『her』

『her』




舞台は近未来。手紙の代筆を生業とするセオドアの結婚生活はとうの昔に破綻しているが、別居している妻を忘れられず離婚届けに未だにサインできないでいる。そんなセオドアが「サマンサ」と名乗る女性の声の最新鋭のオペレーションシステムを使い始めると、次第にサマンサに心惹かれていくようになる……


AI(人工知能)を登場させる物語にはいくつかのパターンがある。そのうちの一つにAIが自我を持ち始めるというものがある。本作においてもサマンサは自分に肉体がないことを気に病み始めるし、一見すると「実存的」悩みが生じているようにも感じられる。では『her』がその定型をなぞっているのかというと、ややためらいたくなるところもある。

まずセットアップがあまりに簡単であることに「違和感」がある。『ブレードランナー』のVKテストではないが、脈略がないかのような雑多な質問を重ねることで「感情」を作りあげていくというのはよくあるパターンだが、サマンサはごく簡単な、それも奇をてらったものではない少数の質問によってあっさりと「誕生」する。
そしてサマンサは誕生したその瞬間から完璧だ。これもよくあるパターンとしては、当初は意味としては正しくとも状況にふさわしくない言葉を選んでしまったりするものの、学習を重ね自然な言葉使いができるようになっていくというものがある。そして「人間のよう」に「成長」していくことによって自我が生じる、あるいは生じないことへの葛藤が生じるというように展開していくことが多いのだが、本作においてサマンサは当初からまるで、というよりも人間そのもののしゃべり方である。
そして何よりも、スカーレット・ヨハンソンのハスキーな声は「コンピューターっぽい」感じの真逆にある。『2001年宇宙の旅』のHAL9000は完璧な(ように見える)存在であるが、その声と話し方は「人工的」なものという印象を与えることと比較してみるといいだろう。HALの「狂気」も「人間味」の対極にあるものであった。

これだけ高度なAIを商品化するには長期間の研究がなされているであろうし、そうであるならばAIに「自我」が生じることによる危険性について無頓着であるとは考えにくいだろう。
サマンサの起こすある行動は明らかにセオドアではなく「彼女」の主体的判断であり、しかもこれはセオドアに心身共に危険に陥る可能性のある状況を生み出しかねないものだ。このOSを開発販売した企業は当然ながらこれほど高度なAIが暴走しないかについてチェックしているであろう。とすると、あのような行動は、サマンサの「暴走」であったのかについては疑問が残る。


本作の結末は前半で少なからぬ観客が抱いたであろう予感(と期待)に沿うものとなっている。これはAIとのコミュニケーションに満足し、「リアル」な存在との関わりを求めなくなってしまうが、次第にそれに疑問を感じ始めるという定型パターンを踏襲したもののように思えるが、もしサマンサの一連の行動が全てプログラミング通りの計算であったなら、と考えると別の光景が見えてくるようでもある。つまり、セオドアが「現実」と向き合うようになれるために全てが仕組まれたものであったとしたら……

……ということをスパイク・ジョーンズが意図していたことはまずないだろう。
近未来を舞台に高度なAIとの恋愛感情を扱った作品というと、ついSF的想像力を働かせたくなるが、高度なAIがもたらす可能性と危険性といった狭義の意味でのSF的関心というものを、スパイク・ジョーンズはほとんど抱いていなかったのではないだろうか(近未来を舞台にしながらガジェット的な楽しさというのが意外なほど欠けている)。iphoneの「Siri」と、それがもたらすかもしれない悲喜劇を想起せずにはいられないし、そのような現象には興味を持ってはいたのだろうが、そこから紡がれた物語はむしろ古典的ともいえるものかもしれない。

主人公は深く傷つき、またなぜそのような傷を負ったのかについては向き合うことができないでいた。しかし様々な経験をへることによって成長していき、ずっと身近にいた存在とよりわかりあえるようになり、もっと深い意味で大切な存在であるということに気付き始めていく。プロット的にはAIを登場させなくとも、例えば現在を舞台にチャットなどで知り合った女性との関係に置き換えることも十分に可能だろう。

もちろんサマンサの存在はスパイスとして絶妙のアクセントをきかせているし、ホアキン・フェニックスのアップをこれでもかと多用する大胆な構図は、内閉的世界に自己完結してしまう、ディストピア的に語られる「未来の人間」を思わせなくもない。ただこれらはあくまでスパイスや食器としての機能を担っているのであって、食材はあくまで正統的な成長物語であろう。セオドアの職業や「紙の本」へのノスタルジーともとれそうな挿話も、この物語がSFよりもさらに源流を遡れる物語に端を発していることを表しているかのようだ。もちろんSF的意匠が無意味なはったりだというのではなく、ゲームの中の「チビ助」をはじめ、スパイク・ジョーンズ的な世界との相性は極めていいものであり、魅力を増すことはあれど話をブレさせることにはなっていない。このあたりのバランスはこれまでの作品と比べてもうまくいっていたのではないかと思う。

主題としてもう少し「SFっぽい」のかなあと勝手に思っていたもので、途中ちょっと「違和感」があったりもしたのだが、むしろこのくらいの匙加減のほうがスパイク・ジョーンズらしいといえるのかもしれない。この手の話でジェイソン・ライトマン風のお説教を展開されるのはごめんなのだが、そこもスパイク・ジョーンズらしく、シニカルさという安易さに流れずに、そういったものになっていないのがよかった。

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佐藤太郎(仮)

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