったのか、創作の原動力となったのはイデオロギーなのか、それとも一挿話なのかという質問についてはこう答えている。

「そういう質問は批評家にでもしたほうがいいでしょう。前にも行ったとおり、私は面白い物語を書きたかっただけです。書きながら自分ではそれが面白いとわかっていたし、その物語を自分にとってのあるべき姿に再現したつもりです。「自分にとっての」ということは、つまりそこに、政治、社会、文学、あらゆる真実があるわけです。私は全体小説を志向していますし、ラテンアメリカも作家たちが追い求めているのも同じく全体小説でしょう。そこには、信条、強迫観念、伝統、伝説、すべてが含まれるはずです」(p.66)。

このように、後知恵をもってこの対話を読むと、小説に対しての考え方、あるいは政治にたいする姿勢は両者において埋めようもない溝が当初からあったのだろう。ジョサが「生真面目」にも思える態度を取っているのに対し、マルケスは「無責任」さを貫こうとしているようにも思える。

その他にも『族長の秋』となる作品について触れ、「ラテンアメリカ史における神話的怪物とでも呼ぶべき数多の独裁者こそ、権力の孤独を表現するのに最適な人物だと思います」(p.21)といったたりはマルケスの「独裁者」への両義的関心を端的に表しているようでもあり、この対話はいろいろと面白い。


ジョサによる「アラカタカからマコンドへ」は評論として優れた『百年の孤独』論となっているだけに、マルケスについて全面的に論じた『神殺しの物語』を読んでみたいところだが、二人が完全に絶縁して以降ジョサはこの本を再版することを許可せず、外国語への翻訳もまた同様なのだというのは残念。


そしてジョサへのインタビューは、『都会と犬ども』によって注目を浴び『緑の家』を書き上げた頃に行われ、いかに着想を得たのかを詳細に語っている。
この中である日系人について耳にした話にも触れられている。日系人など滅多にいないはずの地域に、どこからともなく現れた人物がいた。殺されるからあんなところに行くのはおやめなさいと言われていたが、殺されることもなく、そればかりかそこに住み着くと封建領主のようにまでなったのだという。私設の軍隊まで作り、集落を襲ってはゴムを盗み、ハーレムまで持っていた。その男は撲滅されたはずのペストにかかり、その病床で「馬鹿げた、狂気の沙汰」の手紙を書く。ハーレムを逃げ出した女の子(この子からジョサは話を聞いたのだという)に、「罪を犯して後悔している、地獄へは行きたくないから、罪滅ぼしに結婚したい」としたためたのだという。

これってコンラッドの『闇の奥』を想起せずにはいられないのだが、ジョサは本当にこの話を聞いたのだろうか、それとも実際にあった出来事という設定でインタビュアー/読者を煙に巻いているのだろうか。恥ずかしながら『緑の家』は未読なのもので、そのうちに読んでみようと思う。

このインタビューで、ジョサは軍人学校に行ったことで「揺るぎない反軍国主義が根づいた」としている。「ペルーに反軍国主義以外の道はないよ、これまでの歴史を通じて、軍国主義こそ諸悪の根源だったんだからね。もちろん軍国主義それ自体恐ろしいものだけど、どう言えばいいかな、そこにはもっと広く深い現象が隠れているんだ。つまり、ペルーの歴史全体を貫く社会的不平等だよ」(p.141)。


この約30年後にジョサは大統領選挙に出馬し、日系人のアルベルト・フジモリとその座を争うことになるのだが、このあたりについて触れた自伝『水を得た魚』も近く邦訳が刊行されるそうである。



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