『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃  デイヴ・ヴァン・ロンク回想録』

デイヴ・ヴァン・ロンク  イライジャ・ウォルド著 『グリニッチ・ヴィレッジにフォークが響いていた頃  デイヴ・ヴァン・ロンク回想録』



イライジャ・ウォルドは「あとがき」で本書の成立過程について触れている。デイヴ・ヴァン・ロンクとウォルドは1970年代半ば頃からの友人だった。当初の計画ではウォルドが「歴史的な調査と執筆の大半を担当し、デイヴが当時の雰囲気と一人称の視点を提供することになっていた」。そのためのインタビュー取材も開始していたが、ロンクが一年間ステージを離れ執筆に専念できるだけのアドヴァンスを支払ってくれる出版社がみつからなかったことから作業は進まなかった。2002年にロンクがガンだとわかり、手術の後の数ヶ月間で本を仕上げようと二人は決める。しかし完成させることができないままロンクは死去、残されたメモやインタビューなどをもとにウォルドが書き上げたのが本書である。

ロンクの理想は「H・L・メンケンの作品の、なかでも自伝的な三部作で、一九五〇年代後半から一九六〇年代前半のヴィレッジの雰囲気を余すことなく表現」することだった。本書の記述が60年代後半で終わっているのも、ロンクの死去という事情によるものだけではなく、もともと「自伝」にしようとは考えてはいなかったためでもあるようだ。

確かにロンクのこの構想は魅力的でもあり、完成していればという気持ちにもなるが、本書がロンクの一人称という形になったおかげでその毒っ気のあるユーモアを中心にロンクの語り口の魅力というものがより直接的に感じられるものになっている。


コーエン兄弟の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』が本書にインスパイアされていたため手にとってみたもので(ロンクには『インサイド・デイヴ・ヴァン・ロンク』というアルバムがあり、タイトルはここから取られている)、やはり映画と比べてみたくなってしまうが、読んでみるとコーエン兄弟が本書から使ったエピソードは全体の中のごくごく一部、それもかなり形を変えてのことだった。


ロンクも金欠のため船員になっているが、この決断に父親は関係ない。またロンクは船員生活を「かなり気に入った」としている。ギターが海水に浸かって駄目になってしまいニューオリンズでいい中古ギターを見つけるくだりや、船員同士のギャンブルでたんまり儲けたことなどもなかなか面白いエピソードだが、こういった船員としての具体的な、それなりに楽しくやっていたエピソードをほのめかしすらさせていないのは、コーエン兄弟がロンクの回想を借りつつも、ルーウィンというキャラクターをロンクその人とは別に作り上げたということを表しているとしていいだろう。

そもそもロンクはもともとジャズ・ミュージシャンとしてキャリアをスタートさせ、そのためフォークとは一時は微妙な関係にあった。またロンクは政治的には無政府主義者(後には社会主義者としている)を自認する左翼であるが、一方で政治的音楽を作ることには否定的でもあった。すでに病がかなり進行していたウディ・ガスリーと対面する場面もあり、彼はロンクにとってヒーローであり、ピート・シーガーも同様であったが、同時にシーガー的な政治性を揶揄するようなこともしていた。

ロンクが音楽活動を始めた50年代半ばから後半にかけては、フォーク・リヴァイバルの直前の時期であり、混沌としていたとも様々な可能性にあふれていたともすることができるだろうが、いずれにせよ今日「フォーク」としてイメージされるジャンルが完全に確立していたわけではなかった。
赤狩り時代に毅然と立ち上がるシーガーのようなミュージシャンへの共感もありつつ、音楽を政治に奉仕させるような有り方には疑問もあったのだろう。このようにジャンルが未確立であったり、政治的葛藤といったあたりもコーエン兄弟はすぱっとカットしている。
また同時代に勃興し始めたビートニクについても、ギンズバーグら個々の優れた詩人についてはともかくムーヴメントとしては否定的であり、このあたりも文化史的には興味深いが、映画では描かれない。

逆に考えるとではどのエピソードを使ったのかというと、仕事を求めてシカゴへ行くくだりである。ロンクは録音してもらったテープがシカゴに届けられたと思い(商品にすべくレコーディングされたものではない)、シカゴから連絡があり次第向かうつもりだったが音沙汰なし。痺れを切らしてヒッチハイクでシカゴへ向かうことにする(なおロンクは車の免許を持っておらず、運転はできない)。いざシカゴについてみるとそもそもテープは届けられておらず、オーナーにその場でオーディションをさせられるが結局採用されなかった。無駄足に終わったシカゴ行きの極めつけとして、帰りに財布とともに船員証明書も失くしてしまい、左翼であったロンクには再発行は絶望的で、カネに困っても船にはもう乗れないというおまけまでついていたのであった。

他にもいくつかのエピソードを使用しているが、直接的にはこれくらいであり、またそれもかなり改変してある。ここでのロンクの語り口も映画にあったようなパセティックな、追い詰められたような雰囲気はない。
『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』は大いに気に入った作品であり、本書も面白く読んだが、優劣の問題ではなく両者はあくまで別物と考えておくべきだろう。


