『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』

ネタバレしておりますので未見の方はご注意を。




T・ボーン・バーネットが音楽を担当したコーエン兄弟作品といえば『オー・ブラザー!』がある。『オー・ブラザー!』は『オデュッセイア』を原案としているが、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』では名前がなかなかわからなかった猫の名が「ユリシーズ」であることが終盤になって判明する。T・ボーン・バーネット絡みの目配せであり、また猫の放浪と帰還とを『オデュッセイア』に重ねてもいるのだろうし、ルーウィンの本作での立ち回りが一種の地獄巡りであることと、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』におけるブルームのダブリンの街の彷徨とも重ね合わせてもいるのだろう。


ルーウィンは作品の幕が上った時点ですでに象徴的な意味で死んでいるとすることもできるかもしれない。ソロのフォークシンガーとしてキャリアを再スタートさせたが、その歌からは「カネの匂いはしない」。これは妥協を嫌うルーウィンの「高潔さ」を表していると同時に、ルーウィンが「現実」と向き合うことを恐れていることの証拠でもあともとれる。ルーウィンは泣き言をはっきりとは口にしないが、かつての相方であったマイクの自殺が非常に堪えていることは明らかだ。理不尽としか言いようのない振舞いに周囲が寛容なのはこのことに同情を寄せているからでもあろう。

マイクというパートナーがいれば大きな成功を手に出来ていたかもしれない。そしてソロとして売れる努力をすることは失われた、かつてあった可能性と直面することであり、マイクの不在という現実と折り合いをつけねばならないことでもある。一人の人間としても、またフォークシンガーとしても、ルーウィンにはこの重みに耐えることはできない。

歌を諦めて再び商船に乗ろうと決めることは、金欠状態にありながらカネになる仕事を求めないという状況から脱しようとしているようにも見えるが、ライセンスの紛失のくだりはルーウィンが意識的にか無意識的にかはともかくとして、父親のような人生を歩む可能性への恐れと拒否感とが依然として強固であることを示している。

自分がすでに父親になっている可能性を知った後にまだ見ぬ我が子と顔を合わせることができたかもしれない機会から逃げるのは、ルーウィンが「現実」と向かいあうことができない人間だということを何よりもよく表している。


冒頭から作中の時間の進行は直線的であるように見えながら、実は冒頭の場面から一気に過去へと遡っていたことが終盤に明かされる。冒頭へと帰ってきたことは、ゴーフェイン家でのデジャヴのような繰り返しも含め、この作品の構造が円環状になっているかのようにも見える。しかしこの虚構の円環は、冒頭では登場しなかった圧倒的才能を持つ人物の存在によって打ち破られる。
永遠にあの日々を繰り返したくとも、いつかそこから抜け出す、あるいははじき出される日はやってくる。ルーウィンにとってそれはマイクの死の瞬間であったのかもしれないが、それを認めることはできなかった。このようなルーウィンは「現実」からの報いを受けなけらばならない。自分は特別なのだという驕りは文字通りに殴り倒される。あの痛みは肉体的な痛みであると同時に、青春の終焉を突きつけられた痛みでもあり、そのことは何よりもルーウィンが承知していることだろう。彼はそれを引き受けたかのような挨拶を交わすが、本当に「現実」を受け入れられたのかどうかはわからないままである。


『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』はデイヴ・ヴァン・ロンクの『グリニッジ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃』にインスパイアされたものだが、まだ未読なものでどこまでこの回想に基づいているのかはわからない。当事者たちからは結構厳しい評価もあるようだが、そもそも本作は1960年前後のグリニジ・ヴィレッジのフォーク・シーンを忠実に再現しようとしたものではないのだろう。
この頃のフォークといったってボブ・ディランくらいしかよく知らないしなあ、と若干の不安を抱えて観にいったのだが、これは杞憂であった。この作品は普遍的な青春(の終焉)の物語であり、当時のフォークについての予備知識がなくとも十分に楽しめるものになっている。

割とベタな笑いも多いのだが、コーエン兄弟の過去の相当にデフォルメされた笑いからするとかなり抑えたものになっていて、このあたりは物足りないと感じる人もいるかもしれないが、本作の普遍的テーマからするとこの手法の方で正解だっただろう。


あとニコラス・ウィンディング・レフン監督の『ドライヴ』ではキャリー・マリガンを寝取られたオスカー・アイザックが、『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』ではそれと反転した関係になっているのは意識してのキャスティングだったのだろうか。そういえばマイクの自殺についてのジョン・グッドマン(『オー・ブラザー!』にも出演)演じるローランド・ターナーの、自殺についてのブルックリン・ブリッジとジョージ・ワシントン・ブリッジが云々というのはポール・オースターの『幽霊たち』なんかをちょっと思い起こしてしまったのだけれど、コーエン兄弟ってオースターを読んでたりするのかな。



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佐藤太郎(仮)

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