『こころは体につられて  日記とノート 1964-1980』

スーザン・ソンタグ著 『こころは体につられて  日記とノート 1964-1980』




息子のデイヴィッド・リーフが編者となって刊行中の、ソンタグの残した「日記とノート」の二巻目。本書には1964年(31歳)から80年(47歳)までが収録されている。

1947年から63年までの「日記とノート」が収録されている『私は生まれなおしている』と同じく、ソンタグは毎日日記をつけてていたわけではなく、また日々の出来事を細かく記録するというタイプでもなかった。創作やアイデアのメモ、映画鑑賞や読書の記録、そして私生活についてなど書きたい時に書きたいことを書くというタイプであり、伝記的に興味深い時期が抜けていたりすることもあるのだが、その分心の動きが、赤裸々という言葉を使うにふさわしく反映されている部分も多い。


ソンタグは1963年に『夢の賜物』という初の長編小説を刊行しているが、一般には批評家としてのイメージが強いかもしれない。60年代半ばから80年までというのは、批評家ソンタグにとって最も実り多かった時期とすることもできるだろう。『反解釈』(66年)、『写真論』(77年)、『隠喩としての病』(77年)など、現在でも重要な批評やエッセイを次々と発表している。しかしソンタグはあくまで自分は小説家だという意識が強かったという。73年1月7日の日記によると、67年に発表した小説『死の装具』は酷評され、また71年に監督した『ブラザー・カール』は壊滅的な評価であり(少なくともソンタグはそう受け止めた)、以降短編こそ発表し続けたものの、長編小説は92年の『火山に恋して』まで長い沈黙に入ってしまう。本書には創作メモらしきものも含まれており、いくつかは短編として形になってはいるが、その多くは書かれないまま終わってしまった。このあたりは小説家(あるいは映画監督)ソンタグの深く負った傷と、批評家ソンタグの持つ性格を考えるヒントになるかもしれない。


ソンタグは自分の知性に自信を持つとともに、それが小説家、芸術家としての表現の妨げになるのではないかと感じていたようでもある。

66年1月4日には、息子のデイヴィッドが「私の子供時代ほど早熟でも想像性豊かでもない、 +彼はそれを気にしている」と書いている。ソンタグは子どもの頃にノーベル賞を取ると宣言し、「認められると確信があった」としている。「生きることは梯子ではなくエスカレーターだった」とまで。しかし同時に、「やはり確信していたのは――自分は年月を経るにつれて――ショーペンハウアー、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、サルトル、シモーヌ・ヴェイユになれるほど賢くはない、ということ。だから、そのひとたちの仲間になろうと目指した、弟子として。彼らの次元で仕事をしようと。私は優秀な、もっと言えば、強靭な頭をもっていた――もっている――それは自覚していた。ものごとを理解することには長けている――+整理能力も――+知識を使うことにも(地図のような頭)。でも私は天才ではない。つねにそれは自覚してきた。/頭の良さが足りない、真に第一級の頭ではない。それに、私の性格や感受性は突きつめれば旧来の枠を超えていない(ロージー、母、ジュディス、ナット〔SSの義父〕がしゃべっていた戯言に感染しすぎた;一五年間もそのすべてが耳に入ってくるだけで私は荒廃してしまった)。狂気も強迫観念も足りない」。
さらに続けてこうも書いている。「天才でないということ、自分では嫌なのか? がっかり? 天才になれるなら喜んで犠牲をはらう気があるか? 思うに、犠牲は孤独だろう、今のような」としている。当時ソンタグには恋人はなく、これによって一歩前進したとしている。しかしまた、「でも、さらに感性を磨いて+今以上に意識の感覚を鋭くしたいと思っているのはなぜか――+そのどこが良いのか。さらには、同類のいない存在、常道から外れた存在になることのどこが?」

73年7月31日にはこう書いている。「二年間、書きまくるべきかもしれない――一五篇とか二〇編の短編小説――本気で大掃除して、新しい多様な声を探る――三作目の長篇にとりかかる前に。二、三年以内に短篇の選集を二冊出せれば、フィクション作家としてふたたび認知され(いやはや!)、来るべき長篇への関心が高まるかもしれない――予感」

75年5月22日にはこうある。「ある線を越えた知性は芸術家にとって負い目になる。」 「レオナルド・ダ・ヴィンチとデュシャンは画家にとどまるには知性が勝ちすぎていた。ものごとを知性をとおして見た……ヴァレリーも詩人になるには知的すぎた。」