映画でのシカゴ行きの様子は別の機会のロンクのカリフォルニア行きと混ぜられているが、このエピソードは本書でも最も抱腹絶倒な章となっている。

ロンクは友人と共に車でカリフォルニアへ向かうことになるが、そこに12歳の「赤い酋長(レッド・チーフ)」と綽名される少年も加わることになる。「レッド・チーフはアインシュタイン並みの知性と、癇癪を起こしたグリズリイと同じ気性の持主だった」。
旅の途中で、貧乏旅行ゆえそれぞれの持ち金を確認しようとすると、レッド・チーフは所持金を明かすのを頑なに拒み、カネが欲しくば「おれの屍を越えてゆけ」と言い放つのであった。この早熟のレッド・チーフはスピード違反で罰金を払わなければならない際に機転をきかせて一行の窮地を救うことにもなる。一方でこんなことも起こる。ある街をぶらついていると突然警察に連行される。警官はロンクらがレッド・チーフを誘拐したのだと思い込んでしまったのだ。誤解がとけて、身分証明書を調べればわかるだろうと警官に訊くと、警官は「ニューヨーク出身だと書いてあるのに、あの子はまるでアイオワ出の田舎者みたいな花仕方をするものだから」と答えた。釈放されたロンクは「何でさっさと本当のこと言わなかったんだ」とレッド・チーフに詰め寄るが、この少年はハンフリー・ボガードに早変りし、「おれは警官とは話さない主義なんだ」と言うのであった。

『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』での同乗者ターナーの不吉さとは明らかに異なる愉快なレッド・チーフを登場させた映画も見てみたくなってしまう。


本書ではロンクと交遊のあったミュージシャンとのエピソードもたくさんある。
1965年に、あるテレビ番組でジョニ・ミッチェルと初めて一緒になった際、ロンクの友人のパトリック・スカイは「こいつはひでえ!」と大声で言った。実はこれはパトリックの口癖で、しかも最高の賛辞という意味で使ったのだが、そんなことを知る由もなかったジョニ・ミッチェルは泣きながらデトロイトに帰り、「自分の音楽はニューヨークの名フォークシンガーたちに受け入れてもらえなかった」と、ミュージシャンを辞めようかとまで考えてしまったという。

サイモンとガーファンクルは10代でトップ40に入るヒット曲を送り出していたが、音楽業界からは旬は過ぎたと考えられていて厳しい立場に置かれていた。「サウンド・オブ・サイレンス」は物笑いの種になっており、「ハロー、ダークネス、マイ・オールド・フレンド……」と歌いだすだけで爆笑が起こる有様だったという。サイモンはロンドンへ渡り、ガーファンクルは大学院に戻ってしまったが、「その後、コロムビアの社員の誰かがスタジオで錬金術を使い、エレクトリック・ギターやその他もろもろの音をかぶせると、この曲は将来的に大きな意義を持つフォーク・ロックのヒット曲のひとつに生まれ変わった」。


なんといってもやはりボブ・ディランとの交遊に注目してしまうが、親しい友人の目を通したその姿からは、若かりし頃から良くも悪くもあのボブ・ディランというキャラクターが自己演出も含めて完成していたのだということがよくわかる。

またロンクはディランがプロテスト・ソングを書くのをやめたり、エレクトリック・ギターを持ち始めた時も「裏切り者」とは全く思わなかったという。ディランが初めてエレクトリック・ギターを持ってステージに現れたあの時、ロンクもニューポートにいたがステージは見ていなかった。翌朝には「二一二通りの話ができあがっていた」が、「ディランはみんなやフォーク・ミュージックを裏切っている、とミュージシャンたちが受け止めているようには感じなかった」とふり返っている。またピート・シーガーが激怒してケーブルを斧で叩き切ろうとしたという話については、シーガーが機嫌を損ねたのはエレクトリック・ギターを使ったことではなく、音響がひどくバンドの音のみでヴォーカルがまったく聴こえなかったせいだという話を聞いたとしている。

この有名なエピソードの真実がどこにあるのかはわからないが、ミュージシャンではなくファンの方が過剰反応したというのはありそうなことにも思える。


映画が気に入ってその「原作」を期待して読むと肩透かしをくらうかもしれないし(そもそも「原作」という言い方はしていなくて「原案」であったり「インスピレーションを受けた」というような形になっていたと思う)、逆に本書を先に読み気に入ったうえで『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』を見ると微妙な思いになってしまうかもしれないが、繰り返しになるが両者はあくまで別物と考えるべきだろう。

本書は50年代から60年代にかけてのニューヨークの空気や、当時のアメリカの尖がった人たちの文化的雰囲気、そして何よりもフォークをはじめとする音楽にまつわるエピソードが満載で、これらに興味のある人は大いに堪能できるだろう。





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佐藤太郎(仮)

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