76年6月19日にはこう書いている。「出来の悪い作家になっても構わないと勇気を奮い起こすだけでなく――本当に不幸になる潔さも必要。」

76年といえば、ソンタグは乳がんの治療中であったことを思うと、この日の記述は決意を表すものと思いたくもなるが、しかしなかなかこの「勇気」を奮い起こすことはできなかったのだろう。頭が良すぎてかえって何もできなくなってしまう人というのは何人か浮かばないこともないが、ソンタグの場合批評という場で成功した結果小説家としての評価との間で溝が生じてしまった(と当人は考えていた)だけに、頭が良すぎることで自分は秀才ではあっても天才ではないとただシラケてしまう人とはまた違った葛藤もあったのかもしれない。


ソンタグは74年から77年にかけて転移性乳がんの手術と治療をしている。ソンタグの最後の日々を描いたリーフの『死の海を泳いで』に詳しくあるように、医者もほとんど諦めていたほど進行したものだったが、ソンタグは生還し、この経験をふまえ『隠喩としての病』を書くことになる。しかし「日記とノート」にはこの病や治療について、リーフは「SSは驚くほどわずかしか書いていない」としている。確かに予備知識なく本書だけを読むとあれほどの大病だったとは思えないほどわずかな記述しかない。あまりに壮絶すぎて、あるいは生々し過ぎて書けなかったという可能性もあるだろう。

これも『死の海を泳いで』に詳しくあるが、ソンタグは死を前にして激しく動揺することになる。死を怖れる気持ちは病を得て急にわいてきたのではないようだ。65年9月6日には、過去をふり返ってこんなことを書いている。「一年間ずっと(一三歳のとき)マルクス・アウレリスの『自省録』をポケットに忍ばせて持ち歩いていた。――死ぬのがとても怖かった――+あの本だけが慰めになったし、不屈の精神をくれた。自分にもそれが備わっていたら、その一端にでも触れられたら、死ぬ瞬間にそうだったらいいのに、と望んでいた」。

死を恐れる気持ちと死に魅了されることとは紙一重なのかもしれない。66年6月26日には、創作メモなのかこんな記述がある。「シルヴィア・プラス/詩人――/夫、父親/子供ふたり――/自殺」

また72年6月21日にも、「素材」として「ヴァージニア・ウルフの死」をはじめ、マリー・キュリー、ジャンヌ・ダルク、ローザ・ルクセンブルクなど、自殺や非業の死を遂げた女性たちの名前を多数書いている。

さらに72年7月21日には自身の創作について、「私の作品すべてに通底する擬似的な死というテーマ、曖昧な死、予期せぬ蘇生」と振り返っている。これは乳がんの治療を受ける前に書かれていることを思うと、「予期せぬ蘇生」というのは予言のようにも感じられてしまうが(また70年4月26日にも「医者についての小説――治すことに懸命な……」というメモもあり、これも予言的にも思えてしまう)、ここでソンタグは自伝的素材を使って死について書くことを考えながらも、その困難さに直面していたようだ。「書くべきエッセイ――死について。/私の生涯のふたつの死。」 「一九三八年:ダディ:遠く離れて、受け入れられない。/一九六九年:スーザン〔・タベウス〕:私と同名、私の分身、これも受け入れられない」 「終わっている。ダディは死んだ」

77年2月21日には、ソンタグ自身のことなのか創作メモの類なのかは不明だが、「好きなもの」「嫌いなもの」が大量に書きつけられており、「嫌いなもの」には「自殺」も含まれている。また同じところに「写真を撮る」もあるのは意外にも思えるが、これはもしかするとソンタグも高く評価していた自殺したダイアン・アーバスからの連想というのも働いていたのだろうか。


『私は生まれなおしている』ではセクシャリティをめぐる葛藤に注目せずにはいられなかったが、その点は本書ではあまり前景化されてはいないようにも思える。70年4月26日には、「男の子としての私、その夢想にストップをかけること。デイヴィッドに自己同定する、彼は私がなりたかった男の子――彼がいるから、自分が男の子になる必要はない(そうすると、困ったことにもなりかねない:彼が同性愛者になったら動揺しそう。ならない確信はあるけれども、しかし、無意識にでも彼に同性愛を禁じる、なんていうことには「ならないはず)」といったあたりは、セクシャリティをめぐる葛藤が示されているが、逆に直接的なのはここくらいか。
『私は生まれなおしている』ではソンタグはバイセクシャルというよりもレズビアンという傾向が強かったのではないかという印象も受けたのだが、本書での記述を読むとやはりバイセクシャルであったと考えるべきなのだろうし、そのこと自体では悩んではいないようだ。このあたりは、『私は生まれなおしている』では、おそらくは冷え切った結婚生活というものがかなり影響していたのだろう。本書でもまだこの失敗した結婚を引きずっているらしき記述がいくつか見られる。

一方でソンタグは恋愛では大いに悩んでいる。70年10月3日は、「終わった――始まったときと同じように突然、不可解に、一方的に、予想だにせず」と書き始めている。「ああ、助けて――助けて――あの人がもう私を愛していないなら、あの人への愛が断ち切れるように、助けて!」 「この恋愛の挫折から学びたいことなんてなにもない」 「学ぼうと思えば学べること。冷笑的になる、守りを固める、あるいは、前以上に愛することに臆病になること)。なんにも学びたくない。どんな結論も導き出したくない」……なんてあたりは、なんだか十代の子のそれを読んでいるような気分にもなってしまった。これを書いているときのソンタグは今の僕とほぼ同じ歳なのだが、これからこんな感情にかられる恋愛をすることになるとはとても思えないというのは、いいことなのか否かなんてことを思ってしまった。


『私は生まれなおしている』でも母との確執やアンビヴァレントな感情というものが記されていたが、本書ではさらにその印象が強まっている。これは息子の成長によって自らも「母」であることを意識せざるを得なくなり、その結果再び母との関係について考えるようになったということなのかもしれない。

64年5月5日には、「私はなんでデイヴィッドの育児を自分でやらなかったのか」とある。ソンタグは難産で、母は出産後一か月も寝込んでしまうという状況もあり、乳母に育てられることになる。これはそのままソンタグ自身もなぞることになる。後にあるように、ソンタグは自分を14歳まで育ててくれた乳母のロージーを、19歳でデイヴィッドを出産した時に再び雇っている。67年4月18日にはロージーについて、「居間に象がいるみたいだった」と振り返っている。「私はそのロージーをまた乳母に雇ってデイヴィッドに押し付けた!」としているように、乳母との関係というのも一筋縄ではいかなかったようでもある。

64年11月1日には、「私は母に怯えていた、物理的に怖かった」とある。「母が怒るとか、私に供給してくれるささやかな感情面での栄養が減るのを怖れていたのではなく、彼女の存在が怖かった。ロージー〔SSの乳母だったローズ・マクナルティ〕も怖かった。/母は私の顔面を平手打ちにした――言い返したり、盾ついたりすると。/いつも、それでも彼女を責めない理由を自分のなかででっちあげてきた。自分の怒りを、憤りをぶちまけたことは一度もない」

65年9月6日には、死の恐怖について触れた後、妹のことを思い返しつつこう書いている。「私は同時にふたつの国、小人の国リリパットに、巨人の国ブロブディンナグにいるガリヴァーだった。周囲の連中は強すぎたし、私も彼らにとって強すぎた。彼らを自分という強い力から守らねばと思っていた。私はクリプトン星から来た異星人だったけど、おどおどして控えめなクラーク・ケントだった」

そして67年8月10日には、たまりにたまった鬱憤をぶちまけるかのように母について長い記述がある。

母が老けていくことが「激しい不安と怖れ」を呼び、「一度などは、自分のほうが先に死にたいと思った、母の死に直面できっこないと――どこか倫理的に「忌むべき」ことに思えたのだ」
母は美しく、心底から、本心からそう伝えることができた。「彼女に一度でも何かを言うことができた、それだけでうれしかったし、感謝の気持ちに包まれた」 一方で漠然と悪いことをしているようにも感じていた。母は自分と姉妹に間違われるとうれしがったし、自分もうれしかったのだが、「ドリアン・グレイの曲芸にも限界がある」
母が不機嫌になると自分のせいだと感じていた。母はソンタグの実父(死去後に再婚)を愛していなかったのだとソンタグは感じており、母には祖母と自分(どちらもスーザンという名である)しかいないと思えた。
「私は母の鉄の心臓だった。母のなかの母親だった」と感じ、「私が彼女を成長させなければならない」と思う。これと矛盾するかのように、「母の自己愛の片棒を担ぎ、褒めそや」すことで母を上機嫌に保とうともする。「だけど、もちろん、同時に私は彼女の自己愛を憎悪している。自己愛が強いということは、自分のことしか目に入っていないだろうし、私なんかどうでもいいわけだから」

ソンタグが十代のころ、母は年齢よりずっと若く見え、ソンタグはそのことを誇りに思っていたが、また「分裂」した気持ちも抱いていた。このことに「なにか「不気味」な感じを抱くようになっていた」
自分が母を怖れていたように、母も自分を怖れていた。母はその愚かさ、無教養さ、派手さ、道徳的に欠点があると娘から判断を下されることを怖れてもいた。

「自分の、母に似ている点――とりわけ肉体面での――は大嫌い」であり、これは「母の呪縛」のように思えてくる。母はさすがに歳相応に見られるようになっていくが、ソンタグは若いままである。まるで「母を裏切っているよう」に感じてしまうが、これこそが「母が私に仕掛けた罠であるかのよう――というのも、今、私はデイヴィッドと姉と弟だと思われ+私は大喜びだし+気に入っている。そこで、母のことを思い出す――+実際は必要ないときでも数字で正確に自分の年齢を言い、話題がデイヴィッドに及べば彼の年齢を一年多く言う――そこで相手の驚き(称賛?)の表情を楽しむ。それもこれも、自分は母とは違う――弱くない、自己愛でもない――と思うため――いや、実際は、自分も弱いかも、自己愛かもと気にしてもいる」

「私は母を怖れた――彼女を庇護した――彼女は私を怖がった――私は、「もっと小さく」なるべく姿を隠して、彼女を怖がらせないつもりでちぢこまった――そうしながら彼女を軽蔑し、おのれをも軽蔑した」……と、堂々巡りのような記述を延々と重ねていくうちに、自分が母に「エロティックな憧れ」を持ち、それを母が喜んでいたことを思い出す。母は遊びでソンタグを「口説こう」とし、「私もその遊びに乗った」。こうして母のご機嫌取りをすると同時に、彼女の遊び相手の男たちに対してもしてやったりと溜飲を下げる気がした。母は自分に「女っぽく」ふるまい、自分は「彼女に憧れている恥ずかしがり屋の青年」を演じた。

この「記憶」(もちろんこれが「現実」にそのままあったことなのかは疑ってしかるべきであろう)はセクシャリティについてではなく、現在の恋愛へとソンタグの思考を向かわせる。
自分が相手を「理解」できるとして、相手は自分を「理解」できるのか。「誰かを理解する私は、そのひとよりも強い(賢い)のか? 相手を理解するのだから、相手より「上」のはずだ。とすると、私より「弱い」(馬鹿な)相手は、私をどうやって理解するのか? 当人は理解可能だと自負してえいるかもしれなけど、それは間違いだ」
「でも、もう経験済みのことだが、自分の強さ(頭脳、眼、知的熱意)が災いして永遠の孤立、他者からの隔離という宣告も受けた。ひとに近づくには「弱く」ならなければいけない(そうすれば、私の接近を許してくれる)。さもなくば、私の一部を相手に注入して、本質的なことで相手の中身を満たし、そのひとを「もっと強く」するか、どっちかだ」


ここ数年、日本では『母が重くてたまらない』をはじめ母娘関係についての本が流行っているが、いずれも未読なものでどのような内容かはわからないものの、ソンタグがここで書いているのは同じような葛藤なのかもしれない。

ソンタグほどの人がこんなこと(と言ってしまうが)にこうまでも悩み苦しんでいたのかということを意外に感じると共に、ソンタグの中にあるコンプレックスをこれでもかと写しだしているようにも読める。下世話な話をするとソンタグは美人としても有名であったが、これは母親から引き継いだものだった。一方でそれを誇らしくも思い、もう一方では母親と似ているということが嫌でもあったのだろう。高度な知的能力を持つ自分は母(あるいは他人)などとは違うのだという、尊大とも思える選良的高揚感とは無縁ではなかったが、またこれは恋愛をはじめとする人間関係においていい方向に働かなかったことは想像に難くない。そこで仮想敵としててっとりばやく召喚できるのが最も身近にして愛憎半ばする母親だったのだろう。このあたりは他人事であれば冷静に分析できるのであろうが、いざ自分の身に置き換えると、わかってはいてもどうにもならないというところだったのかもしれない。



さて、このような本を手にするとやはり自分が生まれた日にソンタグが何を考えていたのかということが気になってしまうものだが、残念ながら僕の誕生日には何も書いてはいない。ただちょうど僕が生まれた直後にセックス・ピストルズについて触れていて、ああ、こういう時期だったのだよなあという感慨もわいてきてしまう。

70年代後半はソンタグは日本によく来ていて、日本についてもいくつか書いている。79年2月25日には、「日本語には「偽善」という単語はない」という記述があるが、訳注で「出典、あるいは情報源不明」とあるように、どこかで読んだのか誰かから聞いたのかそのような印象を受けたのかはわからない。

79年4月には日付なしの「訪日メモ」を残している。「お辞儀――/鹿、奈良公園で食べ物をねだってお辞儀;道ばたの赤い公衆電話で通話中のひと、別れの言葉を言いながらお辞儀;大きな百貨店のエレヴェーター係りの女性は白手袋をはめている」とある。
あの鹿には確かに面食らうかもしれないが、あれを日本的光景のように思われてもなあ、とも思ってしまうのだが。

ソンタグは日本についての短い印象記を書こうとしてもいて、78年12月27日にはこんなメモをしている。「近代化を経た封建社会。いたるところ西洋の「記号」が目につくが、見かけが近代的であることを除けば、そういう記号にこれといって何も意味はない。西洋「文化」のパロディ」
そしてこのメモはこう締めくくられる。「ブルーミングデールズのような百貨店が東京には十二ある:何もかも西欧と同じに見えるけれど、本当のところ、とほうもなく違いは大きい」




